我泣きぬれてビーズと戯る
いや、泣いてはゐないけれど。
なにを隠さう我が家で一番「死ぬまでに使ひきれないよな」と思ふものは、毛でも糸でもなく、ビーズである。
ビーズ。
あんなにちいさいのに。
いや、ちいさいからこそ、大量に仕入れてしまつて、使ひきれなくなつてしまふのだ。
おそるべし、ビーズ。
さういふ状況だといふのに、ここのところビーズをなにひとつ使つてゐないことに気づく。
使ひたいなあ、とは思ふのだ。
なんか、こー、いいでせう、ビーズつて。
ちいさくてきらきらしてて、さ。
以前から書いてゐるが、やつがれは普通の丸小ビーズとか丸大ビーズが好きだ。すなはち、そこらへんにあるなんの変哲もないビーズ、である。
「おじゃる丸」でカズマが「なんでもないただの小石がいい」といふ、その気持ちがよくわかる。
などと云ひながら、スワロフスキーとかも持つてはゐる。
あと、最近はスリーカットビーズが気に入つてゐる。スリーカットビーズも、まあ、「なんでもないただのビーズ」の一種かな。
丸小ビーズや丸大ビーズは、タティングレースやあみもので使はうと思つて買ふので、いきほひ、おなじ色おなじサイズのものをあるていどの量買ふことになる。
イヤリングとか携帯電話のストラップのたぐひなら、ちよこつとあればいいのかもしれないが、生憎とさういふものを作る趣味がない。たまに作りたいと思ふことはあるけれども。
そんなわけで、買ふ→使はない→さらに買ふ→でも使はない、といふ負の連鎖によつて、かくの如し、といふわけである。
ところで、二月ごろ、愛用の時計のひもが切れてしまつた。
Mondaineの首からさげるタイプの時計である。
金具から糸が抜けてしまつただけかと思つたら、金具の中で切れてゐた。
それぢやあなんか作らうと思つてすでに半年以上が過ぎ去つてしまつた、といふわけだ。
四月ごろ、糸は買つてあつた。
歌舞伎座で第一部を見たあと、越前屋に寄つて、佐賀錦の黒を買つた。
これを使ふつもりでゐた。
ビーズは黒だな。
できればスリーカットがいい。
さう思つたが、手元には黒いスリーカットビーズはなかつた。
先月、やつと見つけて買つた。
「見つけて」とか書いてゐるが、なに、行くところに行けばすぐに買へるのである。行く手間を惜しんだのだ。
また、金具にも困つてゐた。
もともとの金具を使ひたいのだが、うまいこともとからささつてゐる糸を抜けない。
金具はなにか別のものを用意するやうだ。
といふので、これまた黒いビーズを買つたところで使へさうなものを見つけて買つた。
材料はそろつた。
材料はそろつて、連休もあつたといふのに、なにもしてゐなかつた。
いい加減ヤバいぞ。
心の聲がさういつてゐる。
そろそろ時計の電池が切れるころなのだ。
このまま切れたら、そのまま使はなくなつてしまふかもしれない。
といふわけで、先週の土曜日に作りはじめたのがこれである。
考へてみたら糸もビーズも使ひきれないほどあるのだし、失敗したり気に入らなかつたりしたら、また作りなほせばいいぢやあないか。
さう開きなほつて、作りはじめてみた。
ほんたうは、鎖状の細いものにしやうと思つてゐた。
たとへばスプリットリングがならんだやうなものとかね。
しかし、それではなんだかおもしろくない気もした。
せつかくタティングレースにするのだから、なにかタティングレースらしいものにしたい。
そんなわけで、七宝模様を採用したといふわけ。
なに、これで出来がよくなければ、スプリットリングをならべたものを作ればいいのだ。
いや、気に入つても、別のものを作るといふのはいい手かもしれない。
さうしたら、つけかへることができるぢやあないか。
ビーズはやはりいいね。
シャトルに糸を巻くときにビーズを入れる間隔を取りすぎたので、ひとつリングを作るごとにかなり糸をシャトルからほどいたりシャトルに巻き付けたりしないといけないのだが、それもまたよし、といふところか。
しかし、この連休中、このストラップ-to-beが進むことはなかつた。
いつになつたらできあがるのだらう。
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