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Wednesday, 02 October 2013

つる女あらためきよ女はよい文章を書くか

漢籍の教養は、ほんたうに文章を書くのに役立つのだらうか。

先日、ビジネス文章作法といふやうな研修を受けた。
そのときに、講師が「いまでもきちんと文章を書かうといふやうな人は、漢文を読んでゐる」といふやうなことを云ふてゐた。

ここのところやつがれは「史記」とか読んでゐる。酒の友である。なぜか「史記」と酒とは合ふ。おそらく、ヲヤヂなところが合ふのであらう。

講師の話を聞いて、「よかつたー、この話を聞く前に「史記」とか読み始めてて」と心底思つた。
こんな話聞いたら、読み始められないやね。
なんだか、「文章がうまくなりたい」といふ下心があつて読むやうぢやあないか。
そんな卑しい気分では、読みたいものも楽しめないよ。

ところで、ほんたうに漢籍を読むとよい文章を書くことができるやうになるのだらうか。
実は、以前からなんとなく疑問ではあつた。

このときの講師の話や山本夏彦の「完本・文語文」などでいはれてゐることは、「漢籍に親しむと、文章の構造がしつかりする」といふことだ。
短くて、伝はる文章が書けるやうになる、といふ。
山本夏彦によれば、中江兆民は、ルソーの文章は簡潔だが自分が訳したらさらに短くすることができる、と云ふてゐたといふ。
講師も、論語の一節を例に、漢文だと如何にすくない文字数で意味が伝はるか、といふ話をした。

簡潔な文章はよい文章である。
しかし、それと漢籍とはつながるのだらうか。

そこで思ひ出すのが落語の「たらちね」である。
漢籍の先生の娘を嫁にもらつたら、なにを云ふてゐるのかわからなかつた、といふアレだ。
この漢籍の先生の娘の喋るのは、ふだん父である先生が講義してゐるとほりなのだらうと思ふが、これがムダに長い。切れ目がない。
漢籍の教養、といふと、どうしても「たらちね」ははづせない。

さらに思ひ出すのが候文である。
「たらちね」は話しことばだから長くなるのだらう。書きことばならちがふはずだ、といふ意見への反証には、候文がいい。
候文はそのまま漢文といふわけではないが、漢籍の教養のある人が書いてきた文章だらう。
これがまたむやみやたらと長い。
「……候まま」「……候ひしに」「……候ところ」と、延々延々文章が続いていく。切れ目のないこと、「たらちね」のつる女あらためきよ女の如し、である。

切れ目がないといふのはどういふことか。
話し手がなにを云ひたかつたのか、書き手の云ひたいことはなんだつたのか、わからなくなる。
あまりに文章が長いと、主部と述部が一致しなくなる。助詞の使ひ方も間違へがちになる。
いいことはない。
つる女あらためきよ女も、もつと文章を短く切つてしやべつてくれればいいのだ。使つてゐることばがむづかしくても、短ければ、なんとなく類推のきくこともあらう。

たぶん、つる女あらためきよ女にしても、候文にしても、漢文と日本の古文とが融合した結果ああなつてしまつたのだ。
古文などを読むと、切れ目のない、いまの知識だけでは主語がだれかもわからないやうな文章が延々とつづくものがあつたりする。
これを「垂れ流し文」といふやうな呼び方をする人もある。やつがれはこれはこれでいいと思つてゐる。さういふ書き方をする人がゐてもいい。あるいは、ときにさういふ書き方をしてもいい。
さういふ文章が読んでもらへるかどうかはわからないけれど。

つまり、漢籍の教養があるからといつて、簡潔でわかりやすい文章が書けるとは限らない。
むしろ、「たらちね」のやうになつたりするんぢやあるまいか。

研修のとき講師の出した例は、漱石、鴎外、四迷などだつた。
それつてさー、当時でもものすごーく文章の書ける人つてことなんぢやないの? それと、我々一般とを比べても、そりやあ前者の方がよく書けるに決まつてるだらうよ。
たしかに、現在の文章家(と呼べる人がゐるとして)と比較したら、漱石とかの方がはるかに書けるのかもしれないが。
でもさー、ビジネス文書で目指すべきなのつて、漱石とかぢやないよね。漱石らの書いたものを読んで学ぶのはありだと思ふけど、あれを目指すのはなにか違ふよね。

そして、例を示せないからなんともいへないけれど、漢籍の教養があつても、ちやんとした文章の書けない人はいくらもゐたんぢやあるまいか。

冒頭の講師のことばを思ひ出してみやう。
「きちんと文章を書かうといふやうな人は」とことはつてゐる。
きちんと文章を書かうといふやうな人は、すでにあるていど文の書ける人だらう。
さういふ人があらためて漢籍に親しむやうになれば、もしかするとよい文章が書けるやうになるのかもしれない。
しかし、もともと滅茶苦茶な文章を書いてゐる人や「よい文章を書かう」といふ志のない人が読んでも、ダメなんぢやないかなあ。ダメではないとしても、結果が出るまでに時間がかかるんぢやあるまいか。

こどものころからやつてゐる、とかならまだしも、ね。

いつの世も、文章家もゐれば、その反対の人もゐたらう。
さう思はれてならないのだが、如何に。

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