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Thursday, 31 October 2013

息をのむやら見惚れるやら

日々ちよこちよこと「人形劇三国志」を見てゐる。
大抵は寝入り際にニ三分だけ、前の日のつづきを見る。
いまは第十四回と第四十回とを見てゐる。

第十四回は玄徳が都から徐州に逃れて袁術を討つあたり。
第四十回は曹操対馬超。人形劇ではこの回で夏侯惇が片目を失ふことになる。もうないんぢやないかと思つてゐたがなー。

これは呟きもしたのだが、さうやつて見てゐると、関羽が出てくるたびにため息をつくやら息をのむやらでいそがしい。
わかつてゐるのに、である。
なんだらう、やはりあの髯が豪華だからだらうか。
そのやうすのよさに見とれること一度ならず。
人形としてのトータルな出来はともかく、人形劇に出てくる関羽は文句なく男前だ。いや、「漢前」とでも云ふべきか。
カメラ写りがいいのかもしれないなあ。
人形と人形遣ひとカメラパーソンとのchemistry、なのかもしれない。

第四十回では馬超も妙にやうすがいい。
見てゐて、「無駄にやうすがいいし無駄に強い」と思つてしまふ。
なぜか「無駄に」といふことばが前につく。
負けるとわかつてゐるからか。あるいは今後それほど活躍するわけでもない、といふことを知つてゐるからか。
このあと馬超の見せ場つて、張飛との一騎打ちくらゐな気がする。いつのまにか死んでるしね。

趙雲は見るたびにさはやかで颯爽としてゐて、これまた毎度のやうに惚れ惚れするやうな若武者ぶりに見とれてしまふ。
これもわかつてゐるのである。
趙雲つてさういふ感じだよね、とわかつてゐてもさうなつてしまふ。
人形自体はどちらかといふと地味な感じだ。
先月飯田で見てきて、端正な横顔にどきりとしたりはしたけれどね。
それが動いてゐると、実に、かう、すてきなんだなあ。

ところで、飯田市川本喜八郎人形美術館の学芸員曰く、最高傑作は諸葛孔明である、と。
その孔明の最高傑作ぶりが遺憾なく発揮されるのが、第六十四回だ。
そこまでは、なんといふか、「眠たい顔のをぢさん」といふのが孔明の印象だつたりする。
とくに初登場のときの真正面を向いた顔が眠たさうなんだよね。
ついさつきまで寝てゐたからか。
ま、いつか。

第六十四回だけは、なんだか別人のやうにいい。
どのカットを見てもどのアングルを見ても、はた云ふべきにもあらず、といつたよさだ。
孔明なので、「いい男」に見えたり「かつこよく」見えたりするわけではない。
ただ、なんかもう、いい、のである。
ちよつとした顔の角度、なんといふことはない所作、袖をかろくはらつたり、羽扇をふつと顔に寄せたり、そんなことはこれまでの回でもさんざん見てきたことだといふのに、この回だけは別もののやうに見える。

人形劇三国志では第六十四回で玄徳が死ぬ。
正直云つて、ここで終はつておけばよかつたのに、とつねづね思つてゐる。
このあとさらに四回つづくのだが、どれもつつこみどころ満載でねえ。
人形劇三国志自体がつつこみどころ満載といへばそれまでなのだが、最後の四回は休むいとまもなくつつこめてしまへさうな気さへする。
強いていへば第六十七回の馬謖の死の回だけは、馬謖を中心に据ゑて見るとそれなりにいい出来かとは思ふが、それくらゐかなあ。

今回あらためて第六十四回を見て、もう「すごい」としか云へない孔明のやうすを目の当たりにし、「やつぱりここで終はつておくべきだつたねえ」としみじみ思ふのだつた。

たぶんこの先どこかでつづく。

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Wednesday, 30 October 2013

さとりの境地

この秋冬は、まだあみものの新刊を買つてゐない。
店頭で見かけて、「いいなあ」と思つてゐる本は何冊かある。
しかし、いづれも購入には至つてゐない。

あみものへの愛が冷めたのか。
それはあるかもしれない。
この夏はまつたくといつていいほど編めなかつた。
ここにも毎週のやうに書いてゐたかぎ針編みのスカーフだが、最後の四玉目に入つて、そのままになつてゐる。ここでやめるには長さが足りない。しかし、これまでの進捗具合を考へると、最後まで編み切るにはあと一ヶ月はかかるだらう。
なんとなく、このままになつてしまふのではないか、といふ気もしないではない。
まあでも、ここまで編んだからなあ。なんとか編みあげたいものである。

そんなわけで、もしかするとこの秋冬は、あみものの新刊を一冊も買はないのではないか、といふ気がしてゐる。

なぜか。

本を買はなくても、編みたいものはいくらもあるから。
それが理由だと思ふ。

買はなくても、すでに手元には山のやうにあみものの本がある。
その中から選んで編んでゐても、このまま不自由なく暮らしていけるだらう。
それに、これまで編んだものを見てゐると、いはゆる「フリーパターン」のものが多いんだよね。
前回編んだViking Socksもさうだし、いま編んでゐるラグラン袖のリブタートルセーターもさう。
セーターは、フリーパターンといひながら、首から輪で編む方法に変へたので、結局自分であれこれ計算して編んでゐる。

なんか、もう、それでいいかなつて。

去年も二枚ほどメビウス編みのマフラーを編んだ。
きつと今年も編むだらう。

ほんたうに、もう、それでいいかなつて。

といふのは、いまだけの気分で、なにかのきつかけに怒濤の物欲が蘇つて何冊も本を買ひこんでしまふ可能性もないわけぢやあない。

あと、まだ「手編み靴下研究所」を見かけてゐない。
見たら買つちやふかもなー。
そんな風にも思つてゐる。

いまのところ、買ふだらうなあと思つてゐるのは、「メキッキオヤのアクセサリー」だ。
多分、自分で作ることはないけれど、資料として買ふだらう。
そんな気がする秋のゆふぐれ。

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Tuesday, 29 October 2013

忘れたくない忘れること

例によつてタティングレースはこれといつて進んでゐない。
蔓日々草色のモチーフつなぎだけは毎日昼休みにちよこちよこ作つてゐるので、遅々として進んではゐる。
それだけである。

かうなつてくると、不安になつてくることがある。
「もう自分はタティングレースを仕上げることができないのではないか」といふことだ。

杞憂。
さう、これこそまさに杞憂である。
うーん、やつがれは杞の人ぢやないからなんだらう。日憂? それぢやあ器が大きすぎるか。
もとい。

あみもので、くつ下を編む理由のひとつもそこにある。
仕上げ方を忘れたくないのだ。
仕上げ方といふのは、技術的なこともさす。メリヤスはぎだの伏せ止めだの端糸をくぐらせることだの、水通しして整形することだの。
かういふことは、やらないと手が忘れていく。やると思ひ出すけどもね。しかし、もともと苦手だつたメリヤスはぎなどは、ちよつとやらないと著しく劣化する。もうそれは目を覆ふやうな仕上がりになる。

しかし、仕上げ方といふのは、技術的な問題だけではない。
あまりにも仕上げることから遠ざかつてゐると、仕上げやうといふ気持ちをも忘れてしまふのだ。
すくなくともやつがれはさうだ。

昨日も書いたが、いまセーターを編んでゐる。
昨日も帰宅後、すこし編んだ。増やし目の段は残り一段と半分くらゐ。やはり平日はなかなか進まない。
今朝、編みかけのセーターを見て、ふと「自分はこれを完成できるのだらうか」と不安になつた。
先はまだ長い。
これから袖の部分を休めて、胴体部分の減らし目に入る。減らし目が終はつたらまた増やし目。そして、裾まはりの伏せ止めだ。
裾まはりの伏せ止めはどうしやう。できればゴム編みの伏せ止めにしたいけれど、それだと長すぎてうまくできないかもしれない。普通に目にしたがつて伏せ止めをするか。
それが終はつても今度は袖が残つてゐる。それも二本もある。

そんなことを考へてゐたら、気が遠くなつてしまつたんだな。
ここまで編んでこられたのだから、編めないはずがない。
しかも、編み終はつたと同時に着られるものができるのだ。
きつと編める。
毎日すこしづつでも編んでゐれば、いづれ編み上がる。
さうも思ふ。

しかし、おそらくやつがれは、「仕上げる」といふ心を忘れかけてゐるんだな。
よく「はじめ半分」といふ。
なにごとかに着手したらもう半分できたも同然、といふことだ。
それはそのとほりかと思ふ。
はじめなければ、なにごともできあがらないからだ。
その一方で、「十里の道を行くには九里をもつて半ばとすべし」といふことばもある。
これもよくわかる。
あみものなどをしてゐると、こちらの方が実感として強く感じる。
あみものは、編み上がつたらそれでできあがりではない。
とじたりはいだり端糸の始末をしたり、整形したりといふ作業が待つてゐる。
そこまで全部があみものだ、といふ人もゐるかもしれない。
残念ながら、やつがれにはさうは思へない。
編み針を使つてゐるあひだが「あみもの」。
さういふ気がする。

さうすると、たとへば普通にセーターを編む場合は、編み上がつてやつと半分くらゐといふことになる。
そこから脇をとじて肩をはいで、首回りなどを編んで、それでやつと着られる形になる。
このとじてはいでが異様に時間がかかる。
仕上げの作業だからだ。

ものごとを仕上げる、といふことは、それまでより時間も労力も要するもの。
さう思つてゐる。

さういふ心構へつて、やつてないと忘れちやふんだよね。
すくなくともやつがれは。

そんなわけで、ちよつと横道にそれてタティングレースの栞でも作つてみやうかなあと思つたりてゐる。
すつかり失念してゐたが、この週末は三連休なのらしいし。

それよりも、ビーズタティングをすすめるべきかなあ。

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Monday, 28 October 2013

慌てず急いで正確にな!

土日と家にこもつてしまつた。

もともと、こもりがちである。
ゆゑに、日々気をつけて、土日のどちらかはできるだけ出かけるやうにしてゐる。
夏のあひだは家の中の暑さに耐へかねて、両日出かけてゐたこともある。

いい季節になつたんだな。
と、いひたいところだが、この土曜日は颱風が来るといふのでこもつてしまつた、といふところだ。
午後には出かけてもいいかな、といふくらゐの天気にはなつてゐた。
しかし、午後から出かけると、帰りが遅くなる。
そして、帰りが遅くなると、必然的に寝る時間も遅くなる。
むかしはそれでも出かけたんだがねえ。夕方から片道三十分くらゐかけて歩いて本屋まで行つて、戦果なくむなしく帰宅の途につく、などといふこともあつた。

こもつてなにをしてゐたのかといふと、あみものである。
先日編みはじめたラグラン袖のリブタートルネックセーターをせつせと編んでゐた。

すでに書いたやうに、首から輪に編んでゐる。
現在、一番一段の目数の多いところにさしかかつてゐる。
前身頃と後ろ身頃、それに両袖の四カ所に増やし目がある。三段ごとに十六目増える寸法だ。
途中までは三段ごとに一段の目数を数へてゐたが、途中でやめた。
昨日はかつてみたら、一段編むのに十二分かかつてゐた。
それもはかるからといふので、できるだけ途中で余分なことをしないやうにして、だ。
つまり、一段編むのに十五分はみた方がいいといふことだ。
その時点で、増やし目の段は残り十一段。
今日中には終はらないな、と思つた。
ちなみに、将棋のNHK杯を見ながらはかつてゐた。
午前中のことである。

あと二時間半はかかるといつても、午後まるまる編めば増やし目の段は終はるだらう。
だが、まあ、「編んでばかりゐた」と書きはしたが、実際人間そんなに編んでばかりゐるわけでもない。
家の用事もあるし、本だつて読みたい。ほかにもいろいろやらねばならぬこと、やりたいこともある。

とは思へども、その一方で、いま増やし目の段を終はらないと、この先進まないぞ、といふ気もした。
平日は、なかなか十五分もまとまつた時間をとることはできない。
できなくはないけど、むづかしい。
さうすると、細切れの時間でちよこちよこ編んで、増やし目の段は今週いつぱいで終はればいいかなあ。
そんな感じになる。

といふわけで、結局せつせと編み進めたわけだ。
ところが、午後七時半ごろ、そこかしこに表目と裏目を編みまちがへてゐる部分があることが判明した。
そこからまちがへた部分だけまちがへたところまでほどいて、といふよりは目を落として、ただしく拾いなほして、なんてなことをやつてゐたら、あつといふ間に「八重の桜」が終はつてゐた。
普段は見ない番組である。
「ダーウィンが来た!」を見てゐるときに修正をはじめて、そのまま見続けてしまつたわけだね。
池田成志が出てるならいつてよ、と思つたりした。

ニ目ゴム編みのまちがひは、目立つからねえ。
ほかのことなら「ま、いつか」ですませるところである。
表目と裏目と、まちがつてたつてたいしたことないぢやん、と思ふ。
そこは味だよ、味、ですませられることも多い。
#そんなことはないか。

しかし、ニ目ゴム編みはさうもいかない。
かのこ編みもさうだらうか。
全部メリヤス編みとかだと、案外アクセントになつてよかつたりする場合もある、と、云ひわけすることもある。

それにしても、なぜまちがへたりするのか。
しかも、まちがへて、なぜ何段も編むまで気づかないのか。
我ながらふしぎである。

まちがへることがあるから、できるだけ編みかけにするときは次は表目の最初からはじめるところでおくことにしてゐるのに。
もちろん、毎回必ずさうできるわけでもない。
さういふときにまちがへてしまふのだらうか。
むむー。

そんなわけで、増やし目の段も残り三段。
このあと袖の部分の目は休めることになるし、減らし目の段がはじまる。
そこで気をゆるしちやふとまた編みまちがへの嵐になりさうな予感がする。

この冬は例年より寒いのらしい。
そのまへにできあがるといいんだがなあ。
慌てず急いで正確にな、といつたところか。

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Friday, 25 October 2013

老いるといふこと

もう新しいものは好きになれないのかもしれない。
いつからだらう、さう思ふやうになつた。

COWBOY BEBOPをはじめて見たときから、だらうか。
TVをつけたらたまたまやつてゐた番組に、なんとなく見覚えがあつた。
ああ、これはもしかしてJ9基地!
と、思つたら、BEBOP号の中だつた。
といふところからやつがれのCOWBOY BEBOP視聴ははじまる。
あの時にJ9基地だ、と思はなかつたら、チャンネルをかへてゐたらう。

TIGER&BUNNYは、たまたま見た回がとつても「シメール」だつた。
見てゐたら、キャシャーンでテッカマンだつた。

最近見てゐるのは人形劇三国志ばかり。
読んでゐるものも、まあ、そんなところだ。

歌舞伎はもう何年も見てゐるし、何しろ見はじめたころ「知つてる人がたくさん出てゐる!」と思つた。
はじめて見た丸本物は「逆櫓」で、樋口二郎は義仲の部下、最後には畠山重忠も出てくるのだつた。
幼い日、本でなんども読んだなつかしい人々だ。

なにか新しいものを、と思ふ。
思つて見聞きして、「ああ、これはあの作品だね」とか「ここはあの作品とおなじか」と思ふ。
なにも新しくない。
昔から知つてゐるものとかはるところがない。
自分はさういふものが好きなのだ。ゆゑに仕方がないのだらう。

世のニュースもなにひとつ新しくない。
手をかへ品をかへ、ところをかへておなじことが起こつてゐる。

「新しいこと」にはさして意義はないのだらう。
自分の好きなことや好きなものを大切に思ふていくしかないのかもしれぬなあ。

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Thursday, 24 October 2013

ペンと手帳と文字と

次の手帳や来年の手帳をどうしやう。
近頃はそんなことばかり考へてゐる。

いま使用してゐるSmythsonのPanamaをあともう少しで終はつてしまふ。のこり二十ページくらゐかな。ここから先が長いこともあるし、あつといふ間に終はつてしまふこともある。
今回は、あつといふ間に終はる方かもしれない。
といふのは、ペンがとてもよくなつたり増えたりしてゐるからである。

先日、愛用してゐる中屋万年筆のペンを調整してもらつたところ、これが見違へるやうな書き味になつた。三年前の二月に求めたもので、買つて帰つたその日から、「なんだかとつても自分つぽい字が書ける」と思つて日々使つてゐる。
ふしぎなもので、といふか、当然といふべきか、筆記用具によつて、自分の書く文字は大きく変はつてくる。
鉛筆で書けば鉛筆の、その鉛筆だとて、まだ長い鉛筆で書けば長い鉛筆で書いたときの、短い鉛筆で書けば短い鉛筆で書いたときの、硬い芯なら硬い芯の、柔らかい芯なら柔らかい芯の文字になる。
我ながらおもしろいくらゐに字は変はつてくる。

筆記具がおなじでも、紙が違へばまた違ふ。
おなじノートでも右側に書いたときと左側に書いたときではちよつと違ふし、ノートの上方に書いたときと下方に書いたときでもまた違ふ。

できればおなじ字を書きたい。
さうも思ふ。
でもまあ、かういふちよつとしたところで変はつてくるのも人間ゆゑだよな。
人間の証明といふことで、楽しむことにしたい。

そんなだから、ペンが違へば、これはもう、如実に字は変はつてくる。
いま手持ちのペンの中で、一番自分らしいなあと思ふ字を書けるのがその中屋のペンだ。ペン先は細軟。軸は碧溜十角のピッコロである。
中屋のペンは短いピッコロでも、キャップを尻にさせば筆記時には十分な長さになる。また、それなりに太さがあるので、手にしたときにゆつたり持つて書くことができる。
どのあたりが自分の字つぽいかといふと、漢字の横に長い線の書き出しと、右への払ひ、かな。あ、あと縦線の書き出しも、だ。
ちよつと細く鋭角な感じの書き出しになるんだよね。
字全体の形もほかのペンに比して好きな大きさといふかバランスといふかになる。

ぢやあそのペンだけでいいぢやん、といふことにならないのが業の深いところだね。

自分らしくない字、と書いては大げさだが、この中屋のペンにくらべると自分らしくない字の書けるペンは、それはそれでおもしろい。
このペンではこんな字、みたやうなのがね。
きつと他人が見たらわからないだらう違ひだらう。でも書いてゐるとあきらかに違ふ。
そんなわけで、調整だけのつもりで行つて、あらたなペンを増やしてしまつたのだが、それはまた別の話。ちなみにペン先は中軟にした。前回買ふときに細軟と中軟で最後まで悩んだからだ。

手帳のことを書くつもりが、ペンのことばかりになつてしまつた。
むむ。

次の手帳が決まらないのは、使ひたいペンが多すぎるからだ。
すぱつとMoleskine、と決めてしまへればいいのだけれど、ペンの選択肢がかぎられるのが、なあ。
それで、いまは据ゑ置き用に使つてゐるほぼ日手帳を来年は持ち歩くことにして、Moleskineで使へないペンはほぼ日手帳で使ふやうにしやうと思つてゐるのだが。

しかし、ほぼ日手帳は重たいよなあ。
持ち歩くつもりでこんなカヴァを買ふてしまつたが、これがまた結構重たい。

カンダミサコの文庫サイズ手帳カヴァとほぼ日手帳用ヌメ革カヴァ


カンダミサコの文庫サイズ手帳カヴァだ。
Pen and messagesで求めた。
ミネルバボックスの色はオルタンシア。中はブッテーロのネイヴィーである。
これを持ち歩くには、かばんを考へないと、なあ、とは、以前から書いてゐるところ。

それに、いまは据ゑ置きで使つてゐるけれど、持ち歩くなら中に書くこともちよつと変へたいな、と思つたりしてゐる。
うーん、もう十一月もすぐそこだといふのに。決まつてゐないとは。
まあ、持ち歩いてゐれば書くことはそのうちそれなりに変はつてくるとは思ふがね。

ところで、ミネルバボックスのオルタンシアではおなじカンダミサコのコインケースを使用してゐる。
いつ買つたんだつけな。二年前くらゐだらうか。
だいぶ色が変はつてしまつて、カヴァとくらべるとこんなに違ふ。

カンダミサコの文庫サイズ手帳カヴァとコインケース

カヴァもこんな色になるのかな。
それもまた楽しみである。

書くだけ書いてなにも決まらない。
開くだけ開いてなにも決まらない国会のやうなことになつたところで、本日は閉会したいと思ふ。

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Wednesday, 23 October 2013

Tat in Public

ニ目ゴム編みには中毒性がある。
夕べ、そんなことを考へてゐた。

ラグラン袖のリブタートルセーターを編み始めた話はすでに書いたとほりである。
黒くて中細に限りなく近い合太毛糸をひたすら輪にニ目ゴム編みする、といふのは、かなりの挑戦だよな、と、はじめる前から思つてゐた。
途中で挫折する可能性も十分ある。
さうも思つた。

ところが帰宅後、編みかけを手にとつてみたらばこはいかに。
延々と編みつづけてしまふぢやあないか。

編みつづけてしまふのは、三段でニ目増やす、といふなんだかちよつと不規則な増やし目のせゐもある。
うまいこときりのいいところで終はらないと、なんとなく気持ち悪い。できれば、増やし目のない、ただ編むだけ段で編みかけにしたいところだ。

それも理由ではあるけれど、やはり、ニ目ゴム編みのもつリズム、だな。
あのリズムが、編む手を休ませてくれない。
そんな気がする。
そんなわけで、だんだん一段の目数が増えてゐるのであまり進みはしないが、それでも遅々として進んでゐる。
妙な日本語ではあるが、そんな調子なのだ。

といふわけで、タティングレースは全然進んでゐない
先日ここにも書いたビーズタティングのエジング(なのかなあ)は、とくに進んでゐない。
もう仕上がらないのかも。
ちよつと弱気になるほどである。

もうひとつ、蔓日々草色のモチーフつなぎものは、なんとなく進んでゐる。
昼休みにちよこちよこ結んでゐるからだ。
また、土曜日に紅茶を飲みながらすこし結んだのもよかつたのかもしれない。

土曜日に、ディンブラに行つた。
藤沢駅から徒歩10分くらゐのところにある紅茶専門店である。
などと、書くまでもないか。
紅茶好きなら知つてゐるだらう。

夏の間は湯を沸かすだけでも暑い。よつて紅茶もほとんど飲まない。
涼しくなつてきて、そろそろいいだらうと思ふやうになつて、それで近くまで行つた折りにふらりと立ち寄つてみた。

お昼ご飯とおやつとの隙間時間だつたのだらう。いつになく空いてゐた。
まづは、ワッフルと一緒にイングリッシュ・ミルクティーを頼む。
はじめて行つたときに、季節のワッフルとイングリッシュ・ミルクティーを頼んで以来、どうもおなじものを頼んでしまひがちだ。
季節のワッフルは、その時々によつて食べられないものがのつてゐることがあるので頼まないこともある。
今回は、クロテッドクリームのワッフルにした。

イングリッシュ・ミルクティーは、ウバがちやうど入荷したばかりのものといふことだつた。
これが、つねにないすつきりとした味はひで、たいへんおいしかつた。
ウバつてもうちよつと渋みがあるんぢやないかな。
さう思つてゐたら、どうやら今年は雨が多かつたせゐで、例年よりまろやかな味に仕上がつてゐるのらしい。
さういふものなのかー。

ワッフルを食べてしまつたあとは、ポットにまだたつぷり残つてゐる紅茶を飲みつつ、ここに来る前に調整してもらつた萬年筆の書き味を楽しんだり、タティングレースをしたりしてみた。

さう、タティングレースをしてみたりした。

以前、「途中でやめるとき」で、タティングレースを途中でやめる場合、絶対リングで終はらせたい、といふ話を書いた。
だから、病院の待合室など、いつ中断する必要が生じるのか読めないときは、タティングレースは自分には向かない、とも書いた。
では出先ではタティングレースをしないのか、といふとさに非ず。
えうは、やめるタイミングを自分で決められるなら問題ないのである。
だから職場で昼休みにタティングするし、喫茶店でもする。

考へてみたら、ディンブラではいつもタティングしてるかもしれないなあ。
かばんの中にはたいていタティングの道具が入つてゐるし。

あと三つモチーフを作ると、三つのモチーフつなぎのドイリー同士がつながることになる。
あまり焦らずにすこしづつ増やしていくつもりだ。

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Tuesday, 22 October 2013

Viking Socks

先週、くつ下を編みあげた。

Viking Socks

ものはこれ(rav)
糸はパピーのNew 4Ply col.450、針は2.75mmの五本針を使つた。

ここで何度か書いたとほり、突然縄編みをしたくなつて編みはじめたものである。
前と後ろとそれぞれことなる縄編み模様が入つてゐて、ちいさいながらも編みごたへはたつぷりだ。
つまり、それなりに時間がかかる。
久しぶりの棒針編み、久しぶりのくつ下といふことで、思つたより時間がかかつてしまつた。
三週間、かな。

糸はもうずつと長いこと手元にあつたものだ。
即使ふつもりで一時すぐ手に取れるところに出してゐたのだが、結局放置してしまつた。
そのせゐか、袋には入つてゐたものの、日に焼けてしまつてゐる部分がある。
でもまあ、それもheatheredといつた感じの効果が出てゐるかな、と思へばいい。
前向きだなあ。
実際、編んでみたら気にならなかつたしな。

編みはじめてからといふもの、気温の乱高下があつた。
編みあがつた翌日は、突然冷えた。
それで早速履いてみた。
毛100%はやはりあたたかいやね。
くつ下はしよつ中洗ふ。それを考へるといはゆる「くつ下毛糸」を使ふた方がいい。
くつ下毛糸は大抵化繊混である。
それでも十分あたたかいことはあたたかい。
実用を考へたらくつ下毛糸だよなあ、とは思ふ。
しかし、毛100%にも抗し難い魅力がある。
つまり、どつちもいいよね、といふことだ。

くつ下を編むのはほんたうに久しぶりだつた。
どうやら最後に編んだのは今年の三月らしい。

透かし編みのくつ下

さういへばこのくつ下は編んでから履いてないなあ。
この冬おろすか。

Viking Socksのあと、セーターを編みはじめた話は昨日書いた。
さう決めてゐたからだ。
でも、くつ下つて一足編むとまた次も編みたくなるんだよね。
すくなくともやつがれはさうだ。
以前も書いたやうに、Magic Loopで一足同時編みを何年かぶりにやつてみたいんだなあ。
手が忘れてゐる気がするからだ。
編んでゐれば思ひ出すだらう。
とりあへずくつ下毛糸は手元にたくさんあるし。

セーターに飽きてきたところで、くつ下をはじめてみるかな。

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Monday, 21 October 2013

セーターの季節

Rib Turtle Neck Sweater in Progress

突然寒くなつてきた。
十月とはこんなに寒い月だつたらうか。
もしかして、だんだん気温が下がつてきてこの温度、といふのなら耐へられるのか。

この週末はそんなことを考へてゐた。

先週の木曜日、以前から書いてゐたたたとたた夫さんのラグラン袖のリブタートルネックセーターを編み始めた。
「たたとたた夫さんの」、と書きはしたけれど、首から編み始めてそのまま輪に編むつもりである。
できあがるセーターは、もしかしたら似たやうなものになるかもしれない。
といふのは、現時点できちんと形になるかどうかとても不安だからだ。
晴れて似たやうなものになつたとして、でもそれはたたとたた夫さんの作品とは似て非なるものになるのだらう。

なにしろ、黒い糸で長い綴じがあるなんて、ちよつと耐へられさうにない。
だいたい、ニ目ゴム編みを編むだけだつて結構難儀をしてゐるといふのに。

そんなわけで、三連休のあひだにいろいろ頭をしぼつて計算して、首から輪に編む計算をした、とは、前回も書いたとほりである。
その計算にしたがつて首を編みはじめたところ、なんだか太いやうな気がした。
まあ、首回りのゆつたりしたセーターもあることだ。それはそれでいいだらう。
さう思つて編みすすめてゐたところ、どうやらそれなりのサイズになつてきた。六号針で編むところ、作り目には八号針を使つたので、それで少し大きく感じてしまつたのかもしれない。
作り目はゴム編みの作り目にした。表裏表裏……と作り目をして、一目編んで一目すべるを二段くりかへし、三段目でニ目めの裏目と三目めの表目を入れ替へる作り目である。
ニ目めと三目めを入れ替へずに編むと一目ゴム編みの作り目になる。
ゴム編みをするときはたいていこの作り目で編み始める。

首の終はりのところで増やし目をするのだが、これの計算がまた難儀でなあ。
分散増目をしたのだが、うまいことニ目ゴム編みの一模様四目が終はつたところに増やし目を入れる計算にならなかつた。したがつて、数へながら目を確認しながら増やした。
それだけでもかなり目にくるので、脇の綴じを回避したのは正しい判断だつたと思ふ。

写真はその分散増目が終はつて、増やし目を入れるところに目数リングを入れたところ。目数リングといひながら段数リングを使つてゐるが、なに、細かいことは気にするな。

このセーターはニ目ゴム編みなので、手にとればそれなりに進む。
問題は、これから一段三百目とかになるので、なかなか進まないといふことだらう。
それに耐へていけるのだらうか。
謎である。

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Friday, 18 October 2013

都内一のパワースポット

渋谷、新宿、池袋にはできるだけ立ち寄らないやうにしてゐる。
乗り換へでさへもでき得るかぎり避ける。

渋谷については、「さうしてきた」といふべきだらうか。

去年の六月、渋谷ヒカリエに川本喜八郎人形ギャラリーができて以来、いや、個人的には同年の八月におなじくヒカリエにある渋谷区防災センターで人形劇三国志の上映会に行つて以来、渋谷には行くやうになつた。
本人には、「渋谷に行く」といふ意識はないのだが。

それまで渋谷といふと、シアターコクーンとか青山劇場とかに用のあるときにだけ行くところだつた。
年に一度あるかないか。
新宿や池袋もそんな感じで、芝居見物の用がなければ行くことのない場所だ。

はじめて川本喜八郎人形ギャラリーに行つたときは、それだけを目当てに行つた。
八月の上映会は、シアターPARCOで三谷幸喜の「其礼成心中」を見たついでだつた。
ついでの方がつよく印象に残つた、といふ話は何度も書いたとほりである。
なにしろ赤壁の戦ひの回だつたからねえ。
さすがの三谷幸喜も赤壁の戦ひの前には影の薄くなるものらしい。

川本喜八郎人形ギャラリーはしかし、そんなに広いところではない。
現在飾られてゐる人形も全部で四十体前後、それも赤子や幼児をふくめて、だ。
見るのにそれほど時間もかからないし、一度さーつと流せばいいやうな感じではある。

しかし、なんとなくいいんだよなあ。
たとへば仕事帰り。
頭は痛いし疲れてゐるし、もう今日は立ち寄るのはやめて家に帰らう。
さう思ひつつもふらふらとヒカリエの8Fにたどりつき、そこにゐる面々を眺めるともなしに眺めてゐると、なんとはなしに気分がほぐれていく。

最初は気のせゐかな、と思つてゐた。
なにしろ渋谷はものすごい人である。
「今日の渋谷はたいへんな人ですこと」と、毎日毎時のやうに云つても足りないくらゐすごい。
颱風のときなど渋谷駅前のやうすがTVに映し出されることがあるが、「こんな天気なのに、こんなに人が歩いてゐるなんて」と驚くことがあるほどである。
人混みにさらされれば頭痛はつのるし気疲れもする。
しかるに、かう、気持ちのふはーつとかるくなるやうな、この感覚はなんなのだらうか。

好きだから。
さう云つてしまへばかんたんなことなのだが。

なにかあるね。
川本喜八郎人形ギャラリーにはなにかある。

たとへば前の展示のときには、平家物語には祟徳院、三国志には関羽がゐた。
日中の誇る怨霊が、ひとところにゐたのである。
ケースは平家物語と三国志とでわかれてはゐたものの、そんなの、関係ないよね、あのふたりには。
かてて加へてその筋には「オカルト・パワー」で有名な孔明もゐた。
それつて、なんだかものすごいパワースポットなんぢやああるまいか。

当時はさう思つてゐた。
おそらくは、祟徳院の力と関羽の力とが互ひを打ち消しあつておだやかな気を作り出してゐたか、あるいは孔明がその「オカルト・パワー」とやらですべてを抑へこんでゐたのだらう。

いまは、関羽しかゐないけれど、なに、伝説の英雄・鎮西八郎が二体もゐる。
あそこにはものすごい気が集まつてゐるのに相違ない。

といふわけで、頭痛にはヒカリエ、疲れたら川本喜八郎人形ギャラリー、といふことでひとつ。

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Thursday, 17 October 2013

客子常畏人

何度か書いてゐるけれど、中村吉右衛門の朗読する「漢詩紀行」を毎晩のやうに聞いてゐる。
いまのところ、手元には第八巻と第十巻とがあつて、おもに聞くのは八巻だ。「酒に対してまさに歌うべし - 三国志のうた -」といふ副題がついてゐるからな。まあ、当然、はたいふべきにもあらず、といつたところか。

播磨屋さんの朗読で聞いて、あらためて「いいなあ」と思ふ詩もある、とはこれも以前書いた。
たとへば、曹丕の「雑詩」など、以前は眺めて終はりだつたが、いまはかなり気に入つてゐる。
播磨屋さんのおかげである。

三国志については「人形劇三国志」くらゐの知識しかないので、曹丕といふと、顔がふつくらまんまるで目のつりあがつた人、くらゐの印象しかない。あ、あと、皇帝になつたと思つたらあつといふ間に死んでしまふ、とかくらゐかな。

「三国志演義」を読むと、曹丕には兄がゐたことになつてゐる。父である曹操を救出する際に命を落としてしまふのだつた。
さういふ展開のゆゑか、場合によつてこの兄が大変出来のよかつたことになつてゐたりする。

曹丕にはもうひとり気をつけねばならない相手がゐた。
弟の曹沖である。
しかし、この弟もまた夭折してしまつた。

曹丕は思ふたらうか。
兄が死に、母が正室として迎へられ、自分が兄弟の中では一番年嵩になつた。父の跡を継ぐのは自分だ、と。

ところが、さううまくはいかなかつた。
別の弟・曹植がゐたからである。
詩才に恵まれた曹植は父から愛された。
と、ものの本には書いてある。

境遇はよくなつて、しかし、安心はできない。
曹丕はずつとさういふ状況にゐたのではあるまいか。
よつて、「客子常畏人」といふことになるのではないか。

曹丕の「雑詩」はかうである。

西北有浮雲 亭亭如車蓋
惜哉時不遇 適与飄風会
吹我東南行 行行至呉会
呉会非我郷 安得久留滞
棄置勿複陳 客子常畏人

西北の空に浮き雲がある 車蓋のやうな雲だ
残念ながら時機を得られず 飄風に吹き流されてしまふ
東南へと流されて 呉の会稽まで来てしまつた
会稽は自分のふるさとではない なんで長いこととどまることができやうか
だがそれはもう云ふまい 旅人はいつでも他人に気を許すことなどないのだから

たぶん、曹丕にとつては自分のゐる場所が常に「呉会」であり、自身は常に「客子」だつた。
つまり、いつでも「畏人」な状態だつたのではあるまいか。
そして、弟の方が父に好かれたのも、この常に「呉会」にあつて「畏人」の兄よりも可愛げがあるから、だつたのではないかなあ。

作品と作者とを同一視するのはあやまつてゐるとはわかつてゐても、さう思はずにはゐられないのだつた。

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Wednesday, 16 October 2013

くつ下編んでます

それにしても自分はなぜ、くつ下を編むのだらうか。

くだらぬこととは思へども、つい考へてしまふ。

編みはじめると、理由はわかる。
編むときの手の形および手の動きが好きなのだ。
短い四本針または五本針を手にして、ちくちくと細い糸を編む。
そのときの針の持ち方、針の動かし方は、通常の長い棒針を使ふときとはすこし異なつてゐる。
といつて、もう長いこと普通の棒針を使つたことはないのだが。
群よう子の「毛糸に恋した」を読んで以来、平編みをするときも輪針を使ふやうになつたからだ。本にもあるとほり、その方が肩こりも軽減されるし、気持ちの問題ではあるけれども若干軽い感じがする。
でもまあ、輪針を使つても、そんなに手の動きが変はるわけではない。
短い針で輪に編む場合、右の手の甲が心持ち内側に入る感じになる。
これがなんとなく好きなんだな。
また、一本の針にかかつてゐる目の数がすくないので、さくさく進む感じがあるのもいい。

くつ下はこものなので、少量の毛糸で比較的短い期間に編み上がる。
これもいい。

あみものでなにが一番大変か、といふと、編み上がつたあとの作業である。
編みはじめは、なにか編まうと思つたら一度はしなければならない。
したがつて、作り目といふのはわりとかんたんに身につくものである。
ところが、伏せ止めをはじめとする止め方やとぢはぎといふのは、編み上がらないと経験できないものだ。
編みはじめたものは必ず編み上げるといふ人はいいかもしれない。
残念ながらやつがれは編みはじめたものを編み上げられないことが多い。
とくにあみものをはじめたばかりのころは、編みはじめたはいいものの、途中ではふりだしてしまふものばかりだつた。

くつ下は、一足に一ヶ月とかかることがない。
大抵は土日に編みはじめてそれぞれ一週間づつ、あはせて二週間もあればできあがる。
さうすると、必ずなにかしら編み終はりの作業をすることになる。
つま先から編みはじめれば履き口のゴム編み止めを、履き口から編みはじめればつま先のメリヤスはぎを、どちらからでも踵をあとから編む方法をとれば踵のメリヤスはぎを体験することになる。

やつがれはメリヤスはぎが苦手だつた。
いまでも苦手だ。
だが、一時くつ下ばかり編んでゐたころには、それでもそれなりにまともなはぎができるやうになつてゐた。
ゴム編み止めもさうだ。
くつ下ばかり編んでゐたころは、一目ゴム編み止めも二目ゴミ編み止めも怖いことはなかつた。いまでも一目ゴム編み止めならすこしはまともにできる気がする。
下手の横好き、と思はないでもないが、習ふより慣れよ、ともいふ。
まあ、さういふことだ。

ところで上に書いたとほり、くつ下や手袋は四本針や五本針を使ふのが好きである。
輪に編む場合、主に以下の五つの方法があると思ふ。

  1. 輪針を使ふ
  2. 四本針または五本針を使ふ
  3. 輪針を二本使ふ
  4. 輪針でMagic Loopで編む
  5. 二本の棒針で編む

くつ下の場合、最初の「輪針を使ふ」はチトむづかしい。
クロバーにこもの用の短い輪針があることはある。しかし、針のサイズが限られてゐる。0号針とか1号針とか細い針で編みたい向きにはむかない。
といふわけで、くつ下や手袋を編む場合は、最初のひとつをのぞいた四つの方法のいづれかをとることになる。

輪針を二本使ふのも試してはみた。
やつがれには向かなかつた。
使つてゐない方の針がぶらぶらするのが気に入らないのだ。
ただし、この方法なら多少輪針の針と針とをつなぐケーブル部分が柔軟性に欠けてもあまり問題はない、といふ利点はある。

長い輪針でMagic Loop、は、四本針や五本針の次に好きな方法である。
縄編み模様のあるくつ下などの場合は、四本針や五本針だとうまく編み目を針に分散できないことがある。
そこのところ、このMagic Loopや上の輪針を二本使ふ方法なら問題がすくない。
Magic Loopの場合は、80cm以上の長い輪針を使ふことになる。
また、クロバーの匠のやうに針と針とをつなぐケーブル部分が硬いものは向かない。
最近では本邦でもMagic Loopのしやすいやうなケーブル部分の軟らかいものが手に入るやうになつてゐるやうだ。
以前はMagic Loop用に海外の店からAddiの輪針を注文したものだつた。

二本の棒針で輪にあむにはどうするかといふと、一目編んで一目すぺつてをくり返し、編み地をひつくり返したら前段で編んだ目をすぺりすぺつた目を編むやうにする。さうすると、輪になつてゐる、といふ寸法だ。
「アンナ・カレーニナ」にこの方法でくつ下を編むくだりが出てくる。しかも一足を同時に編むのだ。
やつがれは手袋の指を編むときにこの方法を使ふことがある。

四本針や五本針ではむづかしいが、その他の方法なら一足を同時に編むこともかんたんにできる。
どれが好きか、どれが自分に向いてゐるかは、実際に編んでみないとわからないことだ。
実際、やつがれも一時はMagic Loopばかりだつたこともあつた。
上記のとほり縄編みにはMagic Loopがいい場合がある。Magic Loopだと甲側と足の裏側にわけて編むことができる。甲と足とのあひだを目が移動するやうなことがなければ、Magic Loopがしつくりくる。
一度編んで気に入ると、つぎもMagic Loopを使つてしまふ。
そんな感じで「もう四本針で編むことはないかもしれないなあ」などと思つてゐたこともある。
ある日、何の気なしに四本針でくつ下を編んでみたら、これがなぜだか編みやすかつた。

Magic Loopだと、ケーブル部分をひつぱらないといけないのが、どうも、ね。
慣れるとこの動きが楽しかつたりもする。それで一時ははまつたわけだ。
しかし、ここらへんで一度Magic Loopで一足同時編みをやつてみるべきかもしれないな。
もう手が忘れてしまつてゐる気がするし。

ところで、くつ下を好んで編む理由のひとつに、夏でも毛糸で編めるから、といふのがあつた。
この件については以前も書いてゐる。
毛糸、すなはち羊毛などの獣毛を紡いだ糸で、といふことだ。
夏の糸はどうしても綿や麻、絹、あるいは化繊ばかりになる。夏用羊毛糸などもあるけれども数は少ない。
しかし、くつ下や手袋といつたこものなら、真夏の暑い時期にも毛糸を使ふことが可能だ。
編み地が躰につかないから、気温が高くても気にならないのである。

さういひながら、近年真夏にくつ下など編まなくなつてしまつた。
毛糸だけは山とあるので、夏はせいぜいくつ下でも編むことにしやうか。

その前に冬が来るのだが。

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Tuesday, 15 October 2013

我泣きぬれてビーズと戯る

いや、泣いてはゐないけれど。

なにを隠さう我が家で一番「死ぬまでに使ひきれないよな」と思ふものは、毛でも糸でもなく、ビーズである。

ビーズ。
あんなにちいさいのに。
いや、ちいさいからこそ、大量に仕入れてしまつて、使ひきれなくなつてしまふのだ。
おそるべし、ビーズ。

さういふ状況だといふのに、ここのところビーズをなにひとつ使つてゐないことに気づく。
使ひたいなあ、とは思ふのだ。
なんか、こー、いいでせう、ビーズつて。
ちいさくてきらきらしてて、さ。
以前から書いてゐるが、やつがれは普通の丸小ビーズとか丸大ビーズが好きだ。すなはち、そこらへんにあるなんの変哲もないビーズ、である。
「おじゃる丸」でカズマが「なんでもないただの小石がいい」といふ、その気持ちがよくわかる。
などと云ひながら、スワロフスキーとかも持つてはゐる。
あと、最近はスリーカットビーズが気に入つてゐる。スリーカットビーズも、まあ、「なんでもないただのビーズ」の一種かな。

丸小ビーズや丸大ビーズは、タティングレースやあみもので使はうと思つて買ふので、いきほひ、おなじ色おなじサイズのものをあるていどの量買ふことになる。
イヤリングとか携帯電話のストラップのたぐひなら、ちよこつとあればいいのかもしれないが、生憎とさういふものを作る趣味がない。たまに作りたいと思ふことはあるけれども。

そんなわけで、買ふ→使はない→さらに買ふ→でも使はない、といふ負の連鎖によつて、かくの如し、といふわけである。

ところで、二月ごろ、愛用の時計のひもが切れてしまつた。
Mondaineの首からさげるタイプの時計である。
金具から糸が抜けてしまつただけかと思つたら、金具の中で切れてゐた。
それぢやあなんか作らうと思つてすでに半年以上が過ぎ去つてしまつた、といふわけだ。

四月ごろ、糸は買つてあつた。
歌舞伎座で第一部を見たあと、越前屋に寄つて、佐賀錦の黒を買つた。
これを使ふつもりでゐた。

ビーズは黒だな。
できればスリーカットがいい。
さう思つたが、手元には黒いスリーカットビーズはなかつた。
先月、やつと見つけて買つた。
「見つけて」とか書いてゐるが、なに、行くところに行けばすぐに買へるのである。行く手間を惜しんだのだ。

また、金具にも困つてゐた。
もともとの金具を使ひたいのだが、うまいこともとからささつてゐる糸を抜けない。
金具はなにか別のものを用意するやうだ。
といふので、これまた黒いビーズを買つたところで使へさうなものを見つけて買つた。

材料はそろつた。
材料はそろつて、連休もあつたといふのに、なにもしてゐなかつた。

いい加減ヤバいぞ。
心の聲がさういつてゐる。
そろそろ時計の電池が切れるころなのだ。
このまま切れたら、そのまま使はなくなつてしまふかもしれない。

といふわけで、先週の土曜日に作りはじめたのがこれである。

Edging in Progress

考へてみたら糸もビーズも使ひきれないほどあるのだし、失敗したり気に入らなかつたりしたら、また作りなほせばいいぢやあないか。

さう開きなほつて、作りはじめてみた。

ほんたうは、鎖状の細いものにしやうと思つてゐた。
たとへばスプリットリングがならんだやうなものとかね。
しかし、それではなんだかおもしろくない気もした。
せつかくタティングレースにするのだから、なにかタティングレースらしいものにしたい。

そんなわけで、七宝模様を採用したといふわけ。
なに、これで出来がよくなければ、スプリットリングをならべたものを作ればいいのだ。
いや、気に入つても、別のものを作るといふのはいい手かもしれない。
さうしたら、つけかへることができるぢやあないか。

ビーズはやはりいいね。
シャトルに糸を巻くときにビーズを入れる間隔を取りすぎたので、ひとつリングを作るごとにかなり糸をシャトルからほどいたりシャトルに巻き付けたりしないといけないのだが、それもまたよし、といふところか。

しかし、この連休中、このストラップ-to-beが進むことはなかつた。
いつになつたらできあがるのだらう。

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Monday, 14 October 2013

三連休

三連休はいいのう。
なんだかのんびりできる。
今日は最後の日だ。暑さのため七月から中断してゐた散歩を再会してみた。
気候はいい感じなんだけれども、道々巨大な蜂に出会つて、再会するのはまだ早かつたか、と思つたりした。
どれくらゐ巨大だつたかといふと、離れたところから見て顔の雑作がわかるくらゐのデカさだつた。
なにしろ目が合つた気がしたくらゐだ。
彼女は複眼なので、「目が合ふ」といふのがどういふ状態をさすのかは謎だがな。

土日は、うだうだしてゐた。
うだうだしつつも、くつ下を片方仕上げた。

Viking Socks in progress

夏のあひだの編めなさを考へると、もう編み上げることはできないのではないかと危惧してゐた。
なんとかなるものだなあ。
土曜日などはまだひどく暑かつたし、日曜日も気温はさがつたとは云ふものの、日中の日差しはひどく厳しかつた。
それでも編めた。
十月だものねえ。
去年のいまごろは、すでにヴェストを仕上げてゐた。michiyoデザインの「編みやすくて心地いいニットのふだん着」の一番最初に出てゐるヴェストである。
ハマナカのアランツイードで編むので、さくさくと編めることは確かだ。極太だもんね。
しかも、苦手な肩口や脇のはぎ、前立てを編むときは、Twitterで「いまからはぐ」とか「いまから前立てを編む」と宣言してから着手してゐる。これはいい方法だつた、とは、以前書いたとほりである。

しかるに今年はなにひとつ仕上がつてゐない。
くつ下ももう片方をいま編んでゐるところである。
ここで幾度か編むと宣言してゐるたたとたた夫さんのラグランのリブセーターは、昨日やつと計算をした。えらく大変だつた。
計算結果がまちがつてゐると困るので、昨日はそのままにしておいて、今朝検算をした。まあ、いけるだらう。
これも前回書いたけれど、首から編みはじめるつもりでゐる。極力とじはぎのない方向で、と思つてゐる。
黒い糸で編んだものをとじはぎするだなんて、そんなの拷問とかはりない。
そしてやつがれはとじはぎが苦手なのだつた。

とじはぎの苦手な人間に、着るものを編むのはムリかな。
いまさらながらにそんなことを思つたりしてゐる。
一昨年は、かぎ針編みのカーディガンを編んだ。これはとじはぎなし。身頃はすべてつなげて編んで、袖は端から編み出す方法。前立ても身頃とつながつてゐる。
加へて模様は扇模様のヴァリエーションで、やつがれのもつとも好きな模様のひとつだ。
全体がつながつてゐるので、途中から重たくなつてしまつた。しかし、膝に置くとあたたかかつた。編物にはかういふ効用もあるんだな。

去年は、前述のヴェストと、「毛糸だま」に掲載されてゐたシェットランドレースのマーガレット(くどいやうだがやつがれは「ヴェスト」と思つてゐる)を編んだ。
前述のヴェストはとじはぎと前立てとがあつた。
シェットランドレースのヴェストの方は、肩をはぐくらゐ。模様はFan and Feathersで、自然と裾がスカラップ模様になるため、前立てはなかつた。

着るものを編んで思ふことは、整形やその後の手入れがたいへんだ、といふことである。
去年もシェットランドレースのヴェストを編んだときに、「もう着るものを編むのはよさう」と思つた。
そのはずだつた。

懲りないね。
喉元過ぎれば熱さ忘るる、とはこのことかと思ふ。
まあしかし、リブセーターを編んだらもう今後は着るものは編まないかもなあ。

くつ下とか手袋とか、ショールとかで編みたいものが多過ぎるもの。
それに、手持の毛糸もさうしたこものを編むのに適した量しかないものがほとんどだ。
今後はさうしたものばかり編んでいかう。
なんだか、しよつ中そんなことばかり云つてゐる気がする。

それにしても、オレンジ色のくつ下はいいな。それだけでなんだかあたたかい感じがする。糸はパピーのNew 4PLY。中細毛糸の中ではむつちりした部類ではないかと思ふ。
リブセーターはパピーのグランメリノで編むことにしてゐる。重さと糸の長さはNew 4Plyとさう変はらないけれど合太。毛糸があまつたらdickeyでも編むつもりだ。

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Friday, 11 October 2013

とくにウソが、ね

"What I want to know is, out of all the stories you told me, which ones were true and which ones weren't."
"My dear Doctor, they are all true."
"Even the lies?"
"Especially the lies."

突然、「スタートレック ディープスペースナイン」の、この場面が脳裡によみがへつた。
質問者はドクター・ベシア。地球人の理想に燃えた若き医師である。物語の後半で、実は遺伝子操作されて生まれた、といふ事実が発覚するが、この時点ではまだ普通の人だ。
答へてゐるのは異星人の仕立屋であるガラック。爬虫類めいた容貌のカーデシア星人である。このせりふの出てくる回で、「エリム・ガラック」といふ名前であることが判明する。

TwitterのTime Lineを覗き、Facebookを見、人々のblogを読む。
目の前に流れてゐる発言の、どのくらゐが本心から吐き出されたことばなのだらうか。
時折、そんなことを考へる。
みな本心から思つてゐることなのか。
あるいは、本心とは正反対のことをつぶやいたものもあるのか。

さう疑問に思ふのは、やつがれ自身が心にもないことをここに書いたりつぶやいたりするからだ。

心にもないことを書く場合、ひとつには、「炎上を避けるため」といふ理由が考へられる。
あるいは、ある人の発言に反論したい、しかし思つたままに書いてしまつては相手や相手に同意する人、相手の友人たちを敵に回すことになる、といふ場合もあるだらう。
ここはひとつ、穏便に書いておけ。
さういふときもあらう。

また、「知られたくない」といふ思ひから、心にもないことを書いてしまふこともあると思ふ。
世界にむかつて発言しておいて、「知られたくない」とはなにごとだ、といふ向きもあらう。
だが、さうやつて仮面をかぶることは、通常の生活でもあることだ。

なぜ心にもないことを書くのか。
人づきあひの潤滑油。
それもある。
以前も書いたとほり、「自分の好きなものを知られるのは弱点を敵に教へることだから」といふのもひとつ。
あとは、まあ、心にあることばかり書いてゐたら、あつといふ間に書くことがなくなつてしまふから、といふのもひとつ。

千野帽子が「俳句いきなり入門」で書いてゐる。
人間の云ひたいことなど、数種類しかない。十七文字の俳句にこめられる云ひたいことなど、「自分を見て」にしかならない、と。

それは俳句にかぎつたことではない。
短歌でも漢詩でも短編小説でも、長編小説にしたつて、さうなのだ。
映画やTVドラマ、まんがにしてもさうだらう。
小説やドラマは、長さがあるからおなじことを何度も云つても、詳細がことなつてゐれば成り立つたりもする。
さういふことなのだと思ふ。

でも、世の中の大半の人は、本心しか、あるいは自身が本心と信じてゐることしか、つぶやかないんだらうな。
だつて、他人の発言をその人の心からの発言だと取る向きが多すぎるもの。

一度、心にもないことをつぶやいてみるといい。
さうすれば、Webの世界に流れる意見もまた、「ああ、この人も、思つてもみないことを書いてゐるのかもしれないなあ」と、受け取れるやうになるだらう。
自分とは意を異にするつぶやきを見ても、心穏やかに過ごすことができる、そんな風にもなれるかもしれない。

それにしても、「Especially the lies.」といふのはいいセリフだね。
これは本心。

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Thursday, 10 October 2013

別れることはつらいけど

十月に入つて早十日。
あまりの暑さに十月といふ気がしない。

世にいふ「あまロス」とやらも一段落ついたのだらうか。
「あまちゃん」は、やつがれも半年間見続けた。
放映時間にTVのまへにゐないことが多いので、録画して日曜日に先週分をまとめて見てゐた。見たあとは、見返すこともなく消してゐた。
おそらく、これがよかつたんだと思ふ。
毎日のやうにその日の放映分を見てゐたら、「あまロス」とやらに悩まされてゐたことだらう。

無意識のうちに、別れのつらさを軽減する方法を取つてゐた。
さう思はれる節もある。

いい加減、過ぎ去つた日々のことは書くまいとも思ふ。
手帳には記録として残してゐるし。
しかし、blogに書いておくと検索できるといふこともある。
といふわけで、先月24日に行つた飯田市川本喜八郎人形美術館について、少々書き記しておく。

前回行つたのは6月。
展示替へしてわりとすぐのことであつた。
前回も今回も、日帰り弾丸旅行だつた。
新宿から高速バスに乗つて、飯田駅前のバス停につくのが12時ちよい過ぎ。
そこから美術館までが徒歩十分とか十五分とか。
帰りのバスは、飯田駅前を16時4分に出発する。
美術館には正味3時間ちよいくらゐしかゐられない。

美術館自体は、以前も書いたとほり一時間もあれば十分見られるくらゐの大きさではある。
問題は、やつがれは何度も何度もおなじところを経巡つて見てしまふ、といふことだ。
おそらく、「あまちゃん」にはまつてゐた人が、「早あま」「朝あま」「昼あま」「夜あま」などと云ふて、一日に複数回おなじ回を見てゐたやうに、だ。
一周して、ちよつと疲れるのでホワイエの椅子に座つたりして、また一周する。
そのあひだに人形アニメーションの上映会にもぐりこんだりもする。

おなじものを何度も見て楽しいか。
楽しい。
なにしろ、前回は気づかなかつたことに気づいたりする。

たとへば、「連環の計」のあたり。
今回見てあらためて、董卓、呂布、貂蝉がトライアングルをなしてゐることに気づいた。
ケース後方にひとつづつ台をおいて、むかつて左側に董卓、右側に呂布が立つてゐる。
董卓はむかつて右を、呂布は左をにらみつけてゐて、その前方、ほぼ董卓と呂布とのあひだの真ん中に、貂蝉がゐる。
さういふ図になつてゐる。
董卓と呂布とは、たがひを見てゐるわけではない。また貂蝉を見てゐるわけでもない。
だが、その視線の先がどこかでまぢはつて、青い火花が散つてゐる。
そして、そんなことにはおかまひなしに、貂蝉がうつくしく佇んでゐる。
さうやつて見ると、それだけでなんだか劇的だ。

呂布は、トライアングルの一角として見るとさほど凶悪な表情はしてゐない。
これを右奥から見ると、TVで見てゐたときのやうな、眦の裂けよといはぬばかりに左側をにらんでゐる、さういふ狂気の表情が見える。

その隣にゐる李儒は、呂布とおなじで左側を見てゐる。
むかつて左から見ると、胸中に策あり、といふやうに見える。
右から見ると、ちよつと「伽羅先代萩」の「刃傷」の仁木弾正のやうに見える。弾正が、小柄をふりあげて見得をする、あのときの目にそつくりなのだ。
とてもやうすがいい。

「玄徳の周辺」のケースでも新たな発見はあつた。
ケースの左奥からのぞき込むやうにすると、白竜と目が合つて、ちよつとドキリとした。
白竜、かはいいんだよなあ。
白竜がかはいいことには前回も気づいてはゐた。
なんだかPrince Charmingの乗る馬のやうに見えた。それは今回もさう。
人形劇で見てゐたときはそんなにかはいいと思つてゐなかつたなあ。

趙雲は横顔もやうすがいいといふことに気づいたのも今回。
片膝をついてかしこまつたやうすで、ちよつとうつむいてゐる、その横顔が凛々しい。

いまの展示のベスト・アングルは、前回も書いたとほり、まづ関羽の大きな背中を見て、ゆつくりと移動しつつ関羽の鼻の先と頬のラインの見えるあたりで止まる、それからまたゆつくりと移動して、関羽と赤兎との横顔を見て、さらにその顔と顔とのあひだ、V字にあひた空間からむかうに見える沈思黙考の態の孔明を見る、といふのがそれだと思つてゐる。
今回気がついたのだが、実は張飛と馬との横顔のあひだのむかうに見える龐統のやうすもまことによいのだつた。
龐統は、今回の展示では地味だなあ、と思つてゐただけに、気づいて実にうれしい。ただ、その位置だと、張飛の顔が蛇棒にかくれてしまふのが惜しい。

「曹操の王国」では、あらためて夏侯惇は人形としての出来がいいのだなあ、と、しみじみ思つた。思はず傍らに立つ許褚に「ねえ」と話しかけてしまつたほどだ。
むかつて右から見たときの印象と、左から見たときの印象とがちがふのもいい。
左から見ると、ほんたうに「寄らば斬るぞ」といふ感じに見えて、惚れ惚れする。
前回の展示のときは、思慮深さうだつたもんなあ、夏侯惇のくせに。それがまたよかつたんだけれども。

郭嘉は、歯がみをしてゐるやうな顔でゐるので、よい感じに見えないのだ、といふことにも気がついた。
歯の見えない、むかつて右側から見るとよい、といふこともわかつた。
今回曹仁が怒つてゐるやうに見えるのも、歯の見えるやうなアングルで飾られてゐるからだ。
人形劇のDVDであらためて郭嘉初登場の回である第十三回を見ると、この歯がみをしてゐるやうな表情が出てくる。その後は、さうでもないので、人形遣ひの方やカメラパーソンがいろいろ工夫してゐたのだらうと思はれる。
ヒカリエにゐた郭嘉はいい男だつたんだよなあ。
あんな歯がみをしてゐるやうな顔ではなかつた。
今度展示替へしたら、帰つてくるかなあ。

前回のblogエントリでは典韋について書くのを忘れてゐた。無念。
典韋も口は開いてみえる。胸に短刀をさしてゐるのが特徴だ。人形劇の典韋は、結構長生きをしてゐて、たしか長坂橋のあたりでも出番がある。そのせゐか顔立ちもなんとなくおとなしいやうな感じがする。

無念といへば、ここまで見てくると、すでにおなかがいつぱいになつてしまつて、「江東の群像」まで気が回らないことだ。
とにかく、「玄徳の周辺」と「曹操の王国」、とくに「曹操の王国」でいつぱいになつてしまふ。
それに、「江東の群像」のケースはなぜか地味だ。
周瑜がゐるのになー。をかしいなあ。

ところで、前回、学芸員さんが、「川本喜八郎は衣装用の生地の使ひまはしをしなかつた」と説明してくれた。
云はれてみれば、おなじ柄おなじ色合ひの服を着てゐる人形は、お揃ひの服を着た紳々竜々と、雑兵のたぐひくらゐだよなあ、といふ気がした。
今回、程昱と于吉仙人とに、おなじ柄おなじ色合ひの生地が使はれてゐることに気づいてしまつた。前回の飯田行きで、程昱の服に源氏香の柄が使はれてゐて、つい見入つてしまつた、と書いた、そのおなじ生地が于吉仙人の襟に使はれてゐるのだつた。
まあ、使ひまはしではないかもしれないけれどね。

今回、鎧についてもいろいろ見てみた。
普通は、玄徳・関羽・張飛のやうな兵馬俑の人々の身につけてゐた鎧に似たタイル状に鉄板が並んでゐるものが多いやうだ。
よくよく見ると、鉄板が半円の鱗状になつたもの、亀甲模様のもの、于禁のやうな先のとがつた形になつたもの、などいろいろあるのが楽しい。
なかでも孫乾のはチトかはつてゐたなあ。亀甲模様のヴァリエーションだとは思ふのだが、上からさらに胸当てをあててゐるのでよく見えないのが残念だ。

手甲とすねあてとはおそろひになつてゐるんだが、そのおそろひ加減も人あるいは模様によつてさまざまだつたりね。
馬超と龐徳とにはアニマル柄が使はれてゐる、とかね。

そんなこんなで、いつまで見てゐてもあきないんだよなあ。

問題は、さう何回も何回も見ると、別れがつらくなることだ。
今回、あらためてわかつたが、おなじ人形でも飾られ方ひとつで見え方がまつたく変はつてしまふ。
前回の展示では貞姫がかはいくてかはいくて、「貞姫つてこんなにかはいかつたか知らん」と首を傾げてしまふほどだつたが、今回はまつたくそんなことはない。たいして格好が変はつたやうにも見受けられないのに、だ。
また、夏侯惇のやうすのちがひひとつとつても、ちよつとした顔の角度や手の位置得物の位置などで、見え方ががらりと変はつてしまふことがわかる。

すなはち、いまの状態の彼らに会へるのは、いまだけ、といふことだ。
展示替へ後の彼らは、またちがふ顔、なのである。

さう考へると、何度も何度も見るのは危険なんだよなあ。
まあ、もう次の展示替へがあるまでは飯田には行けないとは思ふてゐるけれど。

6月に見た「黄巾の乱」についてはこちら
「宮廷の抗争」と「連環の計」についてはこちら
「玄徳の周辺」についてはこちら
「曹操の王国」についてはこちら
「江東の群像」と「特異なキャラクター」とについてはこちら

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Wednesday, 09 October 2013

覚えきれないキャラクター

録画機が勝手に録画してくれるので、「おじゃる丸」と「忍たま乱太郎」、「それいけ! アンパンマン(以下、「アンパンマン」)」とを見てゐる。
「忍たま乱太郎」だけはなぜだがたまにしか録画しない。一週間に一度とか二週間に一度とか、さういふ気まぐれな感じで録画してゐる。

現在の録画機で一番最初に予約録画したのは「連続人形活劇 新・三銃士(以下、「三銃士」)」だつた。
しばらくしたら、録画機は「アンパンマン」を勝手に録画するやうになつた。
おそらく、「三銃士」に戸田恵子と山寺宏一とが出てゐたからであらう。
その後、録画機は「ドラゴンボール改」を録画するやうになる。これは「アンパンマン」に出てゐる中尾隆聖と鶴ひろみとのせゐなのではないかと思ふのだが、ここではそれはおく。

「おじゃる丸」も一時は予約録画してゐた。そのうち録画を消化できなくなつて、やめた。
やめてしばらくしたら、録画機が勝手に録画するやうになつた。
「忍たま乱太郎」は、「おじゃる丸」からの類推で録画機が「録画しておくか」と思つてするやうになつたのだらう。

ほかにも、録画機が勝手に録画してくれるものはいろいろある。
結局見続けてゐるのは、この三つ、かな。ほかにも「心に刻む風景」とかあるけれど。

「おじゃる丸」、「忍たま乱太郎」、「アンパンマン」に共通することはなんだらうか。
アニメ?
お子様向け?
長寿番組?

そのとほりだが、この三番組に共通してゐて、やつがれの心をぐつとわしづかみにする共通点が、ひとつある。
それは、「登場人物が多い」といふことだ。

とにかく、やたらと登場人物が多い。
「アンパンマン」などは、登場人物が一番多いといふのでギネスブックに載つた、といふ話を聞くほどだ。
基本的な登場人物はきまつてゐる。
「おじゃる丸」なら主人公のおじゃる丸に電ボ、かずまに子鬼のトリオといつたところか。
「忍たま乱太郎」なら主人公の乱太郎にきり丸、シンベヱにヘムヘム、かなあ。学園長・山田先生・土井先生も入れてもいいかもしれない。
「アンパンマン」なら主人公のアンパンマンにジャムをぢさん、バタ子さんにチーズ、ばいきんまんにドキンちやん、か。

基本的にはこんな感じで、加へて準レギュラーのやうな登場人物がゐる。さらに、その時々のゲストキャラクターが出てくる。
正直云つて、「アンパンマン」を見はじめてずいぶんたつが、未だに「え、こんな登場人物(「アンパンマン」の場合は「人物」かどうかはひどくあやしいのだが)、ゐたの?」と思ふやうな登場人物がゐる。
ギネスブックに載つただけでは物足りないとでも云ふのか、この期に及んで新たな登場人物が出てきたりもする。

楽しい。
楽しいぢやあないか。

なぜだか登場人物が多いと心躍る。
なんだらう。こどものころに親しんだ源平ものの本のせゐか。
源平ものつて、やたらと登場人物が多いんだよね。それも、似たやうな名前の人が何人も何人も出てくる。
だから全員を知つてゐる、とか、全員を覚えてゐる、といふことはない。
ないけれど、そこらへんは幼いころに覚えたものといふことなのか、時折ふつと意識の表面に浮かんでくることがある。
名前だけ覚えてゐて、なにをした人だか、どういふ人だかまつたく記憶にない、なんてな人もゐる。

あるいは、推理小説のせゐかもしれない、とも思ふ。
アガサ・クリスティとかエラリー・クイーンとか、やたらと登場人物が多い作品があつたりしないか。
巻頭にならんだ登場人物一覧を見ると、「なんでこんな人物が?」といふやうな人まで並んでゐたりする。
読者の目を惑はせるためだらうとは思ふけれど、「この中に犯人がゐるのかー」とか、読む前から楽しいんだよね、あの登場人物一覧。

まあ、「おじゃる丸」などはやはり源平ものの流れだな。犯人あてとかないし。

「アンパンマン」では、頭にコのつく名前の登場人物がどうもあまり好きになれない。
具体的にはコキンちやんとか鉄火のコマキちやんとかだ。唯一の例外はこむすびまん。こむすびまんはちよつと好き過ぎるくらゐ好きだが、それも今回はおく。
あとメロンパンナちやんがわかんないんだよなあ。なんであんなに人気があるんだらう。理解に苦しむ。ロールパンナちやんのよさはよくわかるんだけど。

といつた感じで、どうもいけ好かない登場人物もゐるにはゐる。
ゐるにはゐるけれど、つい見ちやふんだよなあ。
自分から録画して見やうとは思はないけれど。

ところで、「忍たま乱太郎」と「アンパンマン」とには、もうひとつ個人的に看過できない共通点がある。
それは、配役が豪華、といふことだ。
それゆゑにかなしい思ひをすることもある。

今年、内海賢二が亡くなつた。
内海賢二といへば、毎年六月の頭にむしばきんまんとして「アンパンマン」に登場するのが常だつた。
ちやうど、今年の分が放映されるころ、訃報に接した。
むしばきんまんは毎年六月にはづせない登場人物なので、今後も出てくるのだらう。
おなじことははみがきまんのときも思つたけれど、来年のことを思ふとひどくさみしくなつた。

また、しばらくたつてから、今度は魔法のランプの巨人として登場したことがあつた。
魔法のランプの巨人の最後のセリフが、「またお会ひしませう」だつた。
内海賢二の最後の仕事は「銀の匙」だつたさうだけれど、自分の中では「アンパンマン」の魔法のランプの巨人になつてしまつた。
あーあ。

などといふこともありつつ、それでも「配役が豪華」といふことで見てしまふんだよなあ。
「アンパンマン」にしても「忍たま乱太郎」にしても、いまどきちよつとないくらゐ豪華だもの。
それでゐて(あるいはそれだから、か)登場人物が多い。
やめられませんな。

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Tuesday, 08 October 2013

途中でやめるとき

昨日も、天気予報では「残暑厳しい」などと云ふてゐる、と書いたばかりだが。
今日もまた暑い。暑いといふか蒸してゐる。
「欲望といふ名の電車」であつたか、湿気がたまらん、といふやうなせりふがあつたやうな気がする。そのせゐでいろいろをかしくなつてしまふ、といふやうな。
いや、あの芝居は「サザン・ベル」のなれの果ての物語、だらうか。

いづれにしても、暑い。
そんな暑い中、それでも昨日は帰宅後にすこし編んだ。
セーターはあちこち計算しなほさないといけないので、まだ着手できてゐない。
くつ下を、ちよつとだけ編んだ。
ちよつとだけにするつもりが、つい編んでしまふのはくつ下の魔法か縄編みゆゑか。模様はきりのいいところまで編まないと、次に編むときに困るからね。

よく、世間では「次に着手するときのために、中途半端な状態で終はつておくといい」といふ。
たとへば、読書だつたら、章の終はりまで読まずに、途中で読みさしにしておく。
文章だつたら、文の途中でやめる。森博嗣は、手書きだつたら一文字を書く途中で放置するだらう、と云つてゐた。

あみものもおなじで、きりのいいところまで編まずに、どこか途中の、いはば「きりの悪いところ」で終へるといい、といふ。

さうかなあ。
ものは試しとやつてみたことはあるが、やつがれには向かなかつた。
なぜといつて、妙なところで手を休めると、針から目が落ちてしまつたりする。また、次にはじめるときに、前回どこまで編んだのか確認するところからはじめないといけない。
前回どこまで編んだかは、付箋などに書いておくとよい、といふ意見があつて、それには賛成だが、つい忘れてしまひがちだ。

ではどこでやめるのか。
一段は模様編みで次の一段はメリヤス編み、といふ場合は、メリヤス編みの段の途中でやめる。
さうすると、次に編みはじめるときは、メリヤス編みをしながら模様のどこまで編んだかを確認できるからである。
いちいち編み始める前に確認しなくてもいい。
いや、まあ、それでも確認はした方がいいんだけどさ。

タティングレースはどうだらう。
タティングレースの場合は、かならずリングを作つてから終はるやうにしてゐる。ブリッジ(といふかアーチといふか)でやめると、最後の目からだんだんゆるんできてしまふからだ。
リングだつてゆるまないことはない。しかし、リングならほどけることはまづない。ブリッジだと下手をするとせつかく結んだ目がほどけてしまふ。

また、リングの途中で放置することもない。
リングの途中で放置すると、次にはじめるときに輪のどちらから手をいれたものかと悩むことがあるからだ。また、輪状になつた糸が別のものにからんだりすることもある。

そんなわけで、病院の待合室などでのタティングレースはちよつとやりづらい。
いつ呼ばれるかわからないからだ。
呼ばれたときにリングの途中だつたりしたら、そのリングを完成させるまで席を立てない。
ブリッジの途中でも同様で、その先のリングまで作つてしまはないと安心して放置できない。

別に、リングくらゐ作つてから席を立てばいいんぢやない。
さういふ向きもあらうが、残念ながらやつがれはさういふときにあはててしまふたちなのであつた。
ああいふとき、気にせず悠然とかばんにものをつめたりする人があるが、うらやましくて仕方がない。

そんなわけで、タティングレースは時間の読めるときにしかやらないことが多い。
もちろん、病院の待合室でもシャトルを取り出したりはするがね。
しかし、いつ呼ばれるかと気が気でなかつたりするんだよなあ。

小心者?
まあ、否定はしない。

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Monday, 07 October 2013

はからずもHalloween Colourway

Halloween Colourway

あみものの季節がやつてきた。

十月だといふのに、「残暑厳しい」などと天気予報では云つてゐる。
たしかに、暑いやうな寒いやうな、単に蒸してゐるだけのやうな日々がつづいてゐる。

しかし、どうやらやつがれの「編み魂」に火がついたらしい。

とはいふものの、先週は平日のあひだは一度も編み針を手にしなかつた。
しなかつた、のかな。できなかつた、のかもしれない。
なんといふか、平日は、帰宅するともう「いつぱいいつぱい」といふ感じなのである。
編み針なんか手に取つてゐられない。
とくに、今は二段に一度は交差編みのある縄編みのくつ下を編んでゐる。まだなれてゐないので、編み図を見ながらでないと編めない。そして、この編み図がまたわかりづらいんだよなー、海外のものだからかもしれないけど。

「あー、単にニ目ゴム編みのくつ下にしておけばよかつたなー」などと思ひつつ、この週末、といふか、昨日の日曜日、再開してみたらこはいかに。
なんか、編めるぢやん。
編めるどころの騒ぎぢやなくて、一度編み出すとやめられないぢやん。

といふわけで、どうやら無事「編み魂」にも火がついたやうだ。
この秋冬も無事編みつづけられさうな予感がする。

昨日は、ポプラに注文した毛糸も届いた。
以前から書いてゐるたたとたた夫さんのところのリブセーターを編むつもりで買つた毛糸だ。
ここではさんざんプリンセス・アニーと書いてきた。
だが待てよ。
黒い毛糸なら、別にプリンセス・アニーでなくてもいいのではないか。
このことに遅まきながら気がついて、結局グランメリノにした。
グランメリノのゲージの方が若干指定糸であるベビー・キャッシュメリノのゲージに近いことと、単純にグランメリノが好きだから、といふ理由からである。

受け取つて早速ゲージをとつてみて思ひ至ることがあつた。
いままでラベルに指定してある太さの針でグランメリノを編んだことがない。
グランメリノは合太の糸だ。毛糸のラベルには六号とか七号の棒針が指定されてゐる。
これまでグランメリノではくつ下とか手袋とかしか編んだことがない。たぶん、最大でも三号針なんぢやないかなあ、使つたことがあるのは。

グランメリノは、ちよつとちぢれた感じの極々細い糸がより合はさつた毛糸で、見たところ合太といふには細過ぎるやうに見える。
六号や七号の棒針ではちよつと細いんぢやないかな、といつた外見だ。
これを二号や三号の棒針で編むと、むつちりとした編み地になつて、とてもよい。リッチな編み地といつた感じになる。さうやつて編んだくつ下は、とても贅沢なものに見えたりする。

六号で大丈夫かなあ。
不安に思ひつつ、編んでみたところ、なんだかとても手がゆるくなつてしまつた。
ニ目ゴム編み10cmで28目。ゴム編みなので、ちよいと広げてはかつてみた。
指定だと32目/10cmなので、ゲージは合はない。しかし、どうせ最初から計算しなほさないと編めないよなとは思つてゐたので、それはそれ、といふことにする。

だいたい、編む前から不安ではあつたけれど、実際に編んでみて、黒い糸で編んだものをすくひ綴じにするなんて、やはり無理だ。
ラグラン袖なので、どうしても肩のあたりはすくひ綴じになるけれど、それでいつぱいいつぱいなんぢやないかなあ。
そんなわけで、輪編み用に数字を出しておく必要がある。
あー、首から編むといふ手もあるかー。
さうすると、まちつと考へないといけないなあ。

そんなわけで、昨日編んでゐたくつ下とゲージ用の編み地とをならべてみると、これがなんだかハロウィンカラーだ。
オレンジ色のくつ下はこれまでも何足か編んだ。色のせゐか、履いてゐてとてもあたたかく感じる。
さういへば、これまで編んだオレンジ色のくつ下はいづれも縄編み模様だつたなあ。それもなんとなくあたたかい気がする要因なのかもしれない。

今後の課題は、輪編み用にセーターに必要な数字を割り出すことと、平日如何に編む時間を捻出するか、だな。

かぎ針編みのスカーフは……どうしたものかのう。

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Friday, 04 October 2013

字と映画

来年四月公開予定の映画「曹操暗殺」には、「袞雪」の軸が出てくるのらしい。
さういふ話を聞いて、「それは見に行かねば、なのだらうか」と考へてゐる。

「曹操暗殺」は、曹操をチョウ・ユンファ、「三国志演義」に出てくる架空の人物・穆順を玉木宏が演じることでちよつと話題になつてゐる映画である。
玉木宏があの聲で宦官、といふのが想像できないのだが……ま、そこはそれ、なのだらう。もしかしたら吹替かもしれないし。
宦官の聲といつて、もちろん聞いたことがあるわけではないのだが、なんとなくファゴットのやうな音なのではあるまいか、と思つてゐたりする。
「春の祭典」の冒頭の、あんなやうな音。ちがふかなあ。
さういへば、新橋演舞場で「楊貴妃」がかかつたとき、高力士を海老蔵が演じてゐた。あの聲やせりふ回しはよかつたね。宦官はああ喋つたのかもしれない、といふimaginationをかきたてるやうな聲だつた。

もとい。
そんなわけで、「曹操暗殺」に関しては、これまで見に行くつもりはなかつた。
どーせハリウッド調のアクションもりだくさんの映画だらう、くらゐの認識だつたからだ。
それに、チョウ・ユンファは世間ではなかつたことになつてゐる実写版「ドラゴンボール」で武天老師だつた俳優だ。すくなくともやつがれの中では。

そこに「袞雪」の軸、である。
見てゐないので、軸だが碑だか、そこは定かではない。
しかし、「袞雪」である。
これは見に行かなければならぬだらうか。

説明するのも野暮ながら、曹操の真筆なのではないかといはれてゐる碑がある。そこに彫られてゐる字が「袞雪」だ。
web検索をかければ拓本の画像が出てくることと思ふ。
ちよつと不思議な書体である。
とくに「袞」の字。最終角の払ひがうによんとなつてゐて、全体的にユーモラスあるいはどこか艶めかしいやうな感じもする線だ。
「えー、曹操の字つてこんなかなあ」と、はじめて見たときに思つたものだが、ずつと見てゐると、「さうだつた、のかも?」といふ気になつてくるから不思議である。

映画に出てくるのつて、この書体なのかなあ。
出すからにはさうだらう。
それとも単に字だけでまつたく別の書体なのか知らん。
見てゐないだけに、妄想だけが先走る。

うまいこと予告篇かなにかに出てきて確認できればそれでいいのだがなあ。
さううまくはゆくまいな。

ところで、ここのところ字を書くのが楽しい。
大橋堂の新たなペンを増やしたこともあるし、ずつと不調だつたフォルカンが最近すこぶる調子がいい。
楽しいが、ペン先から生み出される文字は、なんといふか、不器量である。うまく書けない。ていねいに書けばいいのかもしれないが、さうすると、書きたいといふ気持ちに手が追ひついてこない。

最近思ふのだが、結局、思考のスピードといふのは、手書きのスピードとほぼ一致するのではあるまいか。

ちかごろは、手で字を書くこともあまりない。PCに向かつてキーボードを使つて、あるいは携帯電話やスマートフォンから入力する、といふ向きが大半なのかもしれない。
キーボードや携帯電話、スマートフォンからの入力スピードは、凄まじいものがある。
人はあのスピードでものを考へることができるのか。
あるいは考へずに打つてゐるのか。
考へなくても打てるのか。

さうやつて、考へるスピードとの調和を考へてゐると、字の形はおろそかになつてくる。
それでいい、とは思ふが、読み返したときに、チト悲しいやね。
とくに最近はSmythsonのパナマを使つてゐて、なんだかやたらとページをめくりたくて仕方がない症候群にかかつてゐる。
さうすると、かう、自分の字のつたなさに泣けてくるんだなあ。

こんなPCから印刷したものばかりの横行する世の中だといふのに、あるいはさういふ世の中だからか、ここのところ「美文字」とやらがはやつてゐるといふ。
「美文字」といふことば自体が醜いよね、と、やつがれなんぞは思ふのだが、なに、半分はやつかみだ。
自分にはうつくしい字など書けはしないからだ。
その昔は「みづくきのあともうるはしい」などと手蹟をほめた。
いまはなんといつてほめるのだらうねえ。「油性インキのあともうるはしい」? はたまた「炭素のあともうるはしい」だらうか。
それもなんだかうるはしくない話だねえ。

道具はかはつても、きれいな字、読みやすい字にはあこがれる。
一方で、なにを書いてゐるんだかさつぱりわからない草書にもあこがれる。どちらかといふと、草書の方が書けるやうになりたいかもしれない。暗号にもなるぢやあないか。
でも草書だから早く書けるとはかぎらないんだよね。王羲之展でそんな説明を見た。「草書だと時間がかかるから別の書体で書きます」とかいふやうなことを云ふてゐた書家がゐる、と、パネルかなんかに書いてあつた。
そんなものなのかなあ。

「曹操暗殺」から流れ流れて「美文字」の話になつてしまつた。
きつと、曹操は書にもうるさかつたことだらう。
だから、たぶん、さう間違つてはゐない。
さう思ふことにしやう。

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Thursday, 03 October 2013

大きなひとつの目で見たら

先月、新橋演舞場で「不知火検校」を見て来た。
不知火検校は、悪党で、金に汚く、平気で人を陥れ、殺すことをも厭はない。
それでも最後は捕へられるのだが、このとき、花道で悪態をつく。

目明きのふたつの目で見る世界は、世間体にとらはれてせせこましい。やりたいこともできずにゐる。
自分は心といふひとつの目で見て、おほきいことをいろいろやつてこの世を楽しんだ。

大要は、こんなところかと思ふ。

これを聞いて、すかつとする向きと、「なに云つてやがんでい」と思ふ向きとがあるだらう。
やつがれは後者だつた。

はたして、不知火検校のしたことは、「おほきいこと」なのだらうか。

確かに、まづしい魚屋の息子として生を受け、父の因果で生まれながらに目が見えなかつた富の市が、次から次へと悪事に手を染めて、師匠を殺して検校の座につき、したい放題の日々を送る、といふのは、常人のよくするところではない。
自分にはとてもおなじやうなことはできない。
人を騙しその命を取つて、バレずにすませるやうな才覚はない。
犯罪者と手を組んで、手足のやうに動かす智略もない。
不知火検校にはとほく及ばない。

また、自分は日々汲々として暮らしてゐる。
四月から消費税があがるといふ。
いまでもあれこれ切り詰めて生きてゐるのに、四月からどうすればよいのだらう。
さう考へるだけで心しづんで、お先真つ暗な気分になる。
やりくりのことで頭がいつぱいになつて、「さぞかしいまの自分は、いやしい表情を浮かべてゐるのだらうな」と、さう考へるとさらに暗澹たる心持ちになる。

では、不知火検校のやうに生きたいか。
不知火検校の人生は、自分の欲に正直に生きる、といふものだつた。
それは、やつがれの求める「おほきなこと」ではないんだよなあ。

お金に困らぬ暮らしをしたい。
それは確かだ。
でもなあ、なんといふか、多分、不知火検校のやうな生き方は、心の休まる暇がない。
あるいは検校はそんなことはない、と云ふかもしれない。
でも、やつがれはダメだ。
あんな生活ではつねに気を張つて暮らさねばならぬだらう。

日々、おだやかに過ごしたい。
つまらぬことに心を動かすことなく、それでゐて花が咲けば花を愛で、雪が降れば雪を楽しむ、さうして暮らしてゆきたい。
それが「ふたつの目で見るせせこましい世界」なら、それでいい。
さう思ふ。

さういふやつがれから見ると、不知火検校の啖呵は「引かれものの小唄」としか思へぬのだつた。
あるいはさう思ふことにして、みづからを安心させてゐるだけかもしれないが。

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Wednesday, 02 October 2013

つる女あらためきよ女はよい文章を書くか

漢籍の教養は、ほんたうに文章を書くのに役立つのだらうか。

先日、ビジネス文章作法といふやうな研修を受けた。
そのときに、講師が「いまでもきちんと文章を書かうといふやうな人は、漢文を読んでゐる」といふやうなことを云ふてゐた。

ここのところやつがれは「史記」とか読んでゐる。酒の友である。なぜか「史記」と酒とは合ふ。おそらく、ヲヤヂなところが合ふのであらう。

講師の話を聞いて、「よかつたー、この話を聞く前に「史記」とか読み始めてて」と心底思つた。
こんな話聞いたら、読み始められないやね。
なんだか、「文章がうまくなりたい」といふ下心があつて読むやうぢやあないか。
そんな卑しい気分では、読みたいものも楽しめないよ。

ところで、ほんたうに漢籍を読むとよい文章を書くことができるやうになるのだらうか。
実は、以前からなんとなく疑問ではあつた。

このときの講師の話や山本夏彦の「完本・文語文」などでいはれてゐることは、「漢籍に親しむと、文章の構造がしつかりする」といふことだ。
短くて、伝はる文章が書けるやうになる、といふ。
山本夏彦によれば、中江兆民は、ルソーの文章は簡潔だが自分が訳したらさらに短くすることができる、と云ふてゐたといふ。
講師も、論語の一節を例に、漢文だと如何にすくない文字数で意味が伝はるか、といふ話をした。

簡潔な文章はよい文章である。
しかし、それと漢籍とはつながるのだらうか。

そこで思ひ出すのが落語の「たらちね」である。
漢籍の先生の娘を嫁にもらつたら、なにを云ふてゐるのかわからなかつた、といふアレだ。
この漢籍の先生の娘の喋るのは、ふだん父である先生が講義してゐるとほりなのだらうと思ふが、これがムダに長い。切れ目がない。
漢籍の教養、といふと、どうしても「たらちね」ははづせない。

さらに思ひ出すのが候文である。
「たらちね」は話しことばだから長くなるのだらう。書きことばならちがふはずだ、といふ意見への反証には、候文がいい。
候文はそのまま漢文といふわけではないが、漢籍の教養のある人が書いてきた文章だらう。
これがまたむやみやたらと長い。
「……候まま」「……候ひしに」「……候ところ」と、延々延々文章が続いていく。切れ目のないこと、「たらちね」のつる女あらためきよ女の如し、である。

切れ目がないといふのはどういふことか。
話し手がなにを云ひたかつたのか、書き手の云ひたいことはなんだつたのか、わからなくなる。
あまりに文章が長いと、主部と述部が一致しなくなる。助詞の使ひ方も間違へがちになる。
いいことはない。
つる女あらためきよ女も、もつと文章を短く切つてしやべつてくれればいいのだ。使つてゐることばがむづかしくても、短ければ、なんとなく類推のきくこともあらう。

たぶん、つる女あらためきよ女にしても、候文にしても、漢文と日本の古文とが融合した結果ああなつてしまつたのだ。
古文などを読むと、切れ目のない、いまの知識だけでは主語がだれかもわからないやうな文章が延々とつづくものがあつたりする。
これを「垂れ流し文」といふやうな呼び方をする人もある。やつがれはこれはこれでいいと思つてゐる。さういふ書き方をする人がゐてもいい。あるいは、ときにさういふ書き方をしてもいい。
さういふ文章が読んでもらへるかどうかはわからないけれど。

つまり、漢籍の教養があるからといつて、簡潔でわかりやすい文章が書けるとは限らない。
むしろ、「たらちね」のやうになつたりするんぢやあるまいか。

研修のとき講師の出した例は、漱石、鴎外、四迷などだつた。
それつてさー、当時でもものすごーく文章の書ける人つてことなんぢやないの? それと、我々一般とを比べても、そりやあ前者の方がよく書けるに決まつてるだらうよ。
たしかに、現在の文章家(と呼べる人がゐるとして)と比較したら、漱石とかの方がはるかに書けるのかもしれないが。
でもさー、ビジネス文書で目指すべきなのつて、漱石とかぢやないよね。漱石らの書いたものを読んで学ぶのはありだと思ふけど、あれを目指すのはなにか違ふよね。

そして、例を示せないからなんともいへないけれど、漢籍の教養があつても、ちやんとした文章の書けない人はいくらもゐたんぢやあるまいか。

冒頭の講師のことばを思ひ出してみやう。
「きちんと文章を書かうといふやうな人は」とことはつてゐる。
きちんと文章を書かうといふやうな人は、すでにあるていど文の書ける人だらう。
さういふ人があらためて漢籍に親しむやうになれば、もしかするとよい文章が書けるやうになるのかもしれない。
しかし、もともと滅茶苦茶な文章を書いてゐる人や「よい文章を書かう」といふ志のない人が読んでも、ダメなんぢやないかなあ。ダメではないとしても、結果が出るまでに時間がかかるんぢやあるまいか。

こどものころからやつてゐる、とかならまだしも、ね。

いつの世も、文章家もゐれば、その反対の人もゐたらう。
さう思はれてならないのだが、如何に。

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Tuesday, 01 October 2013

2013年9月の読書メーター

2013年9月の読書メーター
読んだ本の数:7冊
読んだページ数:2591ページ
ナイス数:6ナイス

荘子 第1冊 内篇 (岩波文庫 青 206-1)荘子 第1冊 内篇 (岩波文庫 青 206-1)感想
疲れてくると逍遥遊篇を読む。北冥に鯤といふ滅茶苦茶デカい魚がゐて、あるとき鳳といふ鳥に転じる。翼の先から先まで、何千里あるかわからない。飛ぶときは、九万里の高みにまでのぼる。そんな鯤と鳳と、そしてその鯤と鳳との存在する世界の大きさを考へたら、自分の悩みなんて、ちやんちやらをかしいわ、といふ気分になるからだ。会社員としては、老荘の徒を標榜するのは自殺行為とわかつてゐつつ、読む。
読了日:9月4日 著者:荘子
カリカチュアでよむ19世紀末フランス人物事典カリカチュアでよむ19世紀末フランス人物事典感想
知らない人ばつかり。でもパラパラめくつてゐるだけでおもしろい。
読了日:9月6日 著者:鹿島茂,倉方健作
猿飛佐助 (文春文庫―柴錬立川文庫)猿飛佐助 (文春文庫―柴錬立川文庫)感想
赤坂ACTシアターの上川隆也の「真田十勇士」を見に行く前に、と思つて読みはじめたが、考へてみたら「真田幸村」の方がよかつたかも? こつちは青山劇場の勘九郎の「真田十勇士」の前に読むべきだつたかも? いづれにしても、柴錬の類まれなる妄想力にあふれた作品群だから、読んでも関係なかつたかもしれない。「女の人の扱ひがひどい」といふ評を見かけるが、男の人も結構ひどい目にあつてるよ。まあ、女の人の方がより、といふ話はあるかもしれないが。ああ、人形劇を見たくなるねえ。四話しか残つてないのが返す返すも惜しまれる。
読了日:9月13日 著者:柴田錬三郎
李賀歌詩編〈1〉蘇小小の歌 (東洋文庫)李賀歌詩編〈1〉蘇小小の歌 (東洋文庫)感想
もう少し漢籍に親しんでから再度挑戦する予定。「秋来」とか「十二月楽詞」の「二月」とか、いいんだよね。あと、東洋文庫つて単純にサイズが丁度いい。読みやすい。
読了日:9月17日 著者:李賀
不許可写真 (文春新書)不許可写真 (文春新書)感想
読みながら手を切らないやう気をつけつつ読んだ。写真つてさう見るのかー。
読了日:9月18日 著者:草森紳一
戦闘技術の歴史 1 古代編 3000BC-AD500 (1)戦闘技術の歴史 1 古代編 3000BC-AD500 (1)感想
ナポレオン戦争のあたりを読みたいのだが、せつかくだからと思つて一巻から読みはじめた。せつかくだからと読みはじめただけの価値はある。むかーし世界史で聞いただけの地名、人名、国名が次から次へと出てくる。資料にあたるなどして記憶の活性化をはかりたい。
読了日:9月26日 著者:サイモン・アングリム
Leaders: Profiles and Reminiscences of Men Who Have Shaped the Modern WorldLeaders: Profiles and Reminiscences of Men Who Have Shaped the Modern World感想
昔徳岡孝夫の翻訳で読んだ。今読むと、「マッカーサーの口を借りてケネディ批判をしてゐるのだらうか」とか「アデナウアーの発言といふことで60年代のデタントを批判してゐるんだらうか」とかいろいろ邪推しちやふなあ。しかし、ニクソン、文章うま過ぎ。読みやすくてよし。だいたい、こんな内容ぢやあケネディには逆立ちしても書けなかつただらうしね。早めに登場する人物ほどおもしろい。すなはち最後の方はちよつとつまらぬ。
読了日:9月30日 著者:RichardNixon

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車内手藝

The Twirlyをつなぎつづけて幾星霜。
やつとドイリー状のものが二つつながつた。
現在、三つめをつながうとモチーフを作つてゐるところである。

先週進んだのにはわけがある。
飯田に行つたのだ。

飯田に行くときは新宿から高速バスに乗る。
このバスの車内でせつせとタティングにいそしんだ、といふ寸法である。
新宿から飯田まで、片道四時間かかる。
そのあひだにタティングする。
いいぢやあないか。

行くまへはさう思つてゐた。
でもまあ、今後はやらないね。
やるとしても、もつと単純なものを作るだらう。
バスの振動が意外と気になることが判明したからだ。
ゆれる中、タティングをするのは案外気を遣ふらしい。
モチーフをひとつ作るのに常より時間がかかるし、作つたあとなんだか疲れきつてゐる。
とくに今回はふたつのドイリー状のモチーフ同士をつなぐあたりを作つてゐたのでなほさらだ。

結局、行きにひとつ、帰りにもうひとつ、合計ふたつのモチーフを作るにとどまつた。

新幹線だとこんなことはないんだがなあ。

新幹線と比べると、バスの方が座席がせまい、といふのも理由のひとつだらう。

今後も飯田に行くとして、車内ですごす時間をどう使ふかといふのは、やつがれにとつては重要な問題である。
なにしろ順調にいつても往復八時間はかかるのだ。
そのあひだ、本を読んでもいいし、なにかしら動画を見てもいい、とは思ふ。
でもなあ、まとまつた時間があつたら、なにかしら作りたいんだよなあ。
あみものでもいいんだけど、車内であみものはアウトだらうし。

といふか、「飯田に行く」のはもう決定事項なんだな。
ほんたうはリンゴの季節に行くつもりだつたんだけど、そのころは混むかな、と思つて避けたのだつた。

避けたつもりが、ついて見たら、車道のわきの木々にリンゴの実がなつてゐるぢやあないか。しかももうかなり赤くなつてゐるものもある。

リンゴ並木

もうちよつと待つたらリンゴの季節だつたのかあ、と、ちよつとがつかりした。

リニアモーターカーが通るやうになれば、飯田に行くのもまちつと楽になるのかな。
その時期までやつがれは飯田に行かうと思つてゐるだらうか。

飯田ではもちろん飯田市川本喜八郎人形美術館に行つたのだが、それはまた別の話。

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