ひとしれすこそおもひそめしか
大和和紀のまんがに「KILLA」といふ作品がある。
「はいからさんが通る」のあとに連載されたものらしい。
「好きなものごとを他人に知られるのは、弱味を握られると同義である」といふ考へは、このまんがから得た。
そんな気がする。
「はいからさんが通る」は、シリアスな展開もあつたが、結構わけのわからないギャグもたくさん入つてゐた。
当時の少女フレンド読者は大河内伝次郎とか、知つてたのかなあ。直接知らなくても、芸人が「アヤヤオヨヨ」とかいふものまねを披露してゐたりはしたのだらうか。
いろいろ謎も多い。
「KILLA」は、一転して、ギャグのかけらもないまんがである。
登場人物の笑顔すらほとんどない。
あらすじはこんな感じ。
シェークスピア演劇の世界に彗星の如くあらはれた美少年キラ・クイーン(もしかしたらここは笑ふところか。木原敏江の「天まであがれ」と同ネタかな)は、実はかつて沙翁劇で名を馳せた名優に厳しく演技を仕込まれた孤児であつた。この名優は、現在劇界をほしいままにしてゐる俳優と監督とによつて失脚させられたことを恨みに思ひ、キラを育てることで復讐をはかつてゐたのである。
復讐は一見成功したやうにみえた。しかし、キラの野心は演劇界にとどまることはなかつた。
ファンのひとりだつた社長令嬢と結婚することで、経済界に打つて出るキラ。そのためには恩師を殺すことも厭はない。
やがて、自動車会社の社長とは表向き、裏では兵器製造売買で経済界に君臨する実の父とキラとは対峙することになる。
恩師(とはいつてもキラは手ひどく扱はれたことを恨みに思つてもゐたのだが)、岳父、妻を次々と死に追ひやり、実の父を追ひおとすキラだが、そんな彼にも、たつたひとつだけ聖域がある。
幼なじみのチェス・プレイヤ、アレク・フリードキンだ。
アレクは貴族の一人息子だが、実は母親とキラの恩師との間の子である。生まれたばかりのころ、目の色が実の父親に似てゐるといふので、気のふれた母親が針でつついてしまふ。それ以来、アレクは目が見えない。
出生のあれこれはあるものの、アレクはこの物語の中では「善」をになつた存在である。
キラについて、アレクは云ふ。
羊の群の中に狼を放したとする。飢えた狼は当然羊を襲ふだらう。だが、たれが狼を責めることができやう。狼は羊を食らふやうに生まれついてゐるといふのに。
その話を聞いた別の登場人物は云ふ。
「そして、あなたは羊飼ひなのね」と。
物語の終盤、実の父親との対決が迫ると、キラの側近であるルーファスは、アレクの存在を危険に感じるやうになる。
「聖域」は、弱点になるからだ。
実の父親が本心からキラを倒さうと思つたら、アレクを手に掛けるのが一番いい方法だ。
「聖域」は、「真に好きな人」「心から好きなものごと」に置き換へられる。
好きな人、好きなものごとを他人に、とくに敵に知られることは、自殺行為なのだ。弱点を知られることになる。
そんなこと、できるか。
「敵」つて誰だよ、とか、「どんなマキャヴェリストだよ」といまになつて思ひはするが、一度身についた習ひ性は、さうさうなくなつたりはしないのであつた。
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