あたりまへのことは書くべきにや
もうおきまりのことを書くのはやめやう。
とは思ふのだが。
たとへば、春秋左氏伝である。
春秋左氏伝といふのは、昔の中国の歴史書だ。
特徴はといふと、「あたりまへのことは書かれてゐない」である。
すなはち、変事しか書かれてゐない。さういふことになつてゐる。
したがつて、春秋左氏伝に書かれてゐるといふことは、それはなにかしら変はつたできごと、書きとめるべきできごとだ、といふことだ。
書いた直後はそれでもいいだらう。
なにがあたりまへでなにがさうでないか、自明の理だからである。
おそらく、読み手側もその情報を共有してゐるだらう。
春秋左氏伝が書かれたのは、2500年近くまへのことだ。
当時のあたりまへはいまのあたりまへではない。
幸ひなことに、春秋左氏伝の研究結果が連綿と受け継がれてきてゐるので、当時のあたりまへはなにかといふのはわかるけれど、それがなかつたらまつたくお手上げだ。
研究結果があるのは、春秋左氏伝だからである。
自分で書いたメモにはそんなものは存在しない。
書き記したそのときは、「あたりまへ」だつたことが、読み返すときには「なんだつたつけ」に変はる。
それも、一年もしないうちに、下手をすると一週間くらゐで「あたりまへ」は「なんだつたつけ」に変はるのである。
なんといふことでせう。
といふわけで、くだくだしくあれこれ書いたが、つまりかぎ針編みのスカーフは進んでゐない。
編んではゐる。
だからまつたく進んではゐないわけではないが、見た目はちつとも変はつてゐない。
それでも編んでゐる。
かぎ針編みのスカーフについては以上。
さて、この秋冬に編まうと思つてゐたたたとたた夫さんのラグランのリブタートルセーターだが。
指定糸であるデビー・ブリスのベビー・キャッシュメリノが入手困難ないま、プリンセスアニーで編んでみやう、と、いふところまでは書いた。
前回は、色番No.503で編まうと思つてゐた、と書いた。
こんな色である。
さう、すでに編んでゐるのだ。
これは去年の毛糸だまに載つてゐたシェットランドレースのマーガレットだ。やつがれはヴェストと思つてゐるけれど。
ところが、この色がどうやら今年は廃番らしい。
どうする。
いろいろ考へたが、No.503は膨張色だ。
それに廃番だ。
だつたら、指定色の黒にしやう。
黒だつたら廃番になることはないだらうし。
そこまで考へて、だが待てよ、と思つた。
もしかしたら、チャコールグレイなんかもいいんぢやないか知らん。色があれば、だけど。
それにプリンセスアニーといへば、紺灰色とでも呼びたいやうな、とてもいい色がある。
こんな色である。
さう、
これまた既に編んでゐるのである。
といふわけで、やはり黒かな。
あるいはチャコールグレイ。
店頭で見て決めるつもりだ。
問題は、黒で編むといふことは、ただでさへ苦手な脇の綴じなどがますます面倒だ、といふことだ。
といふわけで、編めるところは輪に編まうと目論んでゐる。
かうして、野望ばかりが燃え上がる、まだまだ暑い九月なのであつた。
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