野望と無謀との間で
出かけないとタティングしない日々がつづいてゐる。
昨日は東京マッハが出張しておこなつた札幌マッハをUSTREAMで視聴した。そのあひだ、手元ではかぎ針編みのスカーフを編んでゐた。といふか、編んだり選句結果やメモを書き記したりしてゐた。
東京マッハといふのは公開句会だ。メンバーは千野帽子、長嶋有、堀本裕樹、米光一成(五十音順)の四人で、そこにゲストが加はる。
昨日は、颱風のせゐで札幌にいけなかつた客のために急遽USTREAM中継がおこなはれた。やつがれは、その恩恵を受けることができた、といふ寸法である。
ついかぎ針編みのスカーフに手を出してしまふのは、もういい加減早く仕上げたい、といふ心があるからである。
颱風一過、いきなり涼しくなつてきたせゐもある。
はやく毛糸で編みたいでせう。
綿の糸もいいけどさ。デビー・ブリスなんかは、コットンで編んだセーターなどは一年中着られる、といふやうなことを云つてゐたと思ふけどさ。そしてそれはそのとほりなんだけどさ。
しかし、もう秋である。
十月といへば、暦の上ではDecember、ではなくて、冬である。すくなくとも昔の中国や漢詩の世界ではさう。最近、酩酊状態で史記を読んだり、漢詩を読んだりしてゐるので、すつかり暦と季節の感覚がずれつつある。
七月は秋。蘇軾だつて「壬戌之秋七月既望」つて「赤壁賦」に書いてるぢやん。七夕は秋の行事。
八月は晩秋の趣を強く感じるのは、土井晩翠の「星落秋風五丈原」のせゐだらう。つてこれは漢詩ぢやあないか。
もとい。
そんなわけで、もう秋なのである。
といふか、秋も終はりかけてゐる。
夏糸でスカーフなんか編んでゐる場合ぢやあないのだ。
その結果、この連休中は、可能なかぎりかぎ針編みをしてゐた。と思ふ。たぶん。
で、タティングレースの方は、一向にすすんでゐない。
例によつて、Jon YusoffデザインのThe Twirlyといふモチーフを作つてはせつせとつないでゐる。
七つつないだドイリー状のものができたあと、もうひとつおなじものを作つてつなげやうとしてゐて、現在そちらは四枚つないである。前回も書いたやうに思ふが、どうやらすこし手が速くなつてきたのらしい。慣れてきたのだらうな。
この勢ひに乗じて、がんがんタティングしやうぜ。
さう思はないでもないのだが、なぜかこの連休中は一度もシャトルを手にすることはなかつた。
すすまないわけである。
タティングしたい気持ちはある。
気持ちはあつて、しかし、目の前に編みかけのかぎ針編みのスカーフがあると、そちらを先になんとかしなければ、といふ気持ちになつてしまふのだ。
こればかりは如何ともし難い。
それにしても、この、The Twirlyをつなぎまくつたものを、やつがれはどうしやうといふのか。
我ながら謎である。
もつとたくさんつないで、おほきなものを作らうといふのか。
うん、まあ、そんなところかな。
できたらそれこそスカーフとかもつと云ふとショールとかになるくらゐつなげてみたい。
そんな気がしてゐる。
しかし、いまのペースとタティングに割ける時間とを勘定に入れると、それはいはゆる「無謀」なんだよなあ。
きりのいいところで切り上げるべき、なのかなあ。
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