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Friday, 13 September 2013

飯田市川本喜八郎人形美術館 宮廷の抗争と連環の計

「黄巾の乱」の次のケースの主題は、「宮廷の抗争」と「連環の計」とである。

「宮廷の抗争」。いい題名ぢやな。
渋谷ヒカリエの川本喜八郎人形ギャラリーの方は、「漢室」になつてゐるが、「宮廷の抗争」の方が似つかはしい。まあ、それにしても袁紹と許攸とがゐるのは妙ちきりんな話ではあるけれど。

「宮廷の抗争」といふことで、何后、陳留王、弘農王、何進、そして董太后がゐる。
最初の三人は、作りなほされたものが現在ヒカリエにもゐる。

何后は、ヒカリエにゐる方がより驕慢で、白い皮膚の下にある脂もより濃厚な感じ。髪の毛の盛りも渋谷の方が贅沢だし、その分装身具なども豪華になつてゐるやうに思ふ。
下賎の身で皇后の位にのぼりつめた直後が飯田で、その後皇帝の母となつた姿が渋谷、といつたところか。

陳留王については、ヒカリエの展示について書いたときに記したとほり、なぜか飯田の方がいい表情をしてゐるやうに見える。
渋谷の陳竜王はなんとなく賢しげなんだよね。あれはなんでだらう。正面を向いて、ほんのり微笑んでゐるやうに見えるのだが、本心からの笑みに見えない。
一方、飯田の陳竜王は、もうすこし幼い感じで、幼いながらも賢いやうに見受けられる。
その後、飯田には行つてゐないからよくわからないが、渋谷の方は照明の加減でさう見えるのかなあ、と思つたりしてゐる。

弘農王は、つい陳留王と比べてしまふ。
どこがどうちがふか、といつて、弘農王の方が額が出てゐる、といふか、目の部分がひつこんでゐる。
普通、秀でた額といへば賢さを示す特徴だが、この場合はこれにあたらない。
両目の離れ具合とか、眉と目との離れ具合とか、さういふところで違ひが出るのだらう。
あ、あと弘農王の方が姿勢が悪い。ちよつと首が突き出たやうな姿勢で立つてゐる。
陳留王の方が姿勢がいいもんな。
姿勢、重要だな。
衣装は、弘農王の方が若干豪華。前垂れとかもあるし。

何進は、赤を貴重にした衣装。前垂れも赤地に鳳凰を刺繍したもので、とても豪華。
何進のくせに生意気だぞー、と、つい思つてしまふ。
位人臣を極めたわりには、それほどあくの強い印象はない。

どちらかといふと、その隣にゐる董太后の方が、ひとくせありさうな表情で立つてゐる。
衣装は、色味は地味。
人形劇では最期に陳留王に「人を恨んではいけない。弘農王や何后を恨まぬやうに」と云ひ残して死んでいく。そのせゐか、「いい人」といふ印象が強い。でも、考へてみたら、長年後宮で暮らしてきた人だもの、それなりにくせはあるの
かもしれないなあ。

「連環の計」には、董卓、貂蝉、王允、呂布、そして李儒がゐる。
この五人は、前回の渋谷ヒカリエの展示にもゐた面々だ。

董卓は、黒い武人の出で立ちである。
人形劇で見てゐたころは、董卓にはなんとなく「だらしない」印象があつた。
髪とか髭とかのやうすでさう思つてゐたんだらう。
きちんとしてゐるやうに見えなかつたんだよね。
渋谷で見たときに、作りなほした方はえらい立派に見えた気がした。
「だらしない」といふのは、こちらの目の誤りだつたのかもしれない。
飯田の董卓も、立派に見えるからだ。
うーん、黄巾討伐のころの董卓にだらしない印象があつて、その後もその印象を
引きずりつづけてしまつたのだらうか。

貂蝉は、飯田の方がはかなげな感じである。
より細面、なのかな。
学芸員の方に、下からふりあふぐやうに見るとふんはりとやさしい表情をしてゐるんですよ、と教へられて、かがんで見上げてみた。
なるほど、確かにいい顔に見える。
渋谷でもやつておくんだつたなー。
女の人は、この貂蝉と何后としか見てゐないけれど、作りなほした方が肉感的な感じに見受けられる。

呂布は、同じく学芸員の方から、一番最初に作成された人形だ、とうかがつた。
渋谷の呂布は、以前も書いたが、なんだか暴走族のヘッドのやう
な、嫩い印象だつた。
人形劇の呂布はもつとこー、男くささが匂ふやうな感じだつたからね。
飯田の呂布はといふと、それでも人形劇のときよりは、やはらかい印象、かなあ。正面から見たときに、とくにさう思つた。
例によつて、眦の裂けさうなほど横を睨んでゐるのだけれど、正面から見たときはそんなに怖くない。
人形劇のときは、「こいつ、キレる。脳の血管もキレてる」とか思ひながら見てゐたからなあ。さういふ、狂気の印象はない。
最初にできたといふわりには、衣装の褪色や劣化もそれほどひどくないやうだ。

王允は、人形劇のときの、小狡さうなやうすで立つてゐる。
渋谷の王允は、どちらかといふと老獪な官僚といふ感じであつたけれど、人形劇のときは小狡い小動物のやうな感じだつたものね。
同じく学芸員の方に、「王允は宦官」といふやうなお話をうかがつたが……いや、王允、宦官ぢやないし。髭あるし。
と、主張できなかつたのが心残りである。
「宦官」発言の心は、どこか柔弱である、といふことだつたんだと思ふんだけどね。
たしかに、飯田の王允のねちつとしたところは、さう思はれても仕方がないのかもしれないなあ。
正史とかではえらい褒められやうなんだけどなあ、王允。

李儒は、なにしろ渋谷の李儒がなんとも色男な感じだつた。色男といふよりは、間男、かも。
人形劇の李儒には、どこかキツネのやうな、顔の具が全体的に真ん中に寄つたやうな印象を抱いてゐた。
最近になつてDVDで見直してみて、「それとはちよつとちがふかな」とは思つてはゐた。
実物は案外いい男である。
李儒といふと、なんといつても董卓をはねとばしちやふやうな人だし(人形劇には出てこないけど)、実は董卓より悪だらう、董卓より悪つてどんだけ悪だよ、
といふやうな人物だと思ふんだが、その「悪」な感じがいいんだらうなあ。
学芸員の方も、「いいところが微塵もない」といふやうなことをおつしやつてゐた。
なるほどなあ。「いいところが微塵もない」。「全身是悪」。
いいぢやあないか。
渋谷の李儒は、黒地に色とりどりの渋めのラメを散らしたやうな、どこか七十年代のアイドルが着てゐてもをかしかないやうな衣装だつたが、こちらは人形劇のときとおなじ(あたりまへだ)、渋い衣装。
右手後方から見ると、かしらの中のあいてゐるやうすも見える。

「黄巾の乱」についてはこちら

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