主人公出てこないぢやん
「スラムダンク」で一番好きな試合は海南大付属(以下「海南」)対陵南である。
といふ話をしたら、「主人公、出てこないぢやないですか」と云はれてしまつた。
といふわけで、昨日の話と微妙につながつてゐる。
海南対陵南がすばらしいのは、主人公が出てこないからなんだがなあ。
一応説明をしておくと、「スラムダンク」はバスケットボールのまんがで主人公が通ふのは湘北高校。
海南といふのは県下一の強豪校で、陵南といふのは強いけど主人公のゐる高校のライヴァルといふことになつてゐる。
昨日も書いたが、主人公が出てこないから話が凝縮される。
試合の中で主人公が成長するさまとか描かなくてもいいし、家族とか仲間とかが応援するさまを描く必要もない。
それまであまり活躍しなかつた選手が出てきたときに、その過去などをほぼ一話分まるまる使つて説明する必要もない。
海南対陵南戦ではじめて出てきて活躍した福田吉兆と、つづく湘北対陵南戦でいいところでスリーポイントシュートを決めた湘北の木暮公延との描かれ方を比べるとよいかと思ふ。
#ここでの木暮さんの描かれ方は、実は物語の限界が理由なのだが。
#まあそこはそれ、だ。
さらには、この場合海南が勝つても陵南が勝つても、話の展開としてはおもしろくなる、といふ状況である。
これが主人公のチームが関はつてくるとかうはいかない。
「スラムダンク」の場合は、全国大会に出られるのが県内から二校といふので、一度は負けてもなんとかなつた。
でも普通は、試合中にいろいろあつて、それでも勝つ、みたやうな展開になるのが常だね。
その勝利の演出のためにあれこれやらなければならない。
さういへば、「ドラゴンボール」でも天下一武道会では天津飯対ジャッキー・チュンが好きなんだよなあ。
これは長いこと、「道を究めた老人から若いものへのリレー」みたやうなところが好きなんだらうと思つてゐた。
でも、考へてみたら、これも「主人公が出てこないから」いいのかもしれない。
たとへば、天津飯が主人公だつたら(天津飯が孫悟空だつたら、ではない。念のため)、この試合は、もつとウェットな描写になつてゐたらう。
悪者の師匠に育てられ、また身近に悪くてめちやくちや強い人物(桃白白)がゐて、悪の道に進むことを疑ひもせずに成長した主人公が、正義かどうかはともかくこれまためちやくちや強い老人に出会つて開眼する。
映画にありさうな展開ぢやあないか。
この試合、天津飯が勝つた方がその後の展開がもりあがるのはいふまでもないが、ジャッキー・チュンが勝つと前回の天下一武道会のリヴェンジになるのだ。
「ドカベン」にも白新対東海とかあつたよね。不知火くん対雲竜くん。
「キャプテン翼」だと明和東対東邦だらうか。それよりも明和対ふらのか。
ま、いつか。
どちらかが勝つてもいい。
その方が話としてはおもしろいぢやあないか。
といふか、やつがれはおもしろいと思ふ。
まあそれも、「主人公」といふ存在あつてのことなんだけれどね。
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