セーラームーンが何をリメイクするといふのか
「セーラームーンがリメイクする」
「ペットボトルカヴァがいろいろ売つてゐる」
なにを?
上記のやうな文章を見ると、かならずさう思つてしまふ。
セーラームーンがなにをリメイクするのか。
いろいろのなにを売つてゐるといふのだらう。
わかつてゐる。
ことばは世につれ、だ。
これもまた「ら抜き」ことばの一変形なのだらうとは思ふ。
この、「無機物がなにかする」といふ表現については、だいぶ前にも書いたことがある。「新刊が本屋で売つてゐる」とかね。新刊がなにを売るといふのか。
最近ではNHKのニュースでもアナウンサがかういふ表現を使ふことがある。ニュースなんだから原稿があるだらう。といふことは、原稿にさう書かれてゐる、といふことだ。まあ、外からの中継のときだつたりするから、各アナウンサの個人的な表現なのかもしれないが。
ことばは世につれ、は、いい。
問題は、過渡期である。
えうは、「ら抜き」ことばなどでもさうなのだが、一般的にはもうどうしやうもないほどひろまつてしまつた表現でも、ビジネスの場では誤用とみなされる表現を、どうしたらいいのか、なのだ。
どうしたらいいのかもなにも、ダメなものはダメだらう。
それはそのとほりなのだが、普段から「来れる」とか「新刊が売つてゐる」などと口にしてゐる、いや、もつといふと、PCや携帯電話、スマートフォンなどから打つてゐる人々に、それがなぜダメなのかを、どうやつて説明すればいいのか。
そこが困るのである。
理解できないでせう、いきなり「ダメ」つて云つたつて。
文法を持ち出してきて説明すればいいのかもしれないが、そんなの、学校ですませてゐるはずのことだ。相手が授業でサボつた結果を、なぜこのやつがれが埋め合はせしてやらねばならんのだ。
いろいろ納得がいかない。
普段話してゐるときや、私的なメール、SNSなどでの発言についてとやかくいふつもりはない。
いつても意味ないし。
くどいやうだが、「ことばは世につれ」だし。
職場などの公の場で、ちやんと話したり書いたりしてくれれば、それでいいのだ。
なぜそれができないのだらう。
いや、できないのはともかく、なぜそれがダメだといふことがわからないのか。
個人的な趣味嗜好もあるから、仕方ないのかな。
かくいふやつがれは、職場の直属の上司にはばか丁寧な敬語を使ふ必要はないと思つてゐる。
さういふのは、もつと上の上司とかお客相手のときにとつておくものだと思ふからだ。
しかし、世間の常識としては、どうもさうではないらしい。
まはりに直属の上司を超える役職の人がゐない場合には、やつがれの考へるところの「ばか丁寧な」敬語を使ふものらしいのだ。
たとへば、直属の上司について「いらつしやる」は過剰だと思つてゐる。「お出でになる」くらゐぢやないかなあ。
と、思ふのだが、どうもさうではないらしい。
まあ、かうして理屈を述べてはゐるが、ぢやあ実際の場面でここに書いてゐるやうにことばを口にできるかといふと、それもまたアヤシい。
世の中さうしたものか。
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