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Thursday, 01 August 2013

主人公不在のエピソード

毎晩寝るまへにちよこつとずつ「人形劇三国志」を見てゐる。
ここのところ、赤壁の戦ひ直前のせゐか、ほんの五分くらゐ見るつもりだつたのに延々と見続けてしまつて、気がつくとその回はほとんど見てしまつた、といふことが起こりがちだつた。
といふわけで、心を鬼にして、会話の途中であつたりしても「ここまで」と決めたところでやめるやうにしてゐる。

なにがそんなにおもしろいのか。
赤壁の戦ひは「三国志演義」全体の中でも一番もりあがる展開の部分ではある。
それゆゑのことだらうな、くらゐに考へてゐたのだが。

夕べ、突然ひらめいた。
「人形劇三国志」の赤壁の戦ひ前後がおもしろいのは、主人公がゐなくても話がサクサクすすんでいくからではないか、と。

「三国志演義」における主人公が誰なのか、といふのは、実はむづかしい問題だと考へてゐる。
でも、「人形劇三国志」はちがふ。
「人形劇三国志」の主人公は玄徳だ。
こども向けに話を展開する都合上、誰かが主人公でなければならない。
なるほど、玄徳は、主人公にたる登場人物である。
そして、玄徳(と関羽と張飛と)を主人公にすゑることで、「人形劇三国志」の物語に、あちこちひづみがある、といふのもまた事実だ。

といふ話はまたの機会にゆづることにして、主人公が不在だとなぜ話が、といふか、一エピソードがおもしろくなるのか、といふ点について考へたい。

主人公が不在だと、話が凝縮される傾向がある。
読者も、そしておそらくは作者も客観的に話を見ることができる。
とくに勝負の関はる物語に顕著だ。

主人公といふバイアスが存在しないために、「どうせ主人公が勝つんだらう」だとか、とりあへず勝利のまへに主人公をいためつけておけ、とか、さういふ予断や作為が入らない。
そのため話の流れがとぎれないし、自然でもある。
かうした物語は、主人公の成長を描くものだつたりするので、弱かつた主人公が強くなつていく課程も描かないといけなかつたりする。
さういふ描写がいちいち邪魔なこともある。
でも主人公がゐなければ、そんなものはなくても問題ない。
さらにいふと、成長過程の主人公がゐないため、いきなり頂上決戦といつたおもむきになることがあるのも、この種のエピソードの特徴である。

「人形劇三国志」の赤壁の戦ひに至るまでの四話くらゐは、舞台はほぼずつと江東で、出てくるのも当然呉の人々、もしくは曹懆軍の人々である。
こども番組の常で、玄徳とその一行は、一話につき一度は必ず出てくるけれど、「出てこなくてもいいのに」くらゐの扱ひだ。手勢もほとんどない状態だしね。もともと荊州のものだつた兵力が一万とか二万とかあるていどだ。
そこいくと曹懆軍は、だいぶさばをよんではゐるものの百万とか云ふてるし、対する江東軍も、おなじく数十万といつたところ。しかも、精鋭部隊だ。まあ、曹懆軍の方はかなり寄せ集め的だつたりするわけだけども。
ちよつとした頂上決戦ぢやあないか。

と、ここまで考へて、でも主人公側の視点もはづせないんだよなあ、といふことに気づく。
主人公側のもくろみとしては、江東軍に勝つてほしいわけだが、でも勝ちすぎてもらひたくもないのだ。
だつて曹懆がゐなくなつたら、天下三分の計がならなくなつちやふぢやん。
呉にはそこそこ勝つてもらつて、でも勝ち過ぎてはほしくない。
そこらへんの微妙な舵取りを、孔明が巧妙にこなしてゐるのがおもしろい。さうも思へる。

まあ、天下三分の計は孔明が云ひ出したことだし、この場合玄徳は「曹懆がこの戦で死ぬならそれはそれかな」くらゐに思つてゐたんぢやないかな、とは思ふけどもね。

とすると、やはり主人公は関係ないのか。

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