飯田市川本喜八郎人形美術館 黄巾の乱
次に飯田市川本喜八郎人形美術館に行くのは、りんごの季節にするつもりだつた。
いまでもなかばはそんなつもりで、しかし、ここのところとみに行きたくてたまらない。
りんごの季節に泊まりがけで、といふのが、次の飯田行きの予定であつた。
前回行つたときは、日帰りにした。
弾丸旅行は覚悟してゐたものの、なんとなく物足りない気分で帰つてくることになつた。
さうだよな、一日の大半はバスか電車の中なのだもの。
しかもそのまへに行つたときは、一泊して両日会ひに行つたのだもの。
まあ、このときに、「さすがに連日あらはれるつてどーよ」と思はないでもなかつたので、日帰りにしたわけだが。
いづれにしても一長一短。
でもわざわざ時間をかけて行くのなら、滞在時間も長くしたい。
そんな気もする。
などと云ひながら、りんごの季節のまへに行くとしたなら、たぶん日帰りだらうなあ。
実は、りんごの季節に一泊で、といふのにはわけがある。
りんごを収穫するころになると、飯田の町の路上などでりんごの販売がはじまる、といふのだね。
それで、まづ一日目は一個づつとか、りんごを買つて宿に行つて食べてみて、おいしかつたのを次の日みやげに買つて帰るのはどうだらうか、と思つたわけだ。
なんだか買つたりんごは全部おいしいのではないかといふ予感もしないではないのだが。
万が一路上売りがなくても、どこかで売られてゐるだらうし。
さういふ予定ともいへぬ予定をたててゐたのだ。
でもなー、この際、りんごの季節にはまた行くとして、いま行きたい。すぐ行きたい。即行きたい。
といふわけで、九分九厘(「人形劇三国志」によく出てくることばである)、行くやうな気はしてゐる。
現在の展示については、行つてからあらためて書くことにしやうかと思ふてはみたのだが。
しかし、第一印象つて大事だよな。
かくして、ここから先が、六月に飯田に行つたときの展示の内容と相成る。
現在の飯田市川本喜八郎人形美術館の展示内容は、人形劇系は「人形劇三国志」のみ、人形アニメーション系は「死者の書」のみである。
まづ展示室に入ると、例によつて紳々竜々が飾られてゐる。
番組開始直後の出で立ちである。
紳々竜々は、紳助竜介を模した人形である。ゆゑに人気があつたり、逆にほかの人形たちより低く見られたりすることがある。
実を云ふとやつがれは後者の方だつた。
それが、最近ちよつと変はつてきた。
変化は、まづ衣装への興味からはじまつた。
以前も書いたが、「人形劇三国志」や「平家物語」の人形の多くは、人間の着物、おもに帯を紐解いた縫つた衣装を身にまとつてゐる。絢爛豪華だつたり、一見地味でもよくよく見るといい生地を使つてゐたりするのはそのためだ。
紳々竜々はちがふ。
いつ見ても、なんとなく粗末な感じの衣装である。
おそらく綿だらう、人形用にはちよつと目の粗いやうな生地の衣装を着てゐる。だいたい色違ひのお揃ひだ。
ほかの人形の衣装は、おそらく動かしたときの効果ゆゑかとは思ふが、裾は縫はれてはゐない。糊で止めしつかりアイロンをかけて押さへてあるやうに見受けられる。
これも、紳々竜々の衣装はちがつてゐて、裾は縫つてある。針目が見える。それがなんともおもしろい。
また、番組をあらためて見るうちに気がついたのだが、紳々竜々の動きといふのは、実にちよこまかとしてゐてかはいらしいのだ。人形遣ひがいいんだらうなあ。聲の演技はおいておいて、人形の演技だけ見てゐると、まことにすばらしい。
コミカルな部分だけではなく、たとへば、第37回「王覇の業」などは趣があつていい。このとき紳々竜々は呉の軍にゐる。荊州攻略に失敗した呉の船団が、日のとつぷりと暮れた長江をしづしづと下つてゆく。その中の船に紳々竜々は乗つてゐて、疲れ切つたやうすでよりそつて眠つてゐる。そのやうすがなんといふか、「戦ひ済んで日が暮れて」といふ感じでいいんだなあ。
といふわけで、まづ紳々竜々を堪能する。
次のケースには、黄巾の乱といふことで、張角、張宝、張梁と盧植が並んでゐる。
張角、張宝、張梁に関しては現在の川本喜八郎人形ギャラリーにも並んでゐて、そこで飯田の三人についてもすこしふれてゐる。ヒカリエにゐる三兄弟の方が立派に見える、とかね。
張宝は、しかし、飯田の方が妖術遣ひめいてゐてよい。目の下に藍隈を入れるときの色でアイラインが入つてゐるんだよね。ヒカリエの張宝にはこれがない。ちよつとした違ひなんだけど、それでかなりちがふ。
張梁が一番変はらないかな。ヒカリエのときにも書いたけれど、ソンブレロをかぶつたらそのまま西部劇に出てきてもをかしかないやうなラテンな男だ。
張角は、ヒカリエの方が胸に一物ある感じで、飯田の方は茫洋としてとらへどころのない感じがする。個人的には飯田の「茫洋としてとらへどころのない」感じの方が新興宗教の尊師つぽいと思つてゐる。
まあ、張角については、飯田の方が旗揚げのころで、ヒカリエの方がその後野心に火がついたころ、といつた感じなのかもしれない。
このケースでは、盧植が実にいい。
なんといふか、「ダンディなをぢさま」風なのである。
人形劇の盧植はもつと厳格な感じの人だつたがなあ、と思ひつつも、やさしげなやうすに目を奪われる。
表情がまづやさしげなんだよね。眉と目の感じかな、と思ふ。
人形劇だと、張飛を叱りつけたり、何進に反論したり、厳しくも正しい姿が印象深いからなあ。
宮中に出入りするときの衣装で、細い前垂れは灰色地にいまでいふ五月の花と鳥などが刺繍されてゐて、これがまたいいのだ。
といふわけで、以下つづく。
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