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Friday, 26 July 2013

川本喜八郎人形ギャラリー 漢室の人々

渋谷ヒカリエにある川本喜八郎人形ギャラリーの現時点の展示では、人形劇三国志の人形は十四体。物語序盤に登場する人物を主にあつめてゐる。
前回の展示とは、平家物語とケースが入れ替はつてゐる。

入り口に一番近いところには、十常侍の宦官たちが三人ゐる。
向かつて左から順番に、段珪、蹇碩、趙忠だ。
段珪は、下がり目の下に袋のある中年、趙忠はちいさく丸い目を見張つた賢しげな若者、そして、蹇碩は全体を牛耳る権高な老人といつた印象だ。

段珪と趙忠とは、宦官の冠を頭にいただいてゐるが、蹇碩はちがふ。ほかの文官たちも冠るやうな丸みを帯びた直方体の冠である。
衣装も、段珪と趙忠とは朱色と深い緑を主に使つたものを身につけてゐるが、蹇碩は明るい牡丹色の衣装で、前垂れも立派である。真ん中にゐることもあつて、いかにも「首領」といつた趣である。
蹇碩は、人形劇三国志では、まちつとするどい感じだつた。ヒカリエにゐる蹇碩はなんとなく丸い、ともいへる。
人形劇三国志に出てゐた蹇碩は、先代の河原崎権十郎にそつくりだつた。特に山崎屋が悪役をやるときの、鋭い目元がよく似てゐた。
そんなわけで、ひそかに頭の中では山崎屋の聲に吹き替へたりしたものだつた。
山崎屋の悪役は、迫力のある低音のすばらしい聲だつた。なのでうつかりさういふ聲で吹き替へてしまつたりしてゐたけれど、考へてみたら、蹇碩は宦官だ。そんな、深くて低い聲はしてゐなかつたらう。
でも大丈夫。山崎屋さんは女方もよくした。栄御前みたやうな聲に吹き替へればいいのだ。
ところが、ヒカリエの蹇碩は、山崎屋を思はせるやうなところは微塵もない。
チト残念である、といふのは個人的な意見で、ヒカリエの蹇碩は人形劇に出てゐた蹇碩にくらべてより威厳のある感じがするし、衣装も立派だし、この蹇碩が人形劇に出てゐればまたちがつたらうなあ、といふところ。

その隣が、陳留王、弘農王、そして何太后だ。
この三人は、現在飯田市川本喜八郎人形美術館に、人形劇に出てきた人形が展示されてゐる。
陳留王は、朱色の上着に緑の袴状の衣装で、ちよつとにつこりした顔で立つてゐる。
その横の弘農王(だらう。それとも少帝といふべきなのだらうか)は、衣装は似たやうな感じだが、前垂れがついてゐる。これが実に愚鈍さうな表情をしてゐて、つい陳留王と見比べてしまふ。ちよつとした違ひだと思ふんだがなあ。
柴田錬三郎だつたらうか、ルーブル美術館などに行つて、歴代の国王や宰相の肖像画を見てゐると、賢いものは賢いなりに、愚かなものは愚かな感じに描かれてゐる、と云つてゐたが、まさにそんな感じだらうか。
ただし、ヒカリエの陳留王は、「賢しげ」といふ感じで、必ずしもいい印象があるとはいへない。飯田の陳留王は、利発さうでかはいいんだけどなあ。照明の感じなのかもしれない、と思ひつつ、比べてみると、ヒカリエの陳留王の方が、なんとなく表情がかたい感じがする、そのせゐで生まれる違ひかも、と思ふ。

何太后は、人形劇に出てゐたときによりも髪の毛の盛りがずつしりと増えてをり、その分髪飾りなんかもちよつと豪華で、その表情もさらに驕慢さを増してゐる。飯田の何太后と比べると、その違ひは一目瞭然だ。ヒカリエの何太后の方が、やんごとなき際にはあらぬが、すぐれてときめきたまつた高飛車な女、といふ感じがよく出てゐる。それに、ヒカリエの何太后の方が肉感てきなんだよね。なんだらう、唇の感じ、かな。この驕慢さうで脂ののつた感じは、前回平家物語で展示されてゐた祇園女御と思ひ起こさせるんだなあ。

その隣が、袁紹と許攸である。
なんで「漢室」に袁紹と許攸となんだよ、とは云ふてはくれるな。
今回の人形劇三国志の展示で、一番好きなのはこの二人かな。
特に袁紹。
顔立ちも冠も、人形劇のときと変はらない。つりあがつた眉毛に三日月を寝かせてくぼんだ方を上に向けたやうな目の形、人形劇のときのままだ。
人形劇のときのままなのだが、なんとなく顔のパーツひとつひとつがくつきりしてゐるやうな感じがする。
また、衣装はオレンジと紫といふ、フィーニックス・サンズのやうな色合ひで、これがよくうつる。人形劇のときはこんな色合ひぢやなかつたよね。
どうもやつがれは、話しかけたさうにしてゐる人形に弱いところがあつて、この袁紹がまさにそんな感じなのだつた。
いや、袁紹だから、単に自分が話したいだけかな。
人形劇のときより頬が赤いかな。そんなところもいい。

許攸は、人形劇のときより顔が細くなつてゐる。顎なんか、とくに細くなつた感じ。
人形劇のときは、時折立川志らくに似てゐるなあと思ふことがあつたが、ヒカリエの許攸はそんなことはない。
眉根を寄せて困つたやうな表情は人形劇のときとおなじだが、なんだらう、人形劇のときは、もつと人がよささうな感じだつたのに、そんなやうすが失せてしまつてゐる。
人形劇のときは、官渡の戦ひのときにはじめて出てきて、正しいことを進言してゐるのに受け入れられない、みたやうな役どころだつたから、それで人がよささうに見えたのかもしれない。
人形劇では許攸はその後も殺されることなく赤壁の戦ひ前夜まで活躍するのだが、ヒカリエの許攸は官渡の戦ひが終はつたら、さつさと殺されてさうだ。

残りの黄巾の人々と三兄弟については、また機会をあらためて。

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