顧みて省みる
「マナーのいい方ね」
三月、新橋演舞場に昼の部を見に行つたときのことだつた。
幕間に、隣の席のご婦人がなにかと話しかけてきてくだすつた。
どうやら菊之助のひいきらしく、お三輪ちやんを一生懸命オペラグラスで見つめてゐた。
お三輪ちやん、よかつたよね。
七之助のお三輪ちやんが「娘のパワフル」なら、菊之助のお三輪ちやんは「娘のリリカル」だ。
最後、苧環を抱へておちいるところなど、可憐であはれでよかつたなあ。
といふやうな話もした。
また、「さつき買つてきたのよ」などとおつしやつて、榮太郎飴をくだすつたりもした。
冒頭のせりふは、別れ際にご婦人から云はれたことばである。
とんでもない話である。
もし万が一やつがれが「マナーのいい」人であつたとしたら、世界中の人がマナーのいい人、といふことになるだらう。
このblogをご覧の向きにはご存じかとは思ふが、やつがれは世に云ふ「ヤな奴」である。
底意地の悪い、といふのが一番あたつてゐるかな。
自分で自分のことを「悪い奴」と思つてゐるので、他人からだまされる、といふことも往々にしてないわけぢやあない。
自分のやうな悪い人間をだまさうなんて相手がゐるわけがない。
さう思ひこんでゐるところがある。
「ああ、さうか、自分は「悪い奴」ぢやなくて、「ダメな奴」なんだな」と、そんなときは思ふ。
たぶん、近所の人に訊いても、やつがれのことを「マナーのいい人」といふ人はひとりもゐまい。社交辞令は別として、だ。
挨拶はするし、ゴミは決められた日に、まあそれなりに分別して出してるし(それなりに、といふのは、自分の理解できてゐる範囲で、くらゐの意味である)、できるだけ騒音の出ないやうに暮らしてゐる。
とはいへ、最低限の常識のうち、できてゐないことがまだまだある。
そんな気がする。
職場でも同様だ。
基本的に、ルールやきまりは守る方だと思ふ。
だが、押しつけられるとむやみに反発してしまふ。
昔からさうだ。
校則は守つてゐるんだけど、教師からむりやり押しつけられたやうなルールは、どこかでやぶるやうにしてゐた。してゐた、といふか、せずにはゐられなかつた。
その時点で「さういふルールも守らないといけないんだよ」といふことを学ぶべきだつたのだ、と、いまになつて思ふが、あとのまつりである。
そんなわけで、昔から誉められるといふことがない。
最後に誉められたのつていつだらう。
あ、この三月のときか。
マナーとはなんだらうか。
たまに、関内ホールに落語を聞きにいく。
関内ホールは、築25年以上になる。
舞台から見ると青い客席が海を思はせる、そんなホールだが、それほど広くはない。
広くはないから、通路からはなれた席に入るときに、通路側の席に人が座つてゐたりすると、「すいません」などと云ひ云ひ席につくことになる。
それ事態はどんな劇場、ホールでもあることだ。
関内ホールで上演される噺家の独演会でちがふことは、このとき、先に席についてゐる人がにこやかなことだ。
「すいません」と云ふと、「どうぞ」と微笑んでくれる人が多い。
お互ひさまですよね、といふ感じなのだらうか。
あるいは、「今夜は楽しみに来てるんですもんね」といふ感じか。
いづれにしても、サントリーホールや歌舞伎座ではお目にかかつたことのない人々だ。
ちよつと不便ではあるけれど、関内ホールに行くのは、さうした客が多いからかもしれない。
「マナーのいい人」といつて思ひ出すのは、関内ホールで落語を聞きにくる客である。
自分はあんな風にできてゐるだらうか。
いやー、いやいや。
それはないなあ。
ときどき、「マナーのいい方ね」と誉められたことを思ひ出す。
誉められ慣れないからだらう。
慣れないことだから、妙にうれしい。
だからといつて舞ひあがつちやあなんねーぞ、と、普段のみづからの言動を省みて心する。
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