川本喜八郎人形ギャラリーの外
渋谷ヒカリエにある川本喜八郎人形ギャラリーの展示替へから、ずいぶんたつてしまつた。
去年の開場から展示されてきた人形は、今年の四月十八日でお役御免になり、四月二十六日から現在の展示にかはつてゐる。
前回は、平家物語から十四体、人形劇三国志から十九体だつた。
現在は、平家物語から二十七体、人形劇三国志から十四体だ。
平家物語には、今若・乙若・牛若がこどもで出てゐるのと、馬が三頭出てゐるのとで、以前よりだいぶ増えてゐるが、見たところそれほど窮屈さうではない。まあ、清盛と時子との居場所がチト奥過ぎる気はするが、それくらゐ。
また、平家物語の方が圧倒的に人数が多いのは、おそらく人形劇三国志の方はさほど作り替へた人形がゐないからなのでは、といふ気がする。
ヒカリエにゐる平家物語の人形は人形劇に出てゐた面々だが、人形劇三国志の面々は新たに作り替へたものだからだ。
そのせゐか、玄徳・関羽・張飛の三人の前には「(有)川本プロダクション」といふ表示がある。プロダクションから借り受けたものなのだらう。
前回の展示のときにゐた人形は休ませないとならないが、玄徳・関羽・張飛のゐない人形劇三国志といふのは、なんともしまらない。それで借りたものなのにちがひない。
ほかの人形の所属がどうなつてゐるのかは、定かではないけれど。
そんなわけで、平家物語の方は「保元の乱」と「平治の乱」とがfeatureされてゐるのだが、義朝はゐない。前回の展示のときにゐたからである。鳥羽院、崇徳院も同様。なので、たまに「保元・平治なのに義朝がゐないなんて」とか云つてゐる人がゐるが、残念でした、といつたところか。
同様な理由で、人形劇三国志の方には曹懆もゐないし、孔明もゐない。
そのうち、帰つてくるものと思ふがな。
ところで、ギャラリーの外の展示もすこし変はつた。
以前は、人形のポスターをパネルにしたものが飾られてゐる部分に、川本喜八郎の私物とおぼしきものが展示されてゐる。
これが、実に楽しい。
木製とおぼしきちいさな机の上に、これまた木製の書類用引き出しが乗つてゐる。書類用の引き出しよりひとつひとつの引き出しが深いかもしれない。
上に、羽根箒や彫刻刀、筆をこれでもかとつめこんだ筆立てがふたつくらゐ乗つてゐる。
引き出しはちよつとづつあいてゐて、針や糸、リキテックスなどの画材や定規、あとなにに遣ふのかよくわからないやうなものが、種類別に入つてゐるのが見える。筆や彫刻刀、それにリキテックスといつた画材はかなり使ひこまれてゐるやうに見受けられる。針にはまだ新しいものもある。
机にはほかにメガネもおかれてゐる。最近でいふところのリーディンググラスのやうなものだらう。メガネチェーンはマクラメ編みのコードがついてゐる。ヘンプだらう。きつちり結ばれてゐて、誰かの手作りなのか売られてゐたものなのかチトわからない。
机の脇には、人形劇三国志の脚本が何冊か並んでゐる。
表紙に「川本用」と書かれてゐるものもある。おそらくそのほかも川本喜八郎用だつたのだらう。
三十年前に藁半紙に刷つたものだと思はれる(表紙は色紙)が、非常に保存状態がよいやうに見受けられる。手に取つてみたら、はかなげなのかもしれないが、まあ、よくぞ、こんなにきれいな状態で取つてあつたものよ、とまづそこに感動する。
実にありがたいことだ。
保存状態がよかつたから、そしてさうなるやうに保存してくれてゐたから、いまかうして見ることがかなふのだから。
なかに一冊だけ開かれてゐる脚本がある。
内容からいつて、「三顧の礼」で玄徳が孔明の草廬をおとづれたところだらう。ちやうど、孔明が「天下三分の計」を説いてゐる場面とおぼしい。
当時のことだから手書きなわけだけれど、これがいちいち読みやすくてねえ。
さういへば、就職した当時、書庫にある資料を探したことがあるけれど、ちよつと前の資料はすべて手書きで、それもかつちりとした読みやすい字で書いてあつたものだつた。資料書き専門の社員でもゐたのだらうか、と思ふくらゐ、どの書類もきつちりした字で書かれてゐた。
人形もさうだけれども、この、川本喜八郎の遺品のまへでも、つい佇んでしまふ。
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