熱中したい
夏が来た。
突然、夏がやつて来た。
湿気がすくなくなつたのはなによりだが、とにかく暑い。
昨日などは、朝方から昼間にかけては風があつたのでなんとかなつたが、日が落ちるととたんに風が止まり、寝づらくてたまらなかつた。
昨日も恒例の「あまちゃん」や「押忍!! ふんどし部!」などの録画を見ながら「風工房の夏ニット、こもの」から玉編み風のスカーフを編んだりしてゐたのだが、これがなかなか進まない。
進まないのなら書くべきではない。
「春秋左氏伝」には、あたりまへのことは書かれてゐないのだといふ。常と変はつたこと、驚くべき事態を書きとめてある、とのことだ。
たぶん、当時はそれでよかつたのだらう。
なにが常のことでなにがさうでないか、広く知れわたつてゐたのにちがひない。
だが、いまはさうではない。
春秋時代のむかし、なにがあたりまへでなにがさうではなかつたのかなんて、わかりつこないぢやあないか。
「春秋左氏伝」を読むやうな人は、そんなことくらゐ、事前に調べて知つてゐるのかもしれないが。
知らなかつた以前のやつがれはあつといふ間に挫折してしまつた。
それはさておき。
そんなわけで、十年一日のごとき内容を書くのもどうかとは思ひつつも、とりあへず、編んではゐるが進んでゐない、と書きとめておくことにする。
先週は、それでも進展があつたのだがな。
なんと、かぎ針編みのスカーフは、三玉めに入つたのだ。
これまでさんざん「二玉めが終はらない二玉めが終はらない」と書きつづけてきたが、先週の火曜日、やつと二玉編みきつた。
かうなると、やはりちよつとした達成感はある。
それで進むやうになつたか、といふと……
うーん、さうでもないんだなあ。
あひかはらず、日々時間を見つけてはちよこちよこと編んではゐるのだが、進捗はあまりはかばかしくない。
最初に書いたとほり、昨日も録画を消化しながら編んではゐたのだが、すぐに糸をかけた左手が汗ばんでくるので、ちよつと編んでは休みまた編んでは休みといつた具合だつた。
もう、この夏はこのスカーフだけで終はりだな。
と、これも先日も書いたな。
ところで、iPhoneにTimeHopといふアプリケーションがある。
TwitterやFacebook、InstagramやFlickr、4squareなどから過去のその日のデータを表示する、といふアプリケーションである。
一年前の今日、二年前の今日、もつとさかのぼつて六年前の今日、なにをしてどこに行つてどんな写真を撮つたのか、わかる、といふ寸法だ。
Twitterの方は2000つぶやき前くらゐまでしかさかのぼれないのでなにも出てこないことが多いが、これが案外楽しい。
六年前の今日、やつがれはどうやらくつ下を編んでゐたやうである。
編みかけのくつ下の写真をFlickrにアップロードしてゐた。
さうか。くつ下か。
もういつだつたか忘れてしまつたが、ある夏に、レース編みの毛糸の手袋を編んで、「なんだ、これなら夏でも羊毛で編めるぢやん」と気づいたのがはじまりだつた。
マフラーやセーターなどは、編んでる最中に編めた部分が膝に乗つたりして、暑くてたまらない。
でもくつ下や手袋なら、躰につかないし、暑いのは糸をかけてる左手だけだからなんとかなる。
そのことに、遅まきながら気がついた。
その後しばらくは夏はくつ下を編んでゐたのだつた。
くつ下、編むかなあ。
でもそんなことをしたら、いま編んでゐるスカーフやジレが仕上がらなくなりさうだ。
しかも、その一方で、いまタティングレースをやりたいきもちでいつぱいなのだつた。
それはまた別の話。
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