Mistakes, Mistakes
あみものはまつたく進んでゐない。
例によつて「風工房のシンプル夏ニット、こもの」からH玉編み模様のスカーフとSケーブル模様のジレとを編んでゐる。
といふよりは、暑さに負けて編めてゐない。
スカーフの方はかぎ針編みで手に取りやすいといふこともあつて、ちよこちよこ編んではゐるけれど、先週あたりは、ちよつと編んでは一段下の編み間違ひに気づいてはほどき、また編んではその下の段の間違ひに気づいてはほどき、を二回くらゐやつて、疲れきつてしまつた。
ほどくだけまし。
さうは思ふ。
ほんとに疲れきつてしまつてゐたら、「ま、いいか」と、編み間違ひを放置してしまふだらうからだ。
ほどいて編みなほす気力はあるのだ。
まだいける。
さう思ふやうにしてゐる。
といふわけで、今回はそんなさつぱり進んでゐないあみものの方はあとにまはして、ちよつと進展のあつたタティングレースについて書かう。
日曜日に、注文してゐたものがいろいろ届いた。
なかに、Jan StawaszのTatted Treasuresがある。
買ふつもりはなかつたのだが、魔がさした。
そんなわけで、突然、栞など作つてみてしまつた。
NHKの将棋番組を見つつはじめて、お昼のニュースのあと録画した「あまちゃん」など見ながら作り終へた。
たつたこれだけのなかに、間違つてゐる部分が何カ所もある。
Jan Stawasz式のピコの作り方の部分は気をつけてゐるのでそれほど間違つてはゐない。「ここはいつものピコ」、と気の抜けたところで間違つてゐる。
世の中では、「猿も木から落ちる」といふ。
あるいは「河童の川流れ」「弘法も筆の誤り」などと云ふ。
一方で、たいていの蟹は木からは落ちないし、一反木綿は川を流れたりしない。筆を持たない現代人は筆で書いたときに間違つた字を書くことはない。
人は、自分が得意なこと、得意だと思つてゐることで失敗する。
天狗になつてゐるからか。
それもあらう。
なぜ得意なはずのことで失敗をするのか。
それは、「よく行ふこと」だからだ。
人間は完璧ではあり得ない。
十回やつて十回成功することでも、十一回目で失敗する。または百一回目、千一回目で。
自分のせゐではないかもしれない。失敗の原因は周囲のせゐだつたり環境のせゐだつたりすることもあらう。
だが失敗は失敗だ。
たいていの蟹は木に登らない。だから木から落ちない。
一反木綿は泳がない。だから川で流されたりしない。
筆を持たない人が筆で字を書いて失敗することがあらうか。
つまりはさういふことなのだ。
と、思つて先に進むやうにしてゐる。
なんて前向きなんだらう。
あはせて、こんなものも作つてみた。
本にはClaspと書いてあつた。
Clasp、ねえ。
これはこのままどこかへ行つてしまひさうだな。
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