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Thursday, 20 June 2013

そんなことして、なんになる

先日、漢詩紀行100選のDVDのことを書いた。
その後、第十巻も買つてしまつた。
全十巻セットでなら見かけるのだが、とは、前回も書いた。
バラ売りにはなかなか出会ふことはなささうだ。
今後、ほかの巻を購入することもないだらう。

去年の秋、「漢文法基礎」といふ本を読んだ。
大学受験用とのことだが、いまどきの受験に漢文の出題率なんてたかが知れてゐる。センター試験には出題されるだらうが、それ以外はどうだらうか。個々の大学の試験にはほとんど出てこないのではあるまいか。
そんなもののために、こんな分厚い本、読むか?
amazonで見るかぎり、読んでる人は多さうだけどな。
でもちよつと疑問だ。
本自体はとてもおもしろかつたんだけれどもね。
漢文にかぎらず、ことばつてかういふものなのか、とか、言語を習得するつてさういふことなのね、とか、さういふ部分に興味を惹かれた。

最近、見るもの読むもの聞くもの全部上記二点と似たりよつたりなので、いま「漢文法基礎」を読みなほしたら、もつと頭に入るのではないだらうか。
さう思つた。

さう思つて、手に取つてゐないのは、実は腐海のなかから探し出せてゐない、といふ物理的な情けない理由があるのだが。

読みたいのだつたら探し出せばいい。
ついこの前もちらつと視界をかすめたのだから、ちよつと積み上げられた本の山をくづせば、出てくるはずである。

なぜさうしないのか。
めんどくさい、といふのが一番大きな理由ではある。

それに、「そんなことして、なんになる」とも思つてしまふ。

そんなことして、なんになる。
いまどき「漢文法」でもないだらう。
今後、役に立つことはない。
だいたい、漢文が読めたからつて、中国語ができるやうになるわけでもわかるやうになるわけでもない。
「源氏物語」を読めるやうになつたからといつて、現代の日本人と会話ができるか。
さう考へれば、自明の理だ。
そもそも、いまの中国語を理解するには、すくなくとも大陸の人と意思を疎通するには、簡体字といふ障壁があるしね。
それ以上に、当時の書き方といまの喋りことばとの乖離は大きいと聞く。
時代がはなれてゐなくても、書きことばと話しことばとが異なるのは、至極当然のことではある。

役に立たないのだから、やつても仕方がない。

さう思つたら、やつてみるべきだ。

どうやら世の中といふのは、さういふものらしい。

「そんなことしても役に立たないよ」とか、「あとでやるよ」とか、「ほかにやることがたくさんあるんだよ」などと、自分の中で云ひ訳をはじめたら、それは実行するに値することである。

めんどくさがりのやつがれにとつては、これほどめんどくさいこともない。
でも、これつて、部屋の掃除などにもあてはまるのだ。
部屋の掃除は役に立たないことはないが、「あとでやる」とか「いまほかにしなきやいけないことがある」とかで、どんどん先送りになりがちだつたりする。
「いまほかにしなきやいけないことがある」は、もしかするとほんたうのことなのかもしれない。
だが、実際は、部屋の掃除こそいままさにしなければならないこと、すべきこと、いまやればほかの「しなければならないこと」がはかどることだつたりするわけだ。

と、ここまでわかつてゐるんだがなあ。
ブックタワーをくづすのがめんどくさい。
うーん、題名を呼んだら出て来てくれるといいのに。

そして、「どうせ役に立たないんだからさ」と、葡萄をあきらめるキツネのやうなことを思つたりするのだつた。

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