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Friday, 21 June 2013

「おばさん」でなにが悪い

「菅原伝授手習鑑」といふ浄瑠璃に「寺子屋」といふ有名な段がある。
そのまへに、「寺入り」と呼ばれる場面が一緒に上演されることがある。
ここで、松王丸の妻・千代が、ひとりの寺子にむかつてみづからのことを「をば」といふ。

「心中天網島」といふ浄瑠璃の「河庄」では、丁稚三五郎がうつくしい遊女小春を「をばさん」と呼ぶ。

「源平布引滝」の「実盛物語」では、斎藤別当実盛が、太郎吉にむかつてみづからのことを「をぢ」といふ。

かうしてみると、「をぢさん」「をばさん」といふことばは、けつしてnegativeな意味をもつものではなかつたやうに思はれる。
「をぢさん」「をばさん」が忌み嫌はれるやうになつたのはいつからなのだらう。

二十代最後のころだつたらうか、同窓会めいた催しに、子連れで参加した友人がゐた。
その友人の子が、別の友人を「をばさん」と呼んだとき、呼ばれた友人は返事をしてから「おねえさん、ね」とちいさな聲で訂正してゐた。

甥や姪から「おねえちやん」と呼ばれてゐる人がゐる。
なんでも、義弟の姉といふ人が、「おばさん」と呼ばれるのをいやがつてゐて、あちらが「おねえちやん」ならこちらも「おねえちやん」だらう、といふことなのだ、といふ話だつた。

をかしい。
呼ばれ方なのだから、どうあつてもかまはない。
伯父さんや叔母さんを「おにいさん」「おねえさん」と呼ばうが、それは各自の勝手だらう。

だが、「をぢさん」「をばさん」といふことばを封じられて、「ぢやあなんてaddressすればいいんだよ!」と、困ることはないだらうか。
「をぢさん」「をばさん」と呼びかけると失礼になるといふのなら、なにか代はりを用意しろよ。
さう思ふことが多い。

日本語では代名詞をあまり使はなくてもなんとかなつたりする。
つまり、相手に呼びかけなくても会話が成立したりする。
したがつて、相手を「をぢさん」「をばさん」などと呼ばなくても、あるいはみづからのことを「をぢ」だの「をば」だのと云はなくても、問題のない場面は多い。
でも、いざといふ段になつて、いま目の前にゐる人を「をぢさん」と呼ぶ訳にもいかないし、「あなた」は妙だし、なんと呼んでいいのかわからない、といふ経験をしたことのある人は多いはずだ。
それとも「をぢさん」といふことばはすでに人々の中で忌み語になつてゐて、そんな風に悩むことはないのだらうか。

「あなた」だつてかなり無礼な感じがするがなあ。

三代目の実川延若が東京に出て来たとき、若い役者から「をぢさん」と呼ばれて最初だれのことを言つてゐるのかわからなかつた、といふ。
上方の役者の世界では、どんなに相手が年長でえらくても、「にいさん」と呼ぶことになつてゐたからだ。
東京では、いまはどうだかわからないけれど、年齢や名前によつて、「にいさん」「をぢさん」と呼び分けてゐるやうに思ふ。

冒頭にあげたお浄瑠璃はすべて上方発のお浄瑠璃である。
といふことは、「をぢさん」「をばさん」は、必ずしもneutralな意味をもつものではなかつた、といふことか。
それとも、すくなくとも近松門左衛門の時代までは問題なかつたけれど、その後negativeな意味をもつやうになつてきたのだらうか。
上にも書いたが、「河庄」で丁稚三五郎が小春のことを「をばさん」と呼ぶ、そのたびに違和感を覚える。
小春が「をばさん」? ちがふだらう。

みづからを「をぢ」「をば」と呼ぶやうにすれば、この違和感も消へるだらうか。

などといふやうなことを、SoftBankのキャンペーンページを見ながら、ぼんやりと考へてゐる。

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