白いレース糸のドイリーなんて
ドイリーは使ひ道がない。
何度か書いてゐるが、つねづねさう思つてゐる。
部屋の感じも、ドイリーが似合ふとはとてもいへないやうな状態だ。
ドイリーは、もともとは皿と皿のあひだに敷いて、傷がつくのをふせぐ役割をしてゐたものだといふ。
しかし、そんな、傷ついて困るやうな食器など持つてゐない。
えうは、ドイリーに必要性を覚えることがない。
それでも、時折くるほしいほどに作りたくなるんだよなあ。
かぎ針編みやタティングレースのドイリーを。
ここのところ、ずつと濃い色のレース糸でタティングしてゐる。
おりがみの牡丹色を暗くしたやうな、きれいな色の糸だ。
その前はピンクと茶色の段染め糸を使つてゐた。
タティングレースをしてゐる人のblogをいくつも見る。
やはり、いろんな色でタティングを楽しんでゐる人が多い。
さういふ目で見るからかもしれないが、なかにははつきりと「白や生成りの糸で作るのはつまらない」と云ひきる人もゐる。
白や生成りの糸はつまらない。
なぜなら、「レース糸つてさういふものでせう」といふ先入観があるからだ。
思へば、手元にあるかぎ針のレース編みの本は、白い糸で編んだ作品しか載せてゐないことが多い。
あつても生成り、まれに黒、といつた具合で、一冊まるごと白い糸で編んだものばかりといふ本もある。
いつごろから白以外の色で編んだ作品を載せた本が増えはじめたのだらうか。
初心者向けの本がたくさん出版されるやうになつてからかな、といふ気もする。
ウェアものやこものの本が増えたからかも、といふ気もする。
白や生成りの糸はつまらない。
さう思ひつつも、これまた時折くるほしいほど白や生成りの糸で編みたくなつてくる。
なぜといつて、白いレース糸で作つた作品はいかにも「レース」といふ気分を満足させてくれるからだ。
これはドイリーも同様。
ドイリーを完成させると、「レース心」が満たされるんだよね。
「おおー、レースものを作つたぜ」といふ満ち足りた気分を得ることができる。
とくに、ここのところのやうにレース作品にはちよつと派手な色を使つてゐたり、「なぜこんな色合ひの糸を使ふかなあ」と我ながら首を傾げるやうな糸を使つてゐたりするとなほさらだ。
また、ここのところタティングレースではなにも仕上げてゐないしね。
昨日も書いた「達成感」と「レース心」との両方を満たすもの。
それが、白い糸で作るドイリーなのだ。
といふか、そのはずである。
なぜなら作りはじめてもゐないので、断言できないんだな。
ここのところ出版されたタティングレースの本は、ものすごい大作ばかり載せてゐるか、ちいさく可愛いものばかり載せてゐるか、両極端である。
藤重すみの本が、その中間を埋めてゐるやうな感じはする。でも、ドイリーとして作りたい作品はなかつたんだなあ、少なくともこの週末の気分では。
モチーフつなぎではなく、一段一段作る感じで(スプリットリングで次の段にうつるのはあり)、白い糸でドイリーを作りたい。
しかし、考へてみたら、白い糸も手元にはなささうなのであつた。
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