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Thursday, 16 May 2013

日暮聊為梁甫吟

先日、飯田市川本喜八郎人形美術館へ行つた話を書いた。

この美術館は、入館者でなくてもくつろげるスペースをまうけてゐるのだといふ。
行つたときにはわからなかつたが、エントランス階の奥に、ソファがならべられたスペースがあつて、どうやらそれがさうらしい。
壁には、飯田市で催される人形劇関連のポスターがいろいろ貼られてゐて、隅のちいさな本棚には、徳間文庫の「三国志演義」をはじめ、横山光輝の「三国志」や吉川英治の「三国志」などが全巻そろつてゐて、どうやら読んでもいいのらしかつた。

そのスペースには、DVDプレイヤをつないだTVもおかれてゐて、川本喜八郎へのインタヴューをエンドレスで流してゐた。確認はしなかつたが、飯田市か、この美術館で作成したもののやうに見受けられる。
「周瑜のカシラの元は検非違使」といふのも、このインタヴューの中で川本喜八郎自身が答へてゐた。
その流れで、人形は鼻の下付近のモデリングが人間とちがふ、それでひとつのカシラで喜怒哀楽を表現できるのだ、と云つてゐた。
なるほど、さう云はれて見てみると、人形のその部分は人間にくらべるとのつぺりした感じがする。
能面なんかもさうなのかなあ。機会があつたら確認してみやう。

人形劇三国志については、最初の五話くらゐは、人形遣ひの人々は活劇のつもりでゐて、心理劇になるとは思はずに操演してゐたといふ。
それが段々と変はつてきて、脚本の小川英が、「これなら心理劇ができる」と断じ、次第にさういふ方向に変化していつたのだとか。
なるほど、最初の五話くらゐには、なんとなーくのれない感じがするのは、さういふ理由もあつたのだなあ。
人形劇三国志は、督郵殴打事件のあと、いきなり世直し天狗といふか、白馬童子といふか、さういふ展開になつてしまつて、えらくおどろいたものだけれど、あのままだつたらきつと見てゐなかつたと思ふ。

そのうち人形遣ひの人々も、自分で演じる人形になりきるやうになつて、といふ話は、別冊太陽に出てゐた。
最終回、死んだ孔明に、監督は目を閉じるやう指示を出したが、孔明を遣つてゐた南波郁恵は、「孔明は絶対目を閉じたりなんかしない」と主張し、結局、目はあけたまま「死せる諸葛生ける仲達を走らす」といふことに相成る、といふ話も別冊太陽で読んだ。

もうひとつ、インタヴューでは心理劇の流れから、赤壁前夜の周瑜と孔明との会談の話になつた。川本喜八郎はこのとき使ふために、横目になる孔明のカシラを用意してゐたのだといふ。
かうしたそのとき用の特殊なカシラといふのはいくつかあつて、たとへばこのあと赤壁で大敗する曹操のカシラも憤怒に燃えたそのときだけのカシラを使つてゐるし、関羽の死の際にも関羽にはそのとき用のカシラが用意されてゐて、川本喜八郎みづからそのカシラを使つて見せてくれた、といふ話は以前も何度か書いた。

それにしても、横目の孔明。

これも何度か書いてゐるが、人形のカシラは、目を動かせるやうに作つた場合、目の玉を左右または上下に動かせるか、目を閉じたり開いたりできるか、そのどちらかである。目の玉も動かせるし、まぶたも動かせる人形といふのは、いまだかつて見たことがない。
孔明のカシラは、目を閉じることのできるカシラだ。すなはち、目の玉は動かない。
それで、周瑜との心理戦のときにそなへて、目の玉の動かせるカシラ(あるいは単に流し目のカシラを用意しただけかもしれない。そこのところの詳細はわからない)を用意した、といふ。

見たかつたねえ、目の玉の動く孔明。
しかし、このカシラは実際に使はれることはなかつた。
孔明を遣ふ人形遣ひが、「孔明は横目になんかならない」と主張したのださうだ。
それでお蔵入りになつてしまつたのだといふ。
もつたいない。

ヒカリエにゐた孔明は、照明の加減で横を見てゐるやうに見えるときがあつた。
でも実際に人形遣ひがつかつたら、また趣もちがつたことだらう。
見たかつたなあ。
おそらく、さうして日の目を見なかつたカシラや工夫がほかにもいくつかあつたのだらう。
また、人形遣ひの人の意見がさうして通つてゐたのだなあ、と、これもまた感慨深い。

人形と人間の役者のちがひはなにか、といふ問ひには、こんなことを答へてゐた。
人間の役者は与へられた役ならばなんでもこなせる、またさうあらねばならない。人形は、孔明なら孔明、清盛なら清盛として生まれ、役目が終はつたらそのまま消へてゆく。そこがなんともいとほしい。

役目が終はつたら、消へていく、か。
そんな風に考へたことはなかつたな。
さう考へると、なんだかますます切ない。

また、「孔明を演じる役者が、たとへばバイクのCMに出て、とばしてゐるやうな様を見たら違和感があるでせう。人形にはそれがない」といふやうなことも云つてゐた。
うーん、これにはちよつと異論があるなあ。だつて、役者は与へられた役ならなんでもこなすものなんでせう。
でもまあ、世の中さういふ風になつてゐるよな、とも思ふ。
古い話だけれど、大川橋蔵なら銭形平次のイメージをこはさないやうに普段から生活してゐたらう。さういふ話なのだと思ふ。
あと、この場合「孔明を演じる役者」つて具体的なイメージがあるのか、といふ点にもちよつと興味を惹かれる。京劇の役者だつたら、ありかなあ。中村雀右衛門なんか、黒い革のスーツに身を包み、それこそバイクに乗つてバリバリ走つてゐたらしいもんな。舞台のうへではあんなにしつとりつややかだつたのに。

今後作りたいものとして、シルクロードをあげてゐた。
若い頃から作りたくて、脚本も書いてあるのだといふ。
今の技術があればできるかも、でもあと五十年は生きないとね、と、笑つてゐた。
かなり晩年のときのインタヴューだと思ふが、顔の皮膚などはつやつやとしてはりもあつて、とても年相応には見えなかつたし、「老人」と呼ぶのははばかられるやうな若さだつた。
それでも、諦念めいた笑ひが、ちよつとたまらなかつたな。

最後に、諸葛孔明のやうな人がゐたら、きつと日本はよくなる、といふやうなことを云つてゐた。
元々は、三国志演義に出てくる人々は、大抵似たやうな人がどこかにゐますよね、といふ話だつた。この流れからいくと、どうやら「でも、孔明のやうな人は、今はゐないね」といふ話なのだと思ふ。
これを聞いて、「ええー、さうかなあ」と思つてしまつた自分の孔明像は、川本喜八郎の孔明像とはちがふんだらう。
「総理大臣でなくてもいいんです。ああいふ人がゐたら、日本はきつとよくなる」とも云つてゐた。
断言してゐた、と云つてもいい。

川本喜八郎の孔明像は、吉川英治の「偉大なる平凡人」に近いのかもしれない。吉川三国志は最後に読んでからもうずいぶんたつので、どんな人物かと問はれるとかなりあやふやだが。
まあ、柴錬三国志の孔明でないことだけは確かだらう。

最近読んだ十八史略から見ると、孔明は多分過労死だし、人に仕事がまかせられない感じだし、それはまはりに人材がゐないからで、それといふのも大元はきつと玄徳が人材を使ひこなせない人だつたからなんではないか……とか、いろいろ考へてしまつたりしたのだが。

とりあへず、新潮文庫で出なほしてゐることだし、吉川英治の「三国志」でも読みなほしてみるかなあ。

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