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Wednesday, 08 May 2013

諷刺は死にました

こどものころ読んだアート・バックウォルドは實におもしろかつた。
このときはじめて「コラムニスト」といふ職業を知つたやうに思ふ。
あるいは、コラムニストといふ職業があることを知つて、中にアート・バックウォルドといふ人がゐる、と聞き、手にしたのだつたかもしれない。

だれがコロンブスを発見したか―バックウォルド傑作選1」をはじめとして、図書館にある本を次々と借りた。

ジョンソンだとかニクソンだとか、その周囲の人々だとか、さういふ知識はすべてバックウォルドの本から得た。
さう云つても過言ではない。

当時読んだ本はすでに絶版だし、原書でも「Beating Around the Bush」など、新刊として手に入るのは晩年の作品だけのやうだ。

バックウォルドの文章は、非常に平易である。
原文もまことに読みやすい。
むづかしい云ひまはしなどはあまり出てこない。
登場する人物も、米国大統領など有名人ばかりである。
まあ、日本人としては「そんな、アメリカの大統領の側近なんて知らないよ」といふやうな人物も出てきたりはするけれど、そこはそれ、大抵は翻訳者の注がついてゐるものだ。

容易でゐて、諷刺がきいてゐる。
皮肉な書きつぷり。
さう云つてもいい。

たとへば、旧ソ連のKGBのエージェントが米国に亡命してきて云ふ。
「亡命したら、妻を殺す、と脅されました」、と。
「でもあなたは亡命してきたぢやあありませんか」、と云ふと、エージェントはにやりと笑つて、
「あなたは今完全犯罪を成し遂げた人間を目の前にしてゐるのですよ」、と云ふ。

いいなあ。
かういふ風に書けるやうになりたいなあ。

己が菲才を顧みず、さう思つたこともあつた。
といふか、いまでもさう思ふことがある。

バックウォルドの諷刺がきくのは、文章がむづかしくないからだらう。
万人に理解できる。

とはいつても、人と人とのあひだに誤解はつきものだ。
人間は誤解しあひながら生きてゐる、と書いてゐたのは池波正太郎だつたか。

皮肉を利かせるには、あるいは、皮肉を理解してもらふには、できるかぎり平易に書かねばならない。
さうしないと、誤解をまねきがちな皮肉が通じない、悪くすると、全然逆の意味にとられてしまふ。

わかつてゐる。
わかつてはゐるんだが、それがなかなかむづかしいんだよなあ。
だつてやつぱり人は気取つて文を書くぢやない。

最近あまり諷刺を目にしなくなつた。
諷刺を諷刺ととらへられる人が減つたからだらう。
それは、たまに映画を見に行つた帰り道、「いまの、結局どういふ意味だつたの?」と、連れに問ふ人が多いことでもわかる。
映画には諷刺はない。
多分、ちよつとわかりづらいだけだ。
古くは「ユージュアル・サスペクツ」とか、最近では「裏切りのサーカス」とか。さういへば、これは見てゐないけれど、「プラチナデータ」もわからんと云ふてゐる人がゐたな。

はつきり書かないとわからない。
容易に描かないと理解できない。

それはやつがれもまたさうである。

いまは、バックウォルドを真似するだけの才にめぐまれなかつたことを感謝するばかりである。

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