残りの人生を賭けるべきか
ここのところ、「十八史略」を読んでゐる。
だいぶ前から晩酌の折りにちよこちよこ読んでゐたのだが、連休中に手元にあつたのがこれだつたので、なんとなく読んでゐる。
この本は、抜粋なんだけれども、返り点や一二点のついた原文はついてゐるし、読み下し文もあるといふので入手した。
読んでゐて、これが滅法おもしろい。
おもしろいのは、よく知つてゐる話ばかりだからか。
抜粋なので、おもしろいところだけ抜き出してゐるからか。
そんな風に考へてゐたのだが、ここにきてちよつと変はつた。
もしかして、「史記」から取つてきた内容がおもしろいのではあるまいか。
といふのは、光武帝以降、なんとなくおもしろさが減つた。
妙な日本語だな。
「それでそれで?」つてな、ワクワクする気持ちがなくなつてきた。
そんな気がするからである。
「史記」かー。
やはり読むしかないのか。
この後の人生を費やしても。
以前も書いたけれど、世に出回つてゐる「史記」からの抜粋は、おもしろい。
これ以上脚色とかなんとか、いらないよね、と思ふくらゐ、おもしろい。
あれだけ長いと、全部が全部さうだとはいへないし、なにより読んだことがないからそんなことはいへないのだが、そこんとこ、確かめてみたい、といふ気持ちもある。
と、思つて探してみたのだが。
まづweb検索かけると一番にひつかかつてくるのが横山光輝のまんが。
その次が「史記」を紹介するやうな本。新書とかね。
「史記」が出てきたとしても、列伝だけとか、全部ありさうでも「現代語訳」だつたりとか、「うーん、なんかちがふ」と思つてしまふ。
無謀とわかつてゐても、やつぱり白文と読み下し文はほしい。
だつて漢文読み下しが好きなんだもん。
柴錬チルドレンだから。
しかし、「全部」「読み下し文」で「史記」を読むとか。
それもこれから。
やはり無謀なのではあるまいか。
とか、悩んでゐる暇があつたら、「読め」なのかな。
とはいへ、残りの人生と読みたい本とを考へあはせると、二の足を踏んでしまふのだつた。
あれか、読んでみてつまらなかつたらそこでやめればいいのか。
と、気軽に考へられるほどかんたんに手に入る本でもない、といふのも問題なのだつた。
「史記」の問題つて、紀伝体つてことなんだよな。
「この人のところにはかう書いてあるのに、あの人のところでかう。どつちだよ!」といふ、「きーっ!」感がどうしてもつきまとふ。
研究者なら、そこでいろいろ調べたりするのかもしれないが、なにせタイムリミットが、な。
ところで、「資治通鑑」も探してゐたりする。
無謀?
さうだよねえ。
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