飯田市川本喜八郎人形美術館の展示室 その五
飯田市川本喜八郎人形美術館は、今日から展示替へをおこなつてゐるのらしい。今日明日と展示替へのため臨時休館して、土曜日から新展示で開館する。
といふわけで、先月末に見てきた展示はもう見られないのだが、「こんな展示もあつたよ」といふことでちよつと書いておく。
「平家物語」のケースは「女人平家」と題して、女の人ばかり並んでゐる。
この美術館にゐる「平家物語」の人形は、人形劇に出てゐた人形ではないといふ。
川本喜八郎が新たに作りなほしたものだ、と、案内に書いてあつた。
いつたいどれくらゐ作りなほしてゐたのかのう。
渋谷ヒカリエの川本喜八郎人形ギャラリーにゐる「平家物語」の人形は人形劇に出てゐたものかと思ふが。
おもしろいもので、静御前とか巴御前とかいつた、いかにも「美人」といふ人形よりも、政子とか葵とか、ちよつとくせのある人形の方が生き生きして見える。
蓬子など、よくよく見ると顔にあばたがあつて、おもしろい。
ケースの向かつて一番左端奥が静御前。白拍子姿である。
おとなしい顔立ちゆゑか、印象が薄い。表情も、なんとなくぼんやりとした感じに見受けられる。
その隣の政子は、実に生きてゐる感じがするんだがなあ。
単に顔立ちがきりりとしてゐる、といふだけなのかもしれないが。
白拍子姿で舞の途中といつた趣の静より、単に立つて、横を見てゐる政子に動きを感じるし、気がつくと政子の方を見てしまふ。
静と政子の前に蓬子。
押しかけ女房のやうにして麻鳥の妻になつた蓬子は、この中ではひとりだけ顔が白くない。自然な感じの皮膚の色で、髪も無造作に束ねただけ、衣装もこの中では粗末な感じである。
革をやはらかくしたところに型で押したのか、顔にあばたがあるが、龐統のやうにはつきりとわかるやうにあるわけではない。
このケースの中央は二位の尼。
これがまたすばらしい出来である。
渋谷には現在時子がゐるが、なるほど、あの時子がそのまま年を経たらかうなるか、とも思ふ。
とにかく目が離せない。
聡明さうで、一門を統べる大きさもあつて、見やうによつては、滅亡を前にした諦観も感じられる。
去年の大河ドラマとは大違ひだ。
何度もその前に立つては、「波の下にも都の候ぞ」とか心の中でつぶやいてしまふ。
いいなあ。
展示替へしたら、当然ゐなくなつてしまふわけだけれど、また会へる日もあるだらうか。
二位の尼の手前に建礼門院。
衣装の立派さに目を奪はれる。このケースの中で唯一十二単を着てゐる人形だ。
衣装は立派で、しかし、表情の方はどこかぼんやりしてゐるやうに感じられる。
動いてゐたらまたちがふのかな。
巴御前と葵とは、義仲の寵愛を受けた女の人だ。どちらも甲冑姿。
美術館の場所柄、メインのあつかひなのかもしれない。
巴御前といふと、いさましい美女、といふ印象があるが、ここにゐる巴はやはらかな表情を浮かべてゐる。
葵はそれにくらべるとちよつときつい感じの顔立ちだ。
義仲に近づかうとした女の人を退けた葵だが、なるほど、そんなことをしさうな気の強さが感じられる。
このケースの一番右端は千手。白拍子姿である。
源氏方の手のものとして、重衡のもとに送り込まれた千手だが、結局重衡を好いてしまふ、そんな人だ。
千手もおとなしやかな感じ。自分の意志で重衡についていつた、といふよりは、流されちやつたのかも、といふ印象を受けた。
このケースの中央は二位の尼。凛然として、ご本尊のやうにも見える。その他の人形たちが、本尊を守る脇侍や四天王かなにかのやうに感じられるほどだ。
両端に白拍子姿の人形がゐる、といふのも、よけいにそんな感じに見せることになつてゐたのかもしれない。
む、今回で終はるつもりだつたが、人形アニメーションの人形たちのことが抜けてしまつてゐる。
それは次回の講釈で、かな。
その他の展示については以下のとほり。
飯田に着くまでと、エントランスの謎
紳々竜々と「特異なキャラクター」、「江東の群像」
「玄徳の周辺」
「曹操の王国」
「許昌の都と漢中・蜀・南蛮」
« 飯田市川本喜八郎人形美術館の展示室 その四 | Main | 飯田市川本喜八郎人形美術館の展示室 その六 »
Comments