隣の席の客を叱れ
去年、何年かぶりに宝塚を見に行つた。
演目は宙組の銀河英雄伝説。
超満員の東京宝塚劇場で、なににおどろいたつて、上演中の観客席のしづけさに、だ。
しづかなのである。
携帯電話を切るのはあたりまへ。
私語はもちろん、ビニルの買物袋のかさといふ音すらしない。
それも、上演時間中ずつと、だ。
もしかしたら自分の周囲だけだつたのかもしれない。
それにしたつてすごいことだ。
歌舞伎だつたら絶対あり得ない。
なるほど、宝塚を見に行く人は観客のマナーにうるさいはずだよな。
つねにかうなら、ほかの劇場はたいていダメだらう。
もしかしたら、劇団四季や、ジャニーズ事務所主催の舞台なんかもかうなのかな、といふ気がする。
宝塚の客層の特異なところはなんだらうか。
しよつ中見に行く人が多いこと、かな。
なぜと云つて、銀英伝を見に行つたときに、そこかしこで「今回は普段見に来ないお客さんが多いからねえ」といふ話をしてゐるのを耳にはさんだからだ。
なにを隠さうこのやつがれもまたその「普段見に来ない客」だつたからね。
彼女たちには見ただけでわかるのだ。
ある客が自分たちの仲間か否かが。
ちなみに、こちらにもまた、「あ、この人は宝塚を見に来た人だな。それもよく見てゐる人だな」とわかることがある。
出で立ちからなんとなくそれと知れるのである。
歌舞伎では、ついぞないことだ。
わかるとしたら、歌舞伎座付近で和装の人はさうかな、といふ程度である。
歌舞伎の客層もまた、普段見る人ばかりなんぢやないか、といふ人もゐるかもしれない。
歌舞伎はちよつとちがふんだな。
団体客、といふ、いはゆる一見さんがたくさんゐる。
また、宝塚は客同士の連携も強いのだらう。
好きな組がおなじ、とか、好きな人が一緒、とかで、もりあがつたりするんぢやないのかなあ。
連帯感が生まれれば、観劇中に他をはばかる気持ちも生まれる。
さういふことのやうな気がする。
と、ここまですべては、「見た感じ、そんな気がする」といふ話である。
なぜこんなことを書くか、といふと、近年とみに歌舞伎を見に行く客のマナーを云々する話を聞くからだ。
実際、自分が見に行つたときも、「これはちよつとどうよ」といふことがある。
たとへば、この正月初日に隣の席になつた人は、上演時間中ずつと自身のiPhoneを見てゐた。
いつたいなにをしにきたんだらう。
iPhoneの明かりが気になるやうな演目がなかつたからよかつたやうなものの、「だつたら見に来なければいいのに」と思つてしまふ。
あるいは去年の秋、国立劇場に行つたときのこと。
斜め前の席の人が、芝居の最中にいきなり菓子袋をやぶつておかきだかお煎餅だかを食べ出した時の驚愕。
菓子袋をやぶる音はもちろん、お菓子をかぢる音の邪魔なことといつたら。
はたまた三年前の「盛綱陣屋」のときのこと。
首実検の、一番いいところで携帯電話の着信音が鳴つたときの、あのなんとも云へない悔しさ。
いいところだつたんだぜ。
松嶋屋の盛綱だぜ。
ほんたうにあの悔しさは、なんと云ひあらはしたらいいのやら、いまになつても見当もつかない。
いまだに思ひ出しては「きーっ」と思ふほどだ。
歌舞伎の観客のマナーがよくない、といふ話は、それはもうずつと以前からあるのださうである。
芝居見物のはじまつたころからあるのにちがひない。
やつがれがよく目にするやうになつたのは、先代の歌舞伎座のさよなら公演のころだつたらうか。
調子つぱづれな聲で調子つぱづれなところでかけ聲をかける人がゐる、と、話題になつたのがちやうどそのころだつた。
あとはむやみやたらと拍手をする、とかね。
聞いた話だからさだかではないけれど、その拍手をする人に注意をすると、「私がみなさんに見所を教へてあげてゐるんです」といふ態度だつたのだといふ。
やつがれが実際に見聞きしたのは、こんな話だ。
先代の歌舞伎座の一階二等席で芝居を見てゐたときのことだ。
一階席後方からかけ聲をかけてゐる人がゐる。
一階席でかけ聲をかけるなんて、なんといふ不見識な、と思つてゐたら、幕間に件の聲をかけてゐたとおぼしき人が、やつがれのそばに座つてゐる人に話しかけてきた。
なんでも、退職したかなんかで一年前くらゐから観劇するやうになつたのだ、といふ。
「最近では大向かうもかけるやうになりまして」
と、半ばはづかしさうに、半ば自慢げに話してゐるではないか。
どうやら、仲間数名で見に来てゐるやうだつたけれど、たぶん、教へてくれる人がゐないんだな。
一階席や二階席からは聲をかけるものではない、といふことを。
きつと落語も聞かないのだらう。
聞けば、いいところのお嬢さんが天井桟敷から芝居見物するちんぴらめいた若者に「贔屓の音羽屋に代はりに聲をかけておくれ」と頼まれる話を知つてゐるはずである。
これも予想でしかないけれど、おそらく、宝塚劇場で芝居中に騒がしいことをしでかしたら、周囲から注意を受けるのだらう。
もしかしたら、劇場の裏に呼び出されてヤキを入れられたりするのかもしれない。
さう思はせるところがあるくらゐ、宝塚を見に来てゐる客は統制がとれてゐる。
ひとりひとりはバラバラに見に来てゐるだらうに、だ。
歌舞伎はさうぢやない。
注意する人もゐるだらうけど、やつがれは注意したことはない。
うるさいなあと思つたり、迷惑だなあと思つたりしたことはあるけれど、たとへば隣の席の人の携帯電話が着信して震へてうるさいといふことがあつても、注意をしたことはない。
劇場側が注意をすることはある。
だが、劇場側にとつては、相手も客である。
さう強くは出られないだらう。
まあ、あまり目にあまるやうだと出入り禁止になつたりする、といふ噂も耳にするが、よほどのことがないとムリなんぢやないかなあ。
互ひに注意しあふやうになつたら、すこしはよくなるんぢやないかといふ気もするが、しかし、迷惑行為をするやうな人は、そもそもちよつとどうかしてるんだから、注意しても無駄、とも思ふ。
いづれにしても、自分から注意したりしないんだから、黙つてろ、といふことなのかな。
愚痴は云ふけどさ。
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