飯田市川本喜八郎人形美術館の展示室 その三
飯田市川本喜八郎人形美術館の展示替へが近いといふので、引き続き現時点での展示について少々。
「玄徳の周辺」の向かひには、「曹操の王国」のケースがある。
一番右端にゐるのが許褚。
人形劇の許褚といふと、ごま塩髭が印象的だつたりする。
この髭、全部糸を短く切つて、はりつけてあるのである。
いやー、手で描いてゐるのかと思つてゐたよ。
これまでも何度か人形展には行つてるはずなんだが、なにを見てゐたのかなあ。
許褚に限らず、一見手で描いたやうなもみあげや髭の人形についても、よくよく見ると糸をきつちりはりつけてあるものが多い。
細かい。
許褚はえらそーにふんぞり返つてゐるので、これで口さへ開いてゐれば「阿」だな、といつたところ。
その隣、手前が曹仁。
人形劇にもしばしば出てくるのだが、なぜか印象が薄い。
それもそのはずで、周囲の人形が個性的過ぎるのだ。
曹仁は、曹操軍にあつては「ふつー」の出で立ちなのである。顔立ちも「ふつー」。
逆にいへば、強烈な個性の人々の中にあつて、唯一ちよつと和ませてくれるところのある人形、なのかもしれない。
その後ろが仲達。
白地に刷毛で模様を描いたやうな衣装は、劣化しづらいのかもしれない。ぱりつとしてゐてやうすがいい。
向かつて左側の眉だけはねあげて、横を睨んださまは如何にも陰険そうで、ついつい目を奪はれる。
いい。
とてもいい。
学芸員の人の話によると、仲達と孔明とは向かひあはせに立つてゐるのらしいが、ちよつと左右にずれてゐる。それに、孔明はななめ上を見てゐるし、仲達は横目だし、互ひに互ひを見えてないんぢやないかなあ。
ところで、向かつて右から見るととてもいい仲達だが、左から見ると様相が一変する。
まるで、「ちよつとー、奥さん奥さーん、聞きましたぁ?」と云つてゐるかのやうなポーズに見えるからだ。
仲達の斜め前が程昱。
こちらも一癖も二癖もあるかのやうな(あるのだが)表情で立つてゐる。
程昱は初期からずつと出てゐて、後半も出張つてるからなあ。なんだかとつても懐かしい感じがする。
曹操の参謀といふと、早死にするか殺されるかといつた印象が強い。印象強いエピソードがあるからだけど。
そんな中、長寿を全うする世故に長けた感じもあつて、これまたよい。
その後ろが夏侯惇。
これがね、まあ、なんともやうすがよくて、ねぇ。
呉のところでは、呂蒙を見て、「え、呂蒙つてこんなにやうすがよかつたか知らん」と思つたものだつたが。
ここでは夏侯惇だね。
なんだらう、あのやうすのよさは。
失つたばかりなのたらう、黒い布で片目を覆ひ、槍を抱へて空いた手は前に立てるやうにしてゐて、残つた目は向かつて左を見てゐるのだけれども、険悪なやうすは微塵もない。
どの角度から見ても、惚れ惚れする。とくに、向かつて右側から見たときが、ドキリとするほどいい。
なんだかちよつと話しかけたさうなやうすにも感じられる。
人形劇の夏侯惇は、出番が遅く、目を失ふのも馬超との戦ひのときだつたりする。
うーん、見なほしてみないとなあ。
といふ感じで、周囲に強烈な印象の人が多いので、曹仁の印象がうすくなるのも、ま、仕方ないかな。
夏侯惇の斜め前が夏侯淵。
夏侯惇のすばらしさの前にチトかすむが、ヒカリエにゐた夏侯淵よりいい男である。
なんなんだらうね。ちよつとしたちがひなんだが、そのちよつとしたところが大きいんだらう。
その背後が曹操。
このケースの中央にゐる。
衣装が傷んでいるとは聞いてゐたが、まさかこれほどとはねえ。
色が褪せてゐるだけでなく、繊維がぼろぼろになりかけてゐる。あんなになつてしまふんだなあ。
衣装自体は立派なものなだけに、なんだか痛ましい。
曹操は、ヒカリエにゐた方がいい男だつた。ヒカリエにゐた方が品があつた。
でも、飯田の曹操も、向かつて左から見たときの眼光の鋭さがいい。こちらを睨んでゐるやうに見えるんだけど、それがなんだかいいんだなあ。
その横が賈詡。
賈詡も人形劇ではかなり出番が遅い。
いつの間にかゐて、最後までゐた、といふ感じがある。
参謀不足だつたのかな。
出番の遅いせゐか、老人態である。
その手前が張遼。
人形劇には出てこなかつた張遼だが、眉まで動くやうにできてゐる。おそらく目を閉じるカシラだらう。
ちよつと困つたやうな表情を浮かべてゐるのはなぜだらうか。関羽とのあひだでいろいろ立ち回らねばならなかつたからだらうか。
川本喜八郎は、張遼を作りなほしたいと云ふてゐた、といふ話を聞いたが、作りなほしたのかな。そのうちヒカリエで会へたりするのだらうか。
その隣が曹植。
人形劇には一回くらゐしか出てこなかつたんぢやないかなあ。
白塗りの、これまたちよつと困つたやうな顔つきをしてゐる。
父にも兄にも似てゐない。これは人形劇三国志全体を通してさうで、親兄弟がまるで似てゐない。唯一の例外は呂布と呂王だが、これは特殊な例だからなあ。
その後ろが曹丕。
まるまるとした顔につりあがつた目。どこか若さを感じるのは、まるくてつやのある頬のせゐだらうか。まるいせゐか、父親ほど険悪な感じはしない。
まるいつていいことだな。
一番左端が荀彧。
人形劇では、このまま出てこないのかなあ、と思はれた荀彧だが、最後の最後に一度だけ登場する。
そのせゐか、これまた老人態である。それも、今にも死にさうな感じの老人。
恨めしさうな面持ちで立つてゐる。
荀彧も荀攸も、人形劇では曹操の悪行を印象づけるために登場したやうなものだからなあ。もつと若いころから、それこそ、バリバリ活躍してゐたころから見たかつたね。
このケースでは、曹操が中央ではあるものの、その手前の夏侯淵の隣があいてゐるやうに見えてしまふのがチトバランスをくづしてゐる。
人形劇的には郭嘉あたりがゐればバランスが取れるんだと思ふけど、郭嘉は前半で死んでしまふからねえ。惜しい。
それにしても、女つ気皆無なのになんだか華やかな感じがするのは、人材マニアたる曹操の面目躍如といふべきだらう。
その他の展示については以下のとほり。
飯田に着くまでと、エントランスの謎
紳々竜々と「特異なキャラクター」、「江東の群像」
「玄徳の周辺」
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