飯田市川本喜八郎人形美術館の展示室 その四
飯田市川本喜八郎人形美術館は、今日は休館日。
明日明後日と展示替へして、土曜日から新展示といふことになる。
ん?
といふことは、今日は人形たちはどうしてゐるのだらうか。
展示室のなかで、明日を待つてゐるのだらうか。
それとももう今日から作業ははじまるのかな。
といふわけで、見る側としてはもう終はつてしまつた展示だが、記憶のよすがに残しておく。
「玄徳の周辺」の向かつて右隣のケースは、「許昌の都と漢中・蜀・南蛮」と題した、えうするに種々雑多な人々を集めたケースである。
左端手前が張魯。
立派な衣装である。冠部分になにか字をかたどつた模様があるのだが、なんといふ文字なのかはわからない。冠や衣装のパイピングをぢつくり見てしまつた。
そのななめ奥が華陀。
「さうさう、こんな感じだつたよねー」と懐かしく見る。
慈医、といつた趣。ふつくらかつにこにこしてゐるやうに見えるからそんな印象があるのだらう。ほつぺなんかつやつやしてこどものやうな感じもするしね。
衣装は墨絵のやうな印象の渋い柄の服。
華陀の前が張松。
こちらも衣装は地味。一見粗末なやうだが、よくよく見るといいもののやうに見える。
歯並びが悪くてちよつと足りないのではないか、といふあたりの造形に目を奪はれる。よくできてゐる。
このケースの中央は献帝。
ビーズぢやらぢやらの冠の帝の出で立ち。
この日、延々と帝の座を追はれる場面が流れてゐたので、余計に趣き深い。
顔立ちだけ見ると、それなりに立派な帝になる道もあつたのかも、と思はせるものがあるところがまた泣けるよ。
泣けつつも、「さういへば「イブの息子たち」の孔明つてこんな出で立ちだつたよなあ」とか思ひ出してはちよつと笑へたりもした。
すまん。
その隣が伏皇后。
見るからに薄倖さうな面持ち。
衣装は豪華なのに、顔が小振りでしかもかなしさうなせゐか、全体的にちいさい印象。
このケースの中では本来一番華があつてしかるべき存在なのに、と思ふと、いとあはれだ。
その手前が穆順。
向かつて左から見るとこれが宦官にしておくには惜しいやうないい男なのだが、正面や右から見るとひどく恨めしげな表情に見える。恨みがまし過ぎるともいへる。
手に冠を持ち、髪の毛は結つてはあるものの背中に流れてゐるから、いい男に見えるのかもしれない。
さう思はないでもない。
その横には普浄。
張遼とおなじやうに、人形劇には出てこなかつた人形である。
普浄は、関羽と同郷の僧侶。関羽が決死の千里行のときに、「川向かふに住んでゐたものだ」と云つて近寄つてきて、関守の悪事を教へた坊さん。
これがねえ、またいい顔をしてゐるんだねえ。
出番のなかつた人形までこんなにいいとはねえ。
その横には山賊の婆さん。
人形劇オリジナルの登場人物である。
関羽が千里行のすゑ、玄徳・張飛と再会を果たしたあとのエピソードに出てくる。
なぜか張飛が武松よろしく虎退治をする話だ。
ここの張飛がめちやくちやかはいいんだよなー。
また「兄貴」な関羽がこれまためちやくちやイカすのだつた。
閑話休題。
峠で料理屋を営んでゐる山賊の婆さんがすなはちこの人形。
いやしげな顔立ちで、派手な衣装も品のなさをよくあらはしてゐる。
顔の皺の表現をまぢまぢと見てしまつた。
その後ろが孟獲。
ひとりでスペースを占拠してゐる。
背中に負つた羽が大きく左右に弧を描いてゐるからね。仕方がない。
伏皇后がかすんで見えるのも、むべなるからといつた派手な出で立ちだ。
向かふつ気の強さうな表情が、なんとなく可愛らしい。生意気盛りの少年のやうといつてもいい顔立ちだ。
実際、人形劇の七擒七縦も、おとなに諭されるこども、といつた趣があつたものな。
このケースの中央は献帝。
ずつしり重厚な衣装で、中央にふさはしい帝だが、如何せん、孟獲がひとりでバランスを欠いてしまつてゐる。
まあ、しかし、「玄徳の周辺」にしても「曹操の王国」にしてもさうだけど、シンメトリならいいつてもんでもないよな。
この展示についてはあと一回くらゐで終はる予定。
そろそろ飯田行きの予定を立てないと、だな。
その他の展示については以下のとほり。
飯田に着くまでと、エントランスの謎
紳々竜々と「特異なキャラクター」、「江東の群像」
「玄徳の周辺」
「曹操の王国」
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