Sleep Deprivation
先週、平日のあひだはほとんど編めてゐない。
編めてゐないといふよりは、「編んでゐない」といふべきか。
帰宅して食事の支度をして食べてかたづけて風呂を沸かして食休みの最中に録音したラジオ語学講座を聞いて入浴して粗熱(つてをい)を取るあひだblogのエントリなど書いて……
さうすると、もう寝る時間なのだ。
ここのところ、具体的に云ふと、一年ちよい前くらゐから、とにかく睡眠時間の確保を最優先、といふことでやつてきた。
もともと、やつがれは寝ないとダメなのだつた。
学校にかよつてゐたころは、定期試験のときなどもしつかり寝てゐた。
試験勉強はほぼ一夜漬けといふか、前の日にするていどだつたけれども、それでも寝てゐた。
徹夜しろよ、といふ話もあるかもしれないが、それだとダメなのである。
一度やつてみて、凝りた。
もつと云ふと、小学生のころ、よく「頭が痛い」と云ふて保健室で寝てゐたことがある。
小学生のころは自主的に夜九時には寝てゐた。
眠くなるからだ。
必殺シリーズなど、九時以降にはじまる時代劇が見られないのがくやしかつたが、どうにもならない。
それでもまあ、五六年生くらゐになるころには必殺シリーズくらゐは見られるやうになつてゐたけれども、そのせゐか、日中激しい頭痛に悩まされることがあつた。
保健室で睡眠を取ると、なんだかすつきりして頭痛もどこかへ消へてゐた。
その重要な睡眠時間を削りはじめたのは、就職してからだ。
とくに、金融系の客先で、朝八時四十五分に来い、と云はれてからの削りやうは著しかつた。
朝は始発のバスに乗つて、帰りは終電に駆けこむ毎日。
もう終電に間に合はないかも、と、タキシーを飛ばして行くと、中央線が遅れてゐて待ち合はせをしてゐる、といふことが毎回あつて、このときばかりは中央線の遅れに感謝したものだつた。
終電で帰ると、タキシーに並ぶので、家に着くのは一時半。ときに二時ちかくになる。
それから食べたり入浴したりすると、あつといふ間に三時。
二時間くらゐ寝て、また始発のバスに乗る。
その後、朝は十時出勤でいいといふ客先に行くことになつたりしたが、夜遅いのは変はらず、おそらく本来は朝型であるはずなのに、次第に夜型になつていつた。
うつかりすると二時三時。
そんな日々がつづいた。
これではいけない。
おそまきながら、さう思ふやうになつた。
それまでは、「眠る時間を削らなければ、なにもできない」と思つてゐた。
実は、今でも思つてはゐる。
でも、睡眠時間を最優先にしなければ、余計になにもできない。
眠すぎて。
この結論に至るまでに、日々の行動記録を取つたりした。
仕事やそれにまつはる出勤退勤時の移動時間、食事と入浴とにかかる時間、さうしたものをのぞくと、ほんとにわづかな時間しか残らない。
実際睡眠時間最優先の生活をしてみて、わかつたことがある。
これまでやつがれは、睡眠時間を削つて編んだり結んだり紡いだりしてゐた、といふことだ。
先日、「TVを見ながら編んだり結んだり紡いだりしてゐたが、TVを見なくなつたので自然と編んだり結んだり紡いだりする時間も減つた」と書いた。
これもたしかにそのとほりなのだが、それ以上に、睡眠時間を削ることで為してゐたことが多かつたのらしい。
うーぬー。
そんなわけで、先週編みはじめたくつ下もそんなに進んでゐない。
進んだ分は、「あまちゃん」の録画を見ながら編んだ分。
朝の連続テレビ小説を見るやうになるなんて、思はなかつたなあ。
ここ二三年くらゐ、変はりつつあるよね、朝の連続テレビ小説。
以前は、視聴者をバカにしてゐるとしか思へないやうな話の展開だつたものだが。
あれ、絶対バカにしてるよね。「これくらゐしないと視聴者には理解できないだらう」つて態度が完璧に透けて見えてたもの。
それが、ここのところ、変はつたものを作らう、おもしろいものを作らうとしてゐるやうに感じられる。
さうなると、あれだな、視聴者をバカにしてゐるのは、大河ドラマだな。
「これくらゐ単純にしないと視聴者にはわからないのにちがひない」といふ姿勢が如実にあらはれてゐる。
「どーせ戦国時代もので、それも信長・秀吉・家康の出てくるやうな話でないと見ないんだろ?」みたやうな感じとかさ。
今の「八重の桜」も例外ではない。
「平清盛」はなー、そこんとこ、がんばつてたと思ふんだけどなあ。
それでコケてるつてことは、視聴者はやはりバカといふことなのか。
だから制作者サイドになめられるんだぜ。
ま、いいけどさ。そんなものはもう見ないから。
と云ひつつ、三条実美が復帰したら多分見るけど。
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