西の方渋谷を出れば故人無からん
人はなぜ忘れてしまふのだらう。
A retentive memory may be a good thing, but the ability to forget is the true token of greateness.
さうはいふものの、やはり忘れてしまふことは哀しい。
そもそも、記憶つて、なんでこんなに哀しいんだらう。
過ぎ去つたむかしを思ひ出すのは、ひどくせつない。
それでゐて、思ひ出すものがなくなることにも耐へられない。
渋谷ヒカリエにある川本喜八郎人形ギャラリーは、去年2012年の6月4日に開館した。
それ以来、展示されてきた面々が入れ替はる。
このことについては先日も書いたばかりだ。
くどい。
わかつてはゐる。
いや、やはりわかつてゐないのだらうか。
昨日は展示替へのはじまる前日といふことで、いつもよりもすこし早めにギャラリーに赴いた。
いつもは、下手すると閉館時間10分前といふことが多く、「またね」などと思ひながらあはただしくその場を去ることが多い。
そのせゐだらうか、あれだけ繁くかよつたといふのに、たれひとりとして、しつかりと記憶にとどまつてゐるものがない。
今日は、ひとりひとりしつかり記憶に刻みこまう。
さう思つて行つたのに、脳裡にうかぶのは、いづれもぼんやりとした姿だ。
「そこにゐたな」といふことくらゐしかわからない。
それでも、「家貞と泰子は、ここから見ると一番すてきなんだよねー」だとか、「忠盛・清盛親子は、結局最後までいいところを見つけられずに終はつたなー」とチトくやしかつたりしたり、そんな感じで別れを惜しんだ。
「JJ」と呼び「轟天」とも呼んだ遠藤盛遠を見てはやはり微笑んでしまつたり。
ここのところお気に入りだつた鳥羽院の前でしばし佇んでしまつたり。
でも平家物語は、やつぱり崇徳院だな。
正面から見たときのあの恨めしげな表情。
それが、ちよつと斜から見たときに、なんともさみしげな面持ちに変はるやうすに、何度心奪はれたことか。
平家物語の面々には最悪、放送時の映像でまた会ふこともできる。
だが、しかし、三国志の面々。
この先、人形劇の映像を見ていくうちに、ヒカリエにゐた面々のことは忘れてしまふのだらう。
人形劇のときとは著しく趣のちがふ李儒や王允、董卓や陳宮はもうすこし記憶にとどまるかもしれない。
でも、人形劇のときとの差異がすくない面々、ほとんど違はない面々の記憶はどんどん薄れていくのにちがひない。
さう、自分は忘れてしまふ。
険しい表情の郭嘉も、流し目の曹操も、視線の定まらぬ夏侯淵も。
色男な李儒も、この姿で動くところを見たかつた王允も、だらしないところの微塵もない董卓も、伏し目がちな貂蝉も、アールデコな衣装のお洒落な陳宮も、暴走族のヘッドのやうな嫩さの残る呂布と志を千里に持つ赤兎も。
野性味の増した関羽も、大人びたやうすの張飛も、人形劇のときと変はらぬやうすの玄徳も、いさましさ一番の趙雲も。
風狂な龐統も、幽玄な孔明も、その孔明を睨みつけてゐる孫権も、おだやかな表情の周瑜も、おろおろした魯粛も。
みんなみんな忘れてしまふ。
李白の詩に「烟花三月下揚州」とある。
あるいは王維の詩にある「客舎青青柳色新」。
春は別れの季節なのかもしれない。
いままさに、巷には色とりどりの花が煙るやうに咲き乱れてゐる。
だといふのに、心浮かない。
来週には新たな面々に会へる。
いまはさう思つて、気を取りなほすしかない。
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