人間の証明 -- あるいは、I, bot ふたたび --
「宇宙戦艦ヤマト」の劇場公開作品に、「ヤマトよ永遠に」がある。
詳細はこちらをご覧いただくとして、この映画を見たときに一番気になつたのは、「真田さんはどうやつてサーシャを育てたのか」であつた。
「宇宙戦艦ヤマト」シリーズにおける真田志郎(以下「真田さん」)は、一見なにごとにも動じない沈着冷静な技師長、その實「科学を憎んでゐる」とかいふ熱い思ひを持つてゐ人物として描かれてゐる。
真田さんは独身である。
結婚歴も(多分)ない。
その真田さんが、同期の親友であり主人公の兄である古代守とイスカンダル星人スターシャとのあひだに生まれた娘であるサーシャを育てる。
「ええっ?」だらう?
イスカンダル星人の特性をそなへたサーシャは、一年で地球人でいふ十六歳相当まで成長する。
「すぐ大きくなるんだから楽ぢやん」
「たつた一年のことでせう」
さういふ人もゐるかもしれない。
いやいやいやいや。
相手は女の子だぜ。
成長するごとに生意気になつていくのは目に見えてゐる。
さつきは云はなかつたやうなことを、今この瞬間には云ふ。
そんなことも多々あつたらう。
もしかすると真田さんはばあやさんを雇つたりもしたかもしれない。
それはそれで、そこにばあやさんとのコミュニケーションが発生するわけだ。
なんだかドラマチックぢやあないか。
「ヤマトよ永遠に」では、さうした部分はまつたく描かれてゐない。
作品からわかるのは、真田さんがサーシャを育てた、といふことだけである。
それだけのことから、それだけのことが、主人公の戀愛沙汰や宇宙の危機よりもずつと気になる。
それは、おそらくやつがれが「人間」だからだ。
機械は、(「まだ」と書いておくが)、そこまで受け取ることができない。
「ヤマトよ永遠に」で検索すれば、「真田さんが一年間サーシャを育てた」といふことはわかる。
でも、そこまでだ。
真田さんがどんな苦労をしたか、とか、父母とはなれてサーシャがどれほど悲しい思ひをしたか、とか、互ひにどれくらゐ慕ひあつてゐたか、とか。
さういふことに思ひを馳せることはない。
すくなくとも、「ヤマトよ永遠に」といふ作品から、そこまで引き出すのは不可能だらう。
……と、書いてゐるこのエントリを検索でひつかけて、「真田さんもきつと苦労したんだらうなあ」とか云はせることは可能かもしれないがな。
万事こんな具合で、やつがれは幼いころから物語の主人公に興味をいだくことができない。
主人公のことは、物語にほぼ描かれてゐるからだ。
物語の受け取り手もまた、主人公以外のものに興味を惹かれることはあまりないのらしい。
といふのは、たとへば「SLAMDUNK」を大好きといふ人に「ヤス」の話をしても、全然喰ひついてこなかつたり、ときに「ヤスつてだれですか?」と問はれたりすることがあつたり、だとか。
#シオやカクと云つたわけでもないのに。
#ましてや村雨くんとか云つたわけでもないのに。
「アメトーーク」のガンダム芸人もので、みな口をそろへて「こどものころはアムロとシャアしか見てなかつたけど」といつたり、だとか。
「SLAMDUNK」なんて主人公以外の人間のセリフが一番の名セリフに選ばれる作品だといふのに。
それでこのていたらく。
そんな話を聞くと、世の人はいつたいなにを見てゐるのだらう、と思つてしまふ。
「機動戦士ガンダム」で気になるのつて、戦ひもしないのに大佐なマ・クベだと思ふがなあ。
シャアでもないのにひとりだけ制服もちがへば、モビルスーツも特注のやうだ。
なんでそんなに偉いのか、といふのが、はじめて見たときから不思議でならなかつた。
しかも、キシリア・マ・クベのラインつて、なんだかものすごくしつくりしてゐる。
以前どこかでも書いたが、後に、戦争において兵站であるとか資源の確保であるとか、さういふものがとても重要なのだと知るにいたつて、「ああ!」と思ふやうになるのだが。
一方で、そんな脇道ばかり気にする自分は、物語をちやんと把握できてゐない、鑑賞できてゐないのではないか。
つねにさう思つてゐた。
でも、きつとそれは、やつがれの「人間」たる証なのだ。
人間だから、さうした瑣末なことが気になる。
機械がこの境地(つて大げさな)に至るには、まだまだ時間が必要だ。
もしかしたらできるやうになる日はやつてこないかもしれない。
そんな境地を求める研究者がゐないかもしれないからだ。
「機械より人間らしくなれるか?: AIとの対話が、人間でいることの意味を教えてくれる」を読んで、「自分はまるでbotのやうだ」と思つたが、思ひがけないところで「人間の証明」を発見した。
実生活ではまつたく役に立たないがなー。
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