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Wednesday, 06 March 2013

「芸づくし忠臣蔵」を読む

実は「仮名手本忠臣蔵」はそれほど好きではない。
好きではないのは、よく上演される五、六段目と七段目がそんなに好きではないからだ。
九段目が五六七段目とおなじくらゐよくかかれば、もしかしたら好きかもしれない。

ここのところ、思ふところあつて芝居関連の本を読むことがある。
関容子の「芸づくし忠臣蔵」もそんなわけで手にした一冊だ。

先日もちよこつと書いたけれど、芝居は勉強して見るものではないと思つてゐる。
楽しければそれでいい。
さう思つてゐる。
ゆゑに見る前に予習なんかしないし、ましてや復習なのだが、ここのところ立て続けに「知つてゐるからおもしろい」といふ体験をした。
具体的に云ふと、映画「テッド」と「書聖 王羲之」展だ。
「テッド」は80年代米国のサブカルチャーに関する知識があればあるほど楽しめる映画だ。
「書聖 王羲之」展は……えー、王羲之とは全然関係ないところで、いろいろ楽しかつた。「世説新語」の曹操と楊脩の話でまづ盛り上がつたりして、ね。
「書聖 王羲之」展の一番最初に、王羲之やその親族のエピソードが掲載されてゐるといふので、「世説新語(展覧会では新書)」の最古の写本といふのが飾られてゐて、これに曹操と楊脩の話があつた。それでもりあがつちやつたんだな、意味もなく。

といふわけで。
芝居もまた、知つて見るとさらに楽しめるのかもしれない。
さう思つて、ここのところ何冊か手に入るものを読んでみた。

「芸づくし忠臣蔵」は歌舞伎で上演されるときの「仮名手本忠臣蔵」を大序から十一段目まで、ていねいに藝談など集めてまとめたものである。
大変ためになる。
大変ためにはなるものの、でも、客のたしなみとして、実際に忠臣蔵を見るときは、ここに書かれてゐることはきれいさつぱり忘れて見るものだ。
さう思つた。

どこの客が「あ、今、定九郎は一生懸命支度をしてるのよ」などと思ひながら芝居を見るだらう。
あるいは、「あ、今、勘平は青黛をつけたりなんだりしてるのよ」などと。

イヤだらう、そんな客。

それはさておき。

この本のすばらしいのは、役者からの聞き書きの部分が、ほんたうにその役者が喋つてゐるかのやうに書かれてゐることである。

前の勘三郎、梅幸、前の仁左衛門、歌右衛門、羽左衛門……みんな喋つてゐるやうすが瞼に浮かぶやうだ。
とくに、勘九郎時代の勘三郎の喋り方、せつかちな早口で、熱く語るやうすが、脳裡に蘇つて、なあ……
つらいやうな、それでゐて、いまでもかうして喋つてくれるんぢやないかといふやうな、そんなとりとめもない思ひが、読んでゐるあひだゆらゆらとゆれてゐた。

さうさう、やつがれは六段目を見るときにやたらとおかやが気にかかるのだが、その理由がわかつた気がした。
この本に出てくる、先代の上村吉弥の話を読んで、さう思つた。
先代の美吉屋のおかやは、ちいさくて可愛いおばあさんだつた。
こんなおばあさんが、こんな山の中にたつたひとりで暮らしていかねばならないなんて。
さう思ふと、たまらなかつた。
はじめて見た六段目のおかやが先代の美吉屋だつた。
多分、ラッキーだつたのだ。
だつて、いま、こんなおかやはゐないもの。

それにしても、九段目、見たいなあ。
この本の中でも、九段目の話が読んでゐて一番楽しかつた。
九段目は大顔合はせでないとチト上演がむづかしい。
今年歌舞伎座で見られることを期待してゐるのだが……
ムリかなあ。

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