本がない
昨日の帰り道、今日家で読むものでも買はうと本屋に寄つた。
草森紳一の「随筆 本が崩れる」の巻末に、「好評既刊」として紹介されてゐた本のうち、何冊か読んでみたいと思ふものがあつたので、それを探した。
職場付近で二軒、自宅最寄り駅付近で二軒の計四軒まはつて、一冊も見つけることができなかつた。
「随筆 本が崩れる」は2005年に刊行された本で、ゆゑに「好評既刊」の本もそれとおなじかもつと古い本といふことになる。
新書といふと、最近出版されたものしかおいてゐない本屋もあるが、今回まはつた店はいづれも0番台の本から置いてゐる、それなりに新書に重きをおいてゐる本屋だつた。
ない。
やつがれの探してゐる本の番号だけ、ぽつかりと、ない。
わかつてゐる。
Amazonにならあるのだ。
さう思つて、念のため検索してみたらこはいかに。
どうやらAmazonにもないのらしい。
文春新書目録には出てゐたので、絶版といふわけではないのだらうが、さう変はらない状況なのだらう。いづれ、「品切れ」とかなんとか、そんなことを云はれるのにちがひない。
Amazonにあつたなら、地元の本屋に注文するといふ手も使へるのだが。
だが、もうここ何年も、その手は使つたことがない。
なぜといつて、注文してから本が手に入るまでに、へたすると二週間、どうすくなく見積もつても一週間はかかるからだ。
そのあひだに、たまたま立ち寄つた本屋で見つけたらどうする?
注文した本が届くまで待つ?
はたしてそんなことができるだらうか。
できまいな、おそらく。
ここのところ、本はできるだけ自宅最寄り駅付近にある本屋で買ふやうにしてゐる。
本屋がつぶれてしまふと困るからだ。
かつて自宅付近には二軒の本屋があつた。一軒は文房具屋もかねてゐる町の本屋といつた趣の本屋だつた。
いまはどちらもない。
もつと範囲を広げて、こどものころ病院通ひの帰り道にたまに母に本を買ふてもらつてゐた本屋もない。ここは数年前まではあつたのだが、店主だつた老人が亡くなつたとおぼしき後、薬局になつてしまつた。
自宅最寄り駅でさへ、昔から知つてゐる本屋は一軒もない。高校生のころに立ち寄つた古本屋もなくなつてしまつた。いまある二軒は、最近できた本屋だ。
でも、本屋にはほしい本がない。
新刊本を読まないからだ。
さうかうするうちに本屋がつぶれる。つぶれなくても、店内における「本」の比率が低くなる。
やつがれは、それほど本が好きといふわけではない。
それでこれなのだから、世の本好きはどうしてゐるのだらうと時折気になる。
それとも世の本好きは、すでに過去の本はほとんど読み尽くしてしまつてゐて、新刊しか買はないので、困ることはないのだらうか。
電子書籍にすこし期待をしたけれど、どうやら古くて埋もれてしまつたやうな本は対象にならないやうだ。
かくして、ますます本を捨てられなくなつてしまふのだつた。
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