なにかが違ふ
前回、「毛糸だま 2013年 春号 No.157」に、高嶋タティングが出てゐるといふ話を書いた。
この時点では、「毛糸だま」は本屋で見かけただけで、まだ購入してゐなかつた。
その後、買つてみたのだが。
うーん、この高嶋タティングの作品、高嶋タティングの必要があるのだらうか。
前回もちよこつと書いたが、高嶋タティングの特徴は、タティングレースとかぎ針編みを組み合はせたところにあると思つてゐる。
高嶋タティング針のよさもそこにある。
タティングレースの技法でリングを作り、普通はブリッジでつなぐところをかぎ針編みの鎖編みでつなぐ、とか。
モチーフ同士は鎖編みやこま編みでつなぐ、とか。
さういふ、技法のコンビネーションの妙が高嶋タティングの特徴であり、楽しさでもある、と思つてゐるのだが。
どうも「毛糸だま」に掲載されてゐる作品は、さうではない。
これ、高嶋タティング針でなくてもできるぢやん。
これだつたら、高嶋タティング針を使ふよりも、ニードルタティング用の針を使つた方がかんたんにできるんぢやないかなあ。
いや、針を使ふ必要さへない。シャトルで十分。
そんなことないかなあ。
もしかしたら、なにか見落としてゐるのか知らん。
もちろん、高嶋タティングだからつて必ずタティングレースとかぎ針編み双方の技法が取り入れられてゐなければならないといふことはない。
「毛糸だま」に掲載されてゐる作品は、これで十分かはいらしいものだと思ふ。
でもなあ、期待してゐたものとちがふんだよなあ。
期待したやつがれが悪いのか。うむ、さうかもしれんな。
特許を取つてゐるだけに、あまり外部にあれこれ知られたくないといふ思惑もあるのだらうか、とか、邪推してしまふ己が悲しいよ。
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