「柳亭市馬の懐メロ人生50年」を読む
好きとはどういふことか。
とかいふてるからダメなんだよなぁ、とは思ひつつ、いつも疑問に思ふてゐる。
たとへば、やつがれには好きなものなんてないんぢやないか、と、いつも思ふ。
あみもの好きなんぢやないの、とか、お芝居好きなんでせう、とか、まあ多分さうなんだけれども、ほかのあみもの好き、お芝居好きな人を見ると、「自分ていどで好きとか云つてちやいかんなあ」といふ気がする。
好きなんて、比較の問題ぢやないだらう?
さうも思ふが、うーん、まあ、やつがれは、「好きの体温」が低いんだらう。
柳亭市馬をはじめて聞いたのは「お菊の皿」。
勝手に正統派の噺家だらうと思つてゐて、まあそれはそのとほりなんだけれども、このお菊さんが歌ふの歌はないのつて。
「憧れのハワイ航路」を岡晴夫調に歌ひあげるさまに、「なんか、すごいものを聞いてゐる」としみじみ感じ入つたものだつた。
「柳亭市馬の懐メロ人生50年」は、そんな懐メロ好きが高じて歌手にまでなつてしまつた市馬師匠の著書である。
帯の「あたしは昭和30年代までの歌謡曲しか、聴かないんです」といふひとことに惹かれて買つてしまつた。
なんてやうすがいいんだらう。
イカす。
心底さう思ふ。
好きつて、いいことなんだよな。
だつて、この本読んでて楽しいもの。
懐かしのメロディについては、やつがれも、そこそこ知識はあるつもりだ。
この本に出てくる歌手はほぼ全員わかる。でも、代表的な歌くらゐしか知らなくて、市馬師匠のあげてるやうな「あまり歌われないけどいい曲」はほとんど知らない。
でも、いい。
読んでて楽しい。
「この歌、知らないや。聞いてみたいな」
さう思ふ。
おそらく、市馬師匠の懐かしのメロディへの愛が、そこにあるからだらう。
なにかを好きである、といふのは、なんとはなしにはづかしさを覚えるものだ。
いや、あるものを「好きです」といふときに、そこにいくばくかのはづかしさがある。
そんな気がする。
そんなはづかしさを楽しむのもいいんぢやないかな。
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