「美文字」つてなに?
二月三日、二十三日と東京国立博物館平成館に「書聖 王羲之」を見に行つてきた。
さう、二回も。
二月三日だけで済ませるつもりだつたのだが、この日、二時半ごろ博物館の中に入つて、まつたく時間が足りなかつた。
展示品の後半、王羲之とどう関係のあるのかよくわからないが著名な後世の書家の作品を駆け足で見る羽目になつてしまつた。
蘇軾の李白仙詩巻なんかもあつて、ちやんと見たかつたので、もう一度行つた、と、かういふ寸法である。
肝心の蘇軾は、もうなかつた。なんでも会期中前半しか展示してなかつたとのことである。
なんてこと!
大阪市立美術館蔵とのことだが、普段は展示してゐないのだらうか。ゐないのかもしれないなあ。
ところで、博物館や美術館の類にはあまり行かない。
え、川本喜八郎人形ギャラリー? これは別。
なぜ行かないのかといふと、残念ながら美術品を見る目がないからだ。
さらに、人ごみが苦手だ。
美術品を見る目がないと、どうしても名前を知つてゐるやうな画家や藝術家の作品展を見に行くことになる。
すると、やつがれとおなじやうな有象無象がうようよゐるやうな展覧会に行くことになる。
仕方がない。
見る目がないんだから。
そんなわけで、書の展覧会に行くのははじめてだつた。
楽しいのかなあ、と、ずいぶん心配したが、二回も行つた、といふことで、どれくらゐ楽しかつたか、ご理解いただけるのではないかと思ふ。
といふ話は、別の機会にゆづるとして。
かうした展覧会に行つたあとで本屋に立ち寄ると、目につく書籍がある。
「美文字」と題した本の数々だ。
「美文字」、ねえ……
すでに「美文字」といふことば自体がうつくしくない。
字面はいいかもしれない。
でも、聲に出して読んでみればわかる。
なんだかうつくしくないだらう?
このうつくしさの欠如は「美肌」に似てゐる。
ほとんどTVを見なくなつて久しいのでまつたく知らなかつたが、世の中には「美文字王子」だとか、「美文字講師」だとか呼ばれてゐる人々がゐるといふことも知つた。
「書聖 王羲之」でも、王羲之より後世の書家・文徴明は、字がへただつたため科挙の試験に落ちつづけたので、千字の臨書を毎日十回づつおこなつてゐたといふし、地方試験で首席だつたのに字がへただつたせゐで次席になてしまつた書家なんてのもゐたりして、そんなエピソードを見るたびに、「ああよかつた、そんな時代に生まれなくて」と思つたものだ。
でも、今はさういふ時代ではない。
職場で字を書く機会もほとんどない。文書はWordやExcel、場合によつてはPowerPointで作成してそれをそのまま印刷する。他人に用件を伝へるのはメール。
自宅でもそれはあまり変はらない。
年賀状でさへ、表も裏もすべて印刷といふ人が多からう。やつがれは、宛名書きだけはすべて手書きにしてゐるが、これはどうやら筆圧の極めて低いゆゑに可能なことなのらしいといふことに去年の暮れ気がついた。
それなのに、なぜいまどき「美文字」。
よくよく見れば、通信教育でもペン字は幅をきかせてゐるやうだ。
さういへば、昔「日ペンの美子ちやん」とか、ゐたよねえ。なつかしい……
履歴書も今はPCで作るだらうしなあ。
「美文字」の出番がよくわからない。
たしかに、字はきれいなことに越したことはないが。
「美文字」とやらに血道をあげる、その心がよくわからない。
かく云ふやつがれは悪筆で、こどものころからさんざんに云はれてきた。
十年ほど前職場から補助金がもらへるといふので通信教育でペン習字を受講してみたこともある。
このときは、自分でもはつきりとわかるほど字が変はつた。お手本を見なくてもお手本に近いやうな字を書くやうになつてゐた。このころ書いた字は今見てもわかる。
しかし、それもものの半年くらゐでもとに戻つてしまつた。
せめて読みやすい字、といふのならいいのだが。
残念ながらそんなことはまつたくない。
さういへば、こどものころは筒井康隆の字にあこがれてゐたなあ。
新潮社のハードカヴァ本フェアがあつて、本を紹介した冊子に筒井康隆の生原稿が掲載されてゐた。
こんな字が書ければなあ。
さう思つて、真似して書いてゐた時期もある。
結局、真似できずに終はつたけれど。妙なくせだけは残つてしまつた。縦書きにするときに、左側に寄せて書く、とかね。左右の払ひが異様に長い、とか。
筒井康隆の字は、「大いなる助走」で見ることができる。これは新装版で、実は以前の版の方が見やすいんだけどね、字自体は。
今は、人形劇三国志の題字とか、劇中に出てくる字とかに惹かれてゐる。題字は、十一話目くらゐから突然変はるのだが、変はつたあとの方が好きだ。
でも、きれいな字つて、まづ美醜を見極める審美眼を持つてゐることが肝心で、つぎにそれを実現できる器用な手が必要なんだよね。
とりあへず好きな字といふのはあるけれど、それを実現する手をもたないやつがれは如何せん。
とりあへず、「美文字」とやらを冠した本の一冊でも買つてみるか?
あるいは。
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