Quiet: The Power of Introverts in a World That Can't Stop Talking を読む
TEDで、Susan Cain のプレゼンテーション、The Power of Introverts (動画)を聞いたとき、「ああ、これまでつらかつたのは、このせゐだつたのか」と逐一腑に落ちた。
たとへば幼稚園のときのこと。
なぜか父兄参観日に、クラスの全員で外で遊びませうといふことになつた。
クラスの大半は、先生もふくめて鬼ごつこのやうなことをしてゐた。
一方、やつがれは、極々親しい二三名と砂場で遊んだ。
帰宅後、母に詰問された。
「なぜみんなと遊ばないのか」「なぜみなの輪に入らないのか」
その後も、同じやうなことがたびたびあつた。
たとへば小学校でも、休み時間はみんなで外で遊ぶことをよしとする。教室で本を読んでゐてはいけないことになつてゐる。それが許されるのは、雨の日くらゐで、晴れてゐたら「みんなで」「外で」遊ばなければならない。
日本でさへかうである。
ましてや米国においてをや。
Quiet: The power of introverts in a world that can't stop talkingは、積極的・社交的なことが美徳とされる世界で生きていかねばならない内向的な人のことを書いた本である。
著者は、Scientific Americanでのインタヴューで、「内向的な人は1950年代の女の人と同じやうに、その能力を正しく評価されてゐない」と云つてゐる。当時は、男の人でなければ、自身の持つ能力を発揮できなかつた。同様に、今の世の中、外向的な人でなければ、能力を発揮する場もないし、したがつて評価もされない、と、さういふのである。
著者は、世の中を変へやうとしてゐる。
内向的な人であつても、外向的な人と同じやうに持てる能力を発揮し、評価される世界に、もつといふと、内向的な人でも生きやすい世の中に、この世を変革しやうとしてゐる。
この本は、その第一歩なのだらう。
本書によると、学校ではグループ学習が増えてゐるといふ。算数でさへグループ学習をするといふ。
職場ではオープンオフィス化が進み、アイディアを出すにはブレインストーミングしかないといつた風潮があるといふ。
さうしたことは、内向的な人々には向いてないし、つらいばかりだ。
実際、やつがれも似たやうな経験をしてゐる。
中でも、ある牧師さんの話は興味深い。
その宗派の教義では、信者は外向的・社交的であることが求められてゐる。聖職者ともなればなほさらだ。
よつて、この牧師さんは、本来内向的な性格でありながら、「神は私がひとりでゐるのを好むことを喜ばれない」といふ罪悪感にかられてゐる。
この牧師さんにかぎらず、内向的な人間は、「自分がなにかいけないのではないか」「自分に悪いところがあるから世の中に順応できないのではないか」と考へがちだといふ。
この本を読んだら、そんなきもちも少しは緩和されるだらうか。
それは人によるだらう。
この本を読み終はつたとしても、結局この世は社交的な人・外向的な性格の人の生きやすいやうにできてゐる。
それでも、自分の内向性に気がついて、さういふ自分に正直に生きるやうにすれば、多少は楽になるかもしれない。
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