川本喜八郎人形ギャラリー 人形劇三国志篇 天の時
先日川本喜八郎人形ギャラリーにゐる平家物語の面々について書いた。
やはり人形劇三国志の面々についても書いておかうと思ふ。
何度も書いてゐるが、渋谷ヒカリエにある川本喜八郎人形ギャラリーにゐる人形劇三国志の面々は、人形劇に出てゐたのとは別の人形である。
人形劇に出てゐた面々は、飯田にある川本喜八郎人形美術館にゐるのらしい。
渋谷にゐるのは、川本喜八郎がその晩年に手がけてゐたあらたな人形なのだといふ。
そんなわけで、ひとりひとり人形劇のときとはことなつてゐる。
むかつて左手からいかう。
左手には、「天の時」といふことで、曹操と夏侯淵、郭嘉がゐる。
一番左端にゐるのが郭嘉。
郭嘉は、人形劇のときとそれほど変はらないやうに見受けられる。
人形劇のときは紫色だつた衣装が、照明の加減か茶色つぽく見える。自然光の下で見たら紫なんぢやないかな。いづれにしても、人形劇のときよりは地味な出で立ちだ。紫の方が色気があるよね。「なるほど、放蕩児」つていふかさ。
我が家では、孔明が出て来たときに、「前の人の方がいい男だつたねえ」と云つたものだつた。
「前の人」、すなはち郭嘉のことである。
聲がおなじで、似たやうな役回りだから「前の人」といふ感じだつたのだらう。
渋谷にゐる郭嘉も、当時と変はらずいい男である。
とくにむかつて右側から眺めたときのよさといつたら、もう、惚れ惚れするほど。
眉間に皺がよつてゐるので、見る角度によつてはそれほどでもないこともあるが、まあそれは人間もおなじことだらう。
郭嘉の次が曹操。
曹操は、一番人形劇のときと変はらないやうに見受けられる。
目の玉の動くカシラなので、むかつて右側を睨むやうにしてゐる。
なので、むかつて左から見たときと正面から見たときとは、なんとも狡さうな如何にも策士といつた表情なのだが、右から見ると途端に印象が変はる。右に寄つた目が、睨んでゐるのではなく、流し目をしてゐるやうに見えるのだ。実にやうすがいい。
郭嘉とあはせて、むかつて右側から見つつうつとりすることしきり。
衣装も人形劇のときと同様、赤地に金糸銀糸の縫ひとりのあるきらびやかなものだ。
戦隊ものだつたらヒーロー間違ひなし、だよなあ。
その次が夏侯淵。
この郭嘉・曹操・夏侯淵といふ布陣は、人形劇の官渡の戦ひ前後を思はせる。
兜をかぶり、橙色の戦袍と紺色といふか群青色といふかのしごき、それに胸当て背当ての武将の出で立ち。
ちよつとどこを見てゐるのだかわからない感じなのが惜しまれる。夏侯淵の視点の定まる位置から見ると、これまたまつたく印象が変はるんだけどね。
まだ董卓ののさばつてゐた時期の、夏侯淵自身のキャラクタが定まつてゐないころの感じを思ひ出す。あのころの夏侯淵は、ちよつとドタバタしたところのあるキャラクタ扱ひだつたりしたものな。
全体的なバランスといふところからいくと、この「天の時」の、のちの魏の人々のところが一番まとまつてゐるやうな気がする。まとまつてゐるといふことでいへば、玄徳・関羽・張飛が一番まとまつてゐるんだけど、それはお揃ひの鎧を着てゐるから、だからなあ。
それぞれの出で立ちで、それでゐてきらびやかにバランスがとれてゐる(郭嘉が地味とはいへ。地味でもいい男だからいいのだ)、そんな感じがする。
そして、このあたりを見てゐるときは、当然のやうに頭の中には曹操のテーマが流れてゐるのだつた。
次は「密かなる謀 -連環の計-」の面々なのだが。
それは次回の講釈で。
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