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Thursday, 31 January 2013

スケジュール帳は日曜はじまり

スケジュール帳は、日曜はじまりにかぎる。

世の中の手帳は、月曜はじまりが多い。
欧米の手帳がさうだし、仕事は月曜からはじまるからだらう。

ならば月曜はじまりでもいいぢやあないか。
やつがれも以前はさう思つてゐた。
ダメだな、と思つたのは、カレンダーを見ながら予定を書き入れてゐたときのことであつた。

日本ではカレンダーはほぼ例外なく日曜はじまりである。
そのカレンダーを見ながら手帳に予定を書き込むと、気をつけてゐないと書き込む日付がずれてしまふのである。
カレンダーは日曜始まりで、手帳は月曜はじまりだからだ。

以来、ほぼ日手帳は日曜はじまりを買ふやうにしてゐる。
今年はほぼ日手帳カズンも使つてゐるので、月間予定表に書き込むときは、毎回かなり注意をしてゐる。紙のスケジュール帳はバックアップなので、そんなにキリキリする必要はないんだがね。

それにしても、なぜカレンダーは日曜はじまりなのに、手帳は月曜はじまりが主流だつたりするのだらうか。

上にも書いたけれど、欧米の手帳がさうだからか。

あるいはかうだらうか。
なぜカレンダーは日曜はじまりなのか。
カレンダーさへ月曜はじまりなら、スケジュール帳だつてそれでかまはないのに。

いつそ、カレンダーも月曜はじまりを増やしてみたらどうだらう。
反発をまねくだけかな。
でも、土曜日は青、日曜日は赤で印刷すれば、受け入れられるんぢやあるまいか。

長年の習慣は、さうかんたんには変はらないかな。
日曜はじまりに馴れた人々から総スカンを喰らつて終はりだらうか。

カレンダーとスケジュール帳と、まちつと互ひに歩み寄つてもいいんぢやないかと思ふんだがねえ。

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Wednesday, 30 January 2013

Quiet: The Power of Introverts in a World That Can't Stop Talking を読む

TEDで、Susan Cain のプレゼンテーション、The Power of Introverts (動画)を聞いたとき、「ああ、これまでつらかつたのは、このせゐだつたのか」と逐一腑に落ちた。

たとへば幼稚園のときのこと。
なぜか父兄参観日に、クラスの全員で外で遊びませうといふことになつた。
クラスの大半は、先生もふくめて鬼ごつこのやうなことをしてゐた。
一方、やつがれは、極々親しい二三名と砂場で遊んだ。
帰宅後、母に詰問された。
「なぜみんなと遊ばないのか」「なぜみなの輪に入らないのか」

その後も、同じやうなことがたびたびあつた。

たとへば小学校でも、休み時間はみんなで外で遊ぶことをよしとする。教室で本を読んでゐてはいけないことになつてゐる。それが許されるのは、雨の日くらゐで、晴れてゐたら「みんなで」「外で」遊ばなければならない。

日本でさへかうである。
ましてや米国においてをや。

Quiet: The power of introverts in a world that can't stop talkingは、積極的・社交的なことが美徳とされる世界で生きていかねばならない内向的な人のことを書いた本である。
著者は、Scientific Americanでのインタヴューで、「内向的な人は1950年代の女の人と同じやうに、その能力を正しく評価されてゐない」と云つてゐる。当時は、男の人でなければ、自身の持つ能力を発揮できなかつた。同様に、今の世の中、外向的な人でなければ、能力を発揮する場もないし、したがつて評価もされない、と、さういふのである。

著者は、世の中を変へやうとしてゐる。
内向的な人であつても、外向的な人と同じやうに持てる能力を発揮し、評価される世界に、もつといふと、内向的な人でも生きやすい世の中に、この世を変革しやうとしてゐる。
この本は、その第一歩なのだらう。

本書によると、学校ではグループ学習が増えてゐるといふ。算数でさへグループ学習をするといふ。
職場ではオープンオフィス化が進み、アイディアを出すにはブレインストーミングしかないといつた風潮があるといふ。

さうしたことは、内向的な人々には向いてないし、つらいばかりだ。
実際、やつがれも似たやうな経験をしてゐる。

中でも、ある牧師さんの話は興味深い。
その宗派の教義では、信者は外向的・社交的であることが求められてゐる。聖職者ともなればなほさらだ。
よつて、この牧師さんは、本来内向的な性格でありながら、「神は私がひとりでゐるのを好むことを喜ばれない」といふ罪悪感にかられてゐる。

この牧師さんにかぎらず、内向的な人間は、「自分がなにかいけないのではないか」「自分に悪いところがあるから世の中に順応できないのではないか」と考へがちだといふ。

この本を読んだら、そんなきもちも少しは緩和されるだらうか。
それは人によるだらう。
この本を読み終はつたとしても、結局この世は社交的な人・外向的な性格の人の生きやすいやうにできてゐる。
それでも、自分の内向性に気がついて、さういふ自分に正直に生きるやうにすれば、多少は楽になるかもしれない。

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Tuesday, 29 January 2013

Faliure Is An Option But Fear Is Not

なんかもう、タティングレースはあきらめた方がいいのかもしれない。

この週末、久しぶりにCeltic Tattingを試みてみた。

Celtic Tatting

この体たらくである。
いつそなかつたことにしやうかとも思つた。
なかつたことにして、闇に葬つたものも、これまでもたくさんある。

Celtic Tattingは何年ぶりだらう。
一応、専用のシャトルも持つてゐたりする。
Celtic Tattingは、普通のクロバーのシャトルとかだとチトやりづらい。やつがれの愛用するボビンのシャトルならなほさらだ。
長くチェインを作つて、シャトルを上に下にくぐらせないといけないので、細くて長いシャトルの方がやりやすいといふ寸法だからだ。
だいたい、弘法大師だから筆を選ばなくてもいいのである。
達人ではないものは、お道具は選ばなければならない。

といふのはいひわけで、要はお道具がほしかつただけなんだけどね。

しかし、手にして直後はすこしやつてみたものの、その後Celtic Tattingをすることはなかつた。
デザイン的には好きなのにもかかはらず、だ。
多分、Celtic Tattingには花結びに似た技能が必要である。
タティングレースの技能だけでどうにかなるものぢやないのだ。
それで、なんとなく遠ざかつてゐた。
さうなんぢやないかと思ふ。

ところで、昨日、TEDでのジェイムズ・キャメロンのプレゼンテーション(動画)を聞いた。
NASAでは「Failure is not an option.」といふのださうであるる
そらさうだらう。
有人ロケットやスペースシャトルでfailureがあつてみな。多大な損害が発生するし、人命が失はれることになる。

しかし。
たとへばあみものやタティングレースだつたらどうだらう。
キャメロンがプレゼンテーションの締めくくりに選んだことばが、あてはまるのぢやあるまいか。

Faliure Is An Option But Fear Is Not.

タティングレースで失敗したからつて、誰か死ぬわけぢやないし、世の中が終はりを迎へるわけぢやない。
あみもので失敗したからつて、誰かが不幸になるわけぢない。
まあ、編んでる本人はちよつとかなしい思ひをするかもしれないが、でも「不幸」といふほどのことぢやあない。

などと、くぢけさうな気持ちを如何せんといふわけで、こんなことを書いてみた。
とりあへず、今度Celtic Tattingに挑戦するときは、まちつと太い糸を使つてみやうと思ふ。
Lisbeth #40はやつぱりちよつと細すぎるよな、Celtic Tatting には。

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Monday, 28 January 2013

足元と手元

レッグウォーマを仕上げた。

Leg Warmer

一応水通しして整形してみてゐる。ほんたうはなんか適切な太さの丸いものを入れて整形するべきなんだらうが、なにを入れたものか思ひつかなくて、な。
実は、火曜日には編み上がつてゐて、あまりにも寒かつたので、整形とかするまへに使つてゐた。

以前はレッグウォーマなんてそんなにあたたかくはないだらうと思つてゐた、と、前回書いた。
確かに、ものすごくあたたかいといふことはないが、一度履いてしまふと、もう二度と脱げない。それくらゐにはあたたかい。

ところで、最初の片方を編んだときには異様に時間がかかつた。
毛糸はパピーのブリティッシュエロイカだし、針はクロバーの匠だし、いふことはないはずなんだが、なぜだか全然進まない。
ここのところ中細毛糸か、せいぜい合太毛糸しか使つてゐなかつたから、突然太い糸になつて勝手がちがふのかなあ。
さうも思つた、といふことも、前回書いたとほり。
ところが、もう片方を編み始めると、これがあつといふ間に編めてしまつた。
手が馴れたといふわけではない。さほどむづかしい模様ではないからだ。

いろいろ考へて、最初の片方を編んでゐたときは、なんとなく気分が落ち込んでゐたんだな、といふことに思ひ至つた。落ち込んでゐた、といふか、なんだか集中できない状態だつたのだらう。気になること、気がかりなこととかがあつて、な。
さういふ落ち着かない状況のときでも、編んでると落ち着いてくるなんてなこともあるのだが、今回はちがつたやうだ。
気がかりなことが終はつてしまつたら、途端に編めるやうになつた。
世の中、さういふものらしい。

レッグウォーマを編み終はつて即、指無し手袋も編んだ。

Fingerless Mitts

ものはKnittyからSpirogyra。ちよつとねぢり目のないメリヤス編みばかりのPomatomusといつた趣である。

レースのヴェストを編んであまつたパピーのプリンセスアニーがちやうど二玉弱あまつてゐた。
前回指無し手袋を編んだとき、「合太毛糸だつたらだいたい一玉半くらゐあれば編めるんだな」といふことに気がつき、以来、「あのレースのヴェストを編んであまつた毛糸で指無し手袋を」と思つてゐた。

これもさくさく編めた。これならPomatomusも編めるかもしれんな、と思ふくらゐ、あつといふ間に編めた。
あと、RowanのWool Cotton 4Plyがやはり同じくらゐあまつてゐるので、まちつとレースつぽい模様の指無し手袋を編むつもりでゐたのだが。

突然、Cthulhu Mittensといふのを見つけてしまひ、「これは編むしか!」と使命感に燃えてしまつた。
編み込み模様なので、この冬には間に合はないかもしれないが、いまはじめればもしかして、といふので編みはじめてしまつたのだつた。
編んでみて、平日はちよつと編めないかもしれないなあと思つた。平日に編み図とにらめつこしながら編むのはチト厳しい。
そのあひだ、なんだかもつとかんたんなものを編むかもしれない。
といふことは、いづれにしてもCthulhu Mittensは間に合はないといふことか。

ああ、もつとはやいうちにCthulhu Mittensに気づいてゐればなあ。
まあ、これも縁といふことだらう。
出会へてよかつた、と思ふことにしたい。

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Friday, 25 January 2013

川本喜八郎人形ギャラリー 人形劇三国志篇密かなる謀 -連環の計-

三国志演義には、連環の計が二回出てくる。
董卓の専横に耐へかねた司徒・王允がみづからの養女・貂蝉を使つて董卓とその養子・呂布との仲を裂かうとはかつた、美女連環の計がひとつ。
赤壁の戦ひで、船に慣れぬ曹操軍に対し、船同士を鉄の輪でつないだらどうかと龐統が献策したのも連環の計。

ここでいふ連環の計は、前者、すなはち美女連環の計である。

ここにゐる人形は、むかつて左から、李儒、王允、董卓、貂蝉、陳宮、呂布と赤兎である。

李儒は、一番人形劇のときとは異なつてゐる人形かもしれない。
人形劇のときは、小狡い策士といつた感じで、顔の具といふか目とか鼻とか口とかが顔の中央に寄つた印象のある顔だつた。
川本喜八郎人形ギャラリーにゐる李儒は、キツネ顔はキツネ顔だが、なんだかすつきりと薄味で大人つぽくなつてゐる。
顔はみごとな卵形。眉はきはめて薄く、目は切れ長で向かつて右を見てゐて、わづかに右側の口の端がもちあがつてゐるやうに見える。そのため、皮肉げな笑みを浮かべてゐるやうな表情になつてゐる。
しかも着てゐるものが、黒地に渋い色のラメの粉を散らした1970年代のアイドルが着てもをかしかないやうな模様の道服のやうな衣装で、懐手ではないけれど手を見せてゐない。
これで松橋登の聲で喋つたらさぞかし色男の風情のただよふにちがひない。
「間男」。
これが、渋谷の李儒にやつがれがつけた仇名である。

王允も、人形劇のときよりいい感じになつてゐる気がする。
人形劇のときの王允は、臆病な老官僚といつた感じだつた。
川本喜八郎人形ギャラリーの王允は、臆病なところが消へて、老獪な政治家といつた風貌。こちらの方が三国志演義の王允のイメージに近いかもしれない。
衣装は茶色系だが、しぶい色の金糸を使つてゐたりして、ずつしり豪華さう。
人形劇もこの王允で見たかつたな。

董卓も、人形劇のときより立派な出で立ちになつてゐる。
立派でもあり、また、威厳もある。
人形劇の董卓には、どこかだらしない印象があつたが、ここの董卓にはそんな風情は微塵もない。
黒地にさまざまな色合ひの金糸の縫ひ取りのある衣装で、これが重厚さをかもしだしてゐるんだと思ふ。
赤の曹操に対し、黒の董卓といつたところか。
武将の出で立ちだからだらうか、きりつとして見える。
このギャラリーにゐる人形で、一番生き生きしてゐるのは呂布だが、次はおそらくこの董卓だ。
董卓も目の玉の動くカシラなので、向かつて右側を睨むやうに見てゐるのだが、目自体も目の玉自体も小さいのに、いや、むしろ小さいからか、ゆつくり動きながら見ると、まるで目の玉が動いてゐるやうに見える。最初のころは、「すは、こやつ、生きてゐるのか!」とおどろいたものだつたが、どうやら動いてゐるのはやつがれだつたやうだ。
董卓にしてはやうすがよ過ぎる。そんな気もする。

貂蝉は、真正面から見るとそれほどうつくしくは見えない。
といふのも、夏侯淵と一緒で、視線がどこにいつてるのかよくわからないからだ。
だが、左右のあるポイントから斜めに見ると、視線が鼻の先に抜けていくやうに見えて、これが実にうつくしい。見るたびにうつとりしてゐる。
やつがれは勝手に関羽のゐる位置から見た貂蝉が一番きれいだといふことに決めてゐるが、実際はちよつとはづれてゐるやうに思ふ。
なんとなく歌舞伎役者の市川笑三郎を思はせるところがあるため、心の中でひそかに「笑三郎」と呼んでゐる。

陳宮も、李儒に負けず劣らず人形劇のときとは異なつてゐるのだが。
どこがどう異なつてゐるのかを説明するのはチトむづかしい。
川本喜八郎人形ギャラリーにゐる陳宮の方が、目とかがちよつとはなれた感じ、かなあ。人形劇の陳宮は目と目がかなり近寄つてゐたやうな印象がある。
陳宮は、眉の形に特徴があつて、目の玉の動くカシラなものだからやはり向かつて右側に目の玉が寄つてゐる。
衣装は黒地に渋い牡丹色のオリエンタルな模様を散らした柄に、黒地に細く銀色のラメで波の模様を描いた柄を重ねてゐる。なんだかお洒落だ。
貂蝉の衣装は、多分に貂蝉の趣味ではなくて着せられた衣装なのだらうといふ気がする。正直云ふと、きれいだけどそんなにいいとは思はない。
そこいくと、陳宮はお洒落さんな感じがするんだなあ。

以前も書いた、呂布と赤兎。
呂布は、人形劇のときとちがつて、若くてすつきりした男前になつてゐる。人形劇のときの呂布は男臭さのにほふやうな顔をしてゐた。
それが、川本喜八郎人形ギャラリーにゐる呂布は、長かつた顔がすこし短くなつて、顎の割れ目も控へめで、人形劇のときとくらべると、繊細な感じがする。
赤兎にまたがつて、ぢろりと睥睨するやうすは、まるで暴走族のヘッドのやうだ。ちよつと生意気さうな感じも含めて、さう思ふ。
衣装は赤と碧の目立つ色合ひの武将のもの。人形劇のときとそれほど変はつてゐないやうに思ふ。
とにかく、この呂布は生きてゐる。絶対生きている。
それくらゐ生き生きして見えるんだよなあ。

それには赤兎も一役買つてゐる。
赤兎の表情も生きてゐるかのやうだ。おそろしいほどかつと見開かれた目の力強いこと。
人形劇のときよりたてがみとかふさふさしてる、かなあ。
よくよく見るとそれほどたいしたことはないと思ふんだが、ぱつと見たときに今にも動き出しさうな感じがするんだよね。
できれば、関羽を乗せた赤兎も見てみたいものである。
我が家には人形劇のときの関羽と赤兎の巨大なポスターがあつて、これが実にやうすがいいのだが、家族には「魔除け」と云はれてゐるのだつた。それくらゐ迫力があるといふことだと思ひたい。

次回は主人公・玄徳のゐる「人の和」について書くつもり。

川本喜八郎人形ギャラリーの平家物語の人形についてはこちら
同所の人形劇三国志のうち「天の時」の郭嘉・曹操・夏侯淵についてはこちら

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Thursday, 24 January 2013

パイロット石目のインキを変へる

石目
パイロット 石目

パイロットの色彩雫の月夜をおなじパイロットのフォルカンに入れてゐた話を以前書いた。
月夜のインキボトルに塊が発生してゐた、とも書いた。

それで、きれいに洗浄して、結局、日本橋丸善オリジナルのエターナルブルーを入れた、といふ話も先日書いた。
それ以降、えらい好調で、もう毎日が楽しくてしかたがないくらゐに書けるペンに変身した。

実は、パイロットの石目にもおなじ月夜を入れてゐた。
こちらはとくに問題はなかつたのだが、念のため、やはりきれいに洗浄して、やつぱりエターナルブルーを入れてしまつた。

なぜエターナルブルーか、といふと、このインキ、Moleskineに使つても、にぢまないのである。

「にぢまない」と書くと語弊があるかな。
実は、にぢまないと思つてフォルカンに入れたら、フォルカンでMoleskineに書くとにぢむどころの騒ぎではないのである。裏抜けしてしまふのである。
インキフローがいいとダメなのかもしれない。

とりあへず、ペリカントラディショナルの極細にエターナルブルーを入れて使つてゐるが、こちらはMoleskineに書き込んでも裏抜けもしないしにぢみもしない。

やつがれの石目は細字だ。トラディショナルの極細よりよほど細い字が書ける。
これだつたら、Moleskineにもいけるかもしれない。

予想はあたつた。
ばつちりだ。
Moleskineに書き込んでも裏抜けもしなければにぢみもしない。
やつたね。

石目は、すくなくともやつがれの石目は、書いてゐてもまるで実態を感じないペンである。
なんていふのかなあ、まつたく抵抗がない感じ、とでも云はうか。
店頭で細字と中細を二三本ずつ試し書きさせてもらつて、一番抵抗のない感じのペンを選んだ。
石目はペン自体がかなり重たいので、キャップを尻軸にさして使ふと、その重さが唯一の存在感といつた感じで、キャップをつけなければ、ほんたうに、「え、いま、書いてるの?」といふ気さへしてくる。
それに加へて、やつがれはまた筆圧の弱い方なので、いつまでもつるつるつるつる書ける、そんなペンなんだなあ。

そのペンで、ふんはりやはらかいMoleskineに書き込む。
これはねー、楽しいねー。
やめられないねー。

The Hobbit Special Edition のポケットサイズの無地には、元日から外国語日記をつけてゐるのだが、こんなペンがあれば、つづけられさうな、そんな予感がする。

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Wednesday, 23 January 2013

赤壁の戦ひを説明するには

三国志演義を知らない人に赤壁の戦ひの話をする場合、どうすればよいだらうか。

最近読んだ本のことでも書くか、と思つたが、考へてみたら今月読んだのつて、「三国志演義(2)」と「泣き虫弱虫諸葛孔明 第参部」、あとは「白馬の騎士」だけなのだつた。

「白馬の騎士」は、なあ……もしかしたら、サトクリフは児童文学系の方がおもしろいのかも、といふ感じだつた。児童文学以外のサトクリフつて、これと「トリスタンとイズー」しか読んだことがないのでなんともいへないが。
あ、オリヴァー・クロムウェルの描写はおもしろかつた。

とはいへ三国志。
最近このことしか書いてない気がするんだが。
もつと云ふと、人形劇三国志のことばかりな気がするんだが。

「泣き虫弱虫諸葛孔明」はともかく、徳間文庫の「三国志演義」の方は、人形劇三国志の参考書としてひつぱり出してきたから、これもまたしかたのないことではある。
参考書として、必要なところだけ拾ひ読みするつもりが、気がついたら一巻を読み終はつてゐた。それで、「ああ、これはもう読むしかないな」と腹をくくつた、といふのは、こちらの都合である。

今回読んだ演義の二巻も「泣き虫弱虫諸葛孔明 第参部」も、どちらも赤壁の戦ひをfeatureした巻だ。

これまで、三国志演義について書くときには、読み手は一応知つてゐる、といふ前提で書いてゐる。
といふか、気がつくとさうなつてゐた。
これはいけないのではないか。
遅まきながら、さう思つた。

では、どうすればいいのか。

「後漢末に玄徳と関羽と張飛といふ三人の男が義兄弟になつてー、黄巾の乱つていふのを鎮圧しやうつていふ漢の軍に入ることにしてー」
といふところからはじめるか。

いやー、それはないだらう。
それやつたら、どこまでいつても終はらないつて。

「中国のさー、漢のあとに三国時代つてあるぢやん、あれのもとの話でさー、玄徳と曹操と孫堅とがゐてー」
といふ感じで物語の部分は端折るか。

それもありかな、とは思ふが、今回の場合はそこからはじめちやふとやつぱり延々と説明ばかりつづけないとどうしやうもなくなつてしまふ。

それではどうするか。

三国時代のことで、本邦で一番知られてゐることはなんだらう。
さう考へたときに思ひ浮かんだのは、
「卑弥呼が魏に遣ひを送つたこと、かな」
といふことだつた。

さうすると、かうなるだらうか。

「中国のさー、後漢の末に、赤壁の戦ひつてのがあつてさー、それつて、卑弥呼が魏に遣ひを送る三十年くらゐまへの話なんだよねー」

これだつたら、ちよつとは「へー、さうなんだ」つてことにならないかなあ。
ならないかな。
卑弥呼が魏に遣ひを送つたのつていつだよつてのがわかんないと、ダメか。
一応、238年(もしくは239年)と云はれてゐるんだが、そこまで云はないとダメかな。
ダメかも。

つてーか、赤壁の戦ひつて、曹叡んとこに卑弥呼の遣ひの来た、三十年まへの話なのか?

といふのが、結構おどろきだつた。

赤壁の戦ひといへば、三国志演義中最大の見せ場だ。
否が応でももりあがる展開になつてゐる。
映画だつて「レッドクリフ」だし。
でも、その三十年後には、負けた方の国(と、ここではしておかう)によその国から「よしなに」と使者が送られてきたわけだ。

三十年もあれば、それくらゐ世の中は変はつてるよ、といふ見方もできるが。
でも、「赤壁の戦ひ」だぜ。
あんなに大騒ぎして、これか?
大山鳴動して鼠一匹か?

といふわけで、やつぱり赤壁の戦ひつて、そんなたいしたことなかつたのかも、といふところに行きつくわけだが。

なんといふか、その、「実際はどうだつたのかよくわからない」といふのが、三国志演義の成立した所以なのではあるまいか。

たとへば、いはゆる「項羽と劉邦」の話だつて、三国志演義と遜色ないくらゐおもしろいと思ふんだよね。
実際、本邦でも小説になつたりまんが化されたりしてゐるし。
でも、なんていふか、「史記」で十分なんだよなあ。「項羽本紀」とか、ドラマチックと云つてもいい。そこになにかつけくはへたりとかしなくてもいいかなつて、さう思ふ。

三国志は、なー、部分的にしか読んだことないけど、それもだいぶ以前のことだけど、スカスカだからなあ。
そこに、あることないこと(或はないことないこと)つめこみたくなるのは、人情な気がする。

そんなわけで、尾ひれがついていくうちに三国志演義になり、さらに行間を埋めるのが好きな本邦の人間があれこれ創作した。
そんな流れなんぢやないかなあ。

まつたく赤壁の戦ひの説明になつてゐないが、まあ、世の中そんなもんだ。

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Tuesday, 22 January 2013

暴走妄想

Tatting Shuttles

先日、指無し手袋を編んだ話を書いた。

ひとつ編むと、次から次へとおなじものを編みたくなる、悲しい性の持ち主。
それがやつがれである。
しかも、指無し手袋を編むのにちやうどいいくらゐのかさのある余り毛糸が手元にあつたりするではないか。

かく打つてゐる今も自宅用の指無し手袋をしてゐるし、職場では職場用の指無し手袋をはめてゐる。
夏は夏で、ちよつと空調の強いときなんかに使へるのがあるといいなあ、などとも思ふ。

さういへば、タティングレースで手袋といふのもありだよな。
そんな、無謀な考へが脳裡をよぎつた。

レースの手袋といふと、タティングに限らず、エレガントかつ繊細、ときにどこかエロティックな感じのするものである。
etsyなどには、さういふ、「ちよつとしていくところがないよなあ」といふやうなタティングレースの手袋がいくつもあつたりする。

さういふんぢやなくて、もつと普段使ひのやうな、実際に使つてみても、恥づかしい感じのしないやうな、そんなレースの手袋を作れたら、いいなあ。

無謀な考へはとどまるところを知らない。

無謀なので暴走するし、現実のものになることはまづないのだが、ちよつと気分転換にはいいんぢやあるまいか。

手にぴつたりしたものを作るには、やはりクラスプのやうなもので留めるやうなのかなあ、とか。
或はリボンか紐で縛るのかなあ、とか。
でもそんなことしたら、世にあるレースの手袋とあんまりかはらないのぢやあるまいか、とか。

やはり実現化への道は遥かに遠い。

ちなみに現在は以前ちよこつと書いた極細毛糸でちまちまちまちま結んでゐる。

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Monday, 21 January 2013

レッグウォーマを編む

Leg Warmer

生まれてはじめてレッグウォーマを編んでゐる。
毛糸はパピーのブリティッシュエロイカ Col.146。
パターンはKnit PicksのCabled Legwarmers
こんなパターン、いつ入手したんだらう。
ゴム編み部分は9号針、縄編み部分は11号針で編んでゐる。作り目にも11号針を使つた。二目ゴム編みどめは、かぎりなくゆるくやつてみた。

いままでレッグウォーマを編まずに来たのは、

  • 脚の太さが尋常ではないから
  • レッグウォーマなんてそれほどあたたかくないと思ひこんでゐたから
といふのが主な理由である。

脚の太さが尋常ではないので、ちよつとレッグウォーマなんぞして人前には出られないな、と、これはいまでもさう思ふてゐる。実際、外に出るときにレッグウォーマがほしいな、と思ふことはそれほどない。どちらかといふと、くつ下の上に直に履くものがほしいなあといふ気がすることもあるが、でも、だつたらくつ下でいいんぢやない、といふ気がしてゐた。

レッグウォーマだと、足先は覆はないので、そんなにあたたかくないんぢやないか。これもまた、だつたらくつ下を編めばいいんぢやあるまいか。さう思つてゐた。

ところで、躯をあたためるには、「首」とつく部分をあたためるといいといふ。
首はもちろん、手首、足首をあたためると、躯全体があたたまるのらしい。
首には普段ネックウォーマのやうなものをしてゐるし、手首には指無し手袋がある。
だが、足首にだけはなにもない。
くつ下を履いてはゐるけれど、それだけでは耐へ難いほどに家の中が冷えてゐる。

足首をあたためるには、レッグウォーマはどうだらうか。
あるとき突然さうひらめいた。
手元には、ブリティッシュエロイカ。
六玉あつて、それだけあればまちつとべつのものも作れるんではないかといふので、いままでなかなか使へずにきたが、使はないより使つた方がいいんぢやないか。
そんな気がして出してきた。

片方編み終はるのに、一週間ほどかかつてしまつた。
さして複雑な模様といふわけでなし、なんでこんなに時間がかかるのか、ちよつとわからない。
普段より使つてゐる糸も針も太いから、それで取り扱ひに難儀してゐるのかな。

ブリティッシュエロイカは、縄編みするのにはとてもいい気がする。編みやすい。縄編みのセーターとか、編んでみたいなあ。

片方編み上がつたので、早速履いてみた。
履いてゐるのとゐないのとでは、やはり全然ちがふ。
全然ちがふが、でもやつぱり足先はあたたまらないなあ、あたりまへだけど。

はやくもう片方も編み終はりたいのだが、なぜかなかなか進まない。
毎日こつこつ編むしかないか。

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Friday, 18 January 2013

その後のブロガーズトート

入手したのが先月の23日。
結局、ほぼ毎日ブロガーズトートを使つてゐる。
ずいぶん使つてゐるやうな気がしてゐたが、まだ一ヶ月たつてゐないんだな。

使つてしまふ所以は、「これさへ持つて出れば、まあまちがひはないだらう」といふ安心感にあるやうだ。

とりあへず必要なものは全部入つてるしね。
出かけて買物しても、荷物がひとつにまとまるしね。

ほぼなにも入つてゐないやうな状態で持つのもいい感じだ。

出勤時は、社内で持ち歩くものを入れたArtisan&Artistのポシェットと、文房具を入れたデルフォニクスのちいさいポーチを入れてゐる。
休みの日は、ポシェットを出す。
まあ、おほざつぱにはそんな感じで使つてゐる。

すこし前に、入れるものを検討してみて、ブロガーズトートなら、これまで持ち歩くのをあきらめてゐたトラベラーズノートも入ることに思ひいたつた。

さうか、その手があつたか。

ほかのかばんに持ちかへたときには入れられなくなる可能性もあるが、これは考へてみる価値あるなあ。

問題は、たくさん入るので、うつかりものを入れすぎて重たくなつてしまふことだらうか。

ちなみに、「かはいい使ひ方」はできてゐない。

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Thursday, 17 January 2013

Blue Mondayを如何せん

休み明けの気分の落ち込みを避けるには、休みのあひだも平日とおなじ時間に寝起きすること。

さういふ話があつた。

平日はどうしても睡眠が不足しがちなので、土日に補ふことになつてしまふ。
しかし、この三連休に入る前の平日は比較的睡眠時間を確保できてゐた。
それでは、といふことで、連休のあひだは普段とおなじ時間に寝起きするやう心がけてみた。
といふか、心がけなくても、自然と眠たくなり、自然と目が覚めた。

で、火曜日を迎へてみてどうだつたか、といふと……

まあ、有り体に云つて、ダメだつた。
Blue Mondayといふか、Tuesdayといふか、そんな感じ。

つらい人はもつとつらいんだぞ、と云ひきかせてなんとか出勤した。

どうしたら休み明けのdepressedな気分を払拭できるのだらう。

それは、もうせん、最大の関心事だつた。

いろいろ試してもみた。

いまのところ、一番効き目があると思つたのは、休みの日にはつねひごろ行きたいと思つてゐたところに行く、といふ手。

気になつてゐて、でもこれまで行つたことのないところに行く。
或は平日だとチト行き難いが休みの日なら行けさうといふやうなところへ行く。

それがいいといふので、試してみたことがある。

これは、ちよつと効いた。
問題は出無精だといふことか。
出かけることがストレスになることがある。
最善手とは云ひがたい。

さういふ、手法に頼るからいけないのだ、といふ話もある。
休み明けだからといつて、何ほかの日と変はることやある。

そんなわけで、いまも変はらず真つ青な月曜日を迎へてゐるのである。

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Wednesday, 16 January 2013

その後の手帳 2013

正月二日に今年の手帳について書いた。
このとき書いた五冊のうち、Dainel以外はいまのところ使つてゐる。
Dainelはほぼ日手帳と一緒にカヴァにはさんでゐるので、そのうち出番もあるだらう。

上記リンク先に書いた五冊のほかに、ほぼ日手帳カズンを使つてゐるといふ話も書いた。
これもいまのところ職場で使用中。
ペンを選ばなくていい、と書いたが、最近、大橋堂の萬年筆との相性が非常にいいことが判明し、嬉々としてあれこれ書き込んでゐる。
当初予定してゐたスケジューリングはそんなにしてゐなくて、朝その日やるつもりのことを書いて、作業中に思ひついたことを書いて、やつたことを書く。そんな使ひかたをしてゐる。

大橋堂のペンと相性がいい、と書いたが、ときどき意味もなくなにか書きたくなつて、あいてゐるページになんとやらのひとつ覚えの漢詩なんかを書き散らしたりもしてゐる。

さうさう、パイロット色彩雫の月夜を入れてゐたフォルカンをきれいに洗浄して、日本橋丸善オリジナルのエターナルブルーを入れることにしたのだが、これがまたいままでの不調がうそのやうな調子のよさで、これもまたほぼ日手帳カズンとあはせて使つてゐる。

ところで、書き散らす漢詩だが、学校に通つてゐる時分に覚えたものもあるけれど、最近覚えたものもある。
最近覚えた、は、チト語弊があるかな。
多分、覚えたのはやつぱり学校に通つてゐる時分なのだ。
なのだが、そのときにはきちんは覚えなかつた。
おぼろげに覚えてゐて、とくに字の並び順なんかも覚えたりはしてゐなかつた。

以前、「にほんごであそぼ」で杜甫の「春望」をとりあげてゐたことがあつた。
やつがれが学校に行つてゐたころはゆとり教育の走りで、教科書に「春望」は載つてゐなかつた。もしかしたら載つてゐたのかもしれないが、授業ではやらなかつた。
だから覚えてなどゐないのだが、しかし、つばさくんと一緒に「くにやぶれてさんがあり しろはるにしてさうもくふかし」とか、ちやんと全部云へるんだな。
ふしぎなことである。
いつたいどこで覚えたといふのか。
覚えやうとしなくても、自然と覚えてしまふものなのかなあ、「春望」レヴェルになると。

去年、ふと思ひたつて、漢文法基礎といふ本を読んでみた。結構な大部なので、とりあへずひととほり読んだだけで、理解したとはとてもいへない。

その後、原文のついた「史記」とか「論語」とか「孫子」とか「十八史略」とかを読んでゐるうちに、なんとなーくぼんやりと、「ああ、かういふ感じに字が並ぶんだなあ」といふのがわかることがある。

そんなわけで、これまでは「かいぼういつせうひやくびしやうじ りくきゆうのふんたいがんしよくなし」だつたものが、「廻眸一笑百媚生 六宮粉黛無顔色」とわかるやうになつたり……つてたいした例ぢやあないなあ……したわけだ。
さうなると、書いてゐても楽しい。
しかも目の前には相性抜群の手帳とペンとがあつたりする。
抵抗できるか?
できるわけがないのだつた。

そんなわけで、やつがれのほぼ日手帳カズンには、意味もなく超絶有名な漢詩があつちのページにちよこつと、こつちのページにぱらつと書かれてゐたりするのだつた。

……全然手帳の使ひ方ちやふやんか。
ま、いつか。

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Tuesday, 15 January 2013

メビウス編み Experiment

Moebius Shawl

正月二日に編みはじめたメビウスマフラーを編み終はつた。
水通しもして、一応整形のまねごともしてみたが、やはりメビウス編みの整形はむづかしい。どうしてもかさなる部分ができるので、ちよつとづつずらしながら形をととのへる必要があるからだ。

使用した毛糸はリッチモアのパーセントグラデーション。色は207。
針はSize 6 (4mm)。Addiのメタルの輪針だ。
前回も書いたとほり、Cat Bordhi の Moebius Cast On (リンク先動画)で編みはじめた。

このマフラーの特徴は以下の二点。

  • 前半は増やし目、後半は減らし目してゐる
  • 裏表がある

前半と後半で増やしたり減らしたりするのは、さうすると輪の片側がひろがりもう片側がせばまる。すなはち、肩にかけたときにせばまつてゐる方を顔側にしてかぶると、自然と首まはりがしまり、肩にむかつてひろがる形になる。
メビウス編みのマフラーはもともと身につけたときに躯に沿ふやうになつてゐるといふのだが、この片側増やし目もう片側減らし目をすることでより沿ふやうになる。
また、頭からかぶると、顔のまはりに沿ふやうにもできるので、よりあたたかく感じる。

本来は、メビウスの輪には上下などない。
上下があると、身につけるときに一々気にしなければならない。
さういふ欠点もあるが、それをおぎなつてあまりあるよさがこの編み方にはある。

今回、増減目にはFan and Feather Patternの分散増減目を使つてみた。前回編んだヴェストで学んだ方法である。
實は以前もメビウス編みでFan and Feather Patternを使つて増減目も取り入れやうとして、うまくいかなかつたことがある。
今回はrevengeだつたわけだ。

23目1模様ではじめて、まづは増やし目だけして、その後片側は35目1模様もう片側は17目1模様になつた。
いい感じで増減できたと思ふ。
問題は、凸凹が両側でおなじ部分に出るやうにしてしまつたこと。片側で凸ならもう片側は凹、and vice versaといふ風にした方がよかつたんぢやあるまいか。
これは後に試す機会があつたら改良したい点。

もうひとつ、裏表がある、といふのは、長所でもあり短所でもある。
メビウス編みのマフラーとかショールといふはたいてい裏表のない模様で編む。さういふ暗黙の了解がある。

編み方はかんたん。最初の半分を表で編んだら、残りの半分は裏で編めばいい。
メリヤス編みで編むなら、最初の半分はメリヤス編みで、もう半分は裏メリヤス編みで編めばいい。
さうすれば、裏表ができて、うまくかぶれば裏か表か好きな方を出すことができる。場合によつてはどちらも見えるやうにかぶることもできる。

以前、メビウス編みのこの特色を使つて、テクスチャ模様を裏表で編んだことがある。
テクスチャなので、どちらを表に出してもいいし、好みに応じて両方出してもいい。

課題はいくつもあるけれど、ひとまづ試みとしては今回うまくできたのではないかと思ふ。
メビウス編みはずいぶんやつたつもりだつたけれど、まだまだ足りんなあ。

Moebius Shawl

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Monday, 14 January 2013

指なしミトンを編む

Fingerless Mitts

年末年始の休みの最後の日、ホビット 思ひがけない冒険を見てきた。
映画では、ガンダルフやラダガストが指無しミトンをしてゐる。
ガンダルフのは、親指部分は穴があいてゐるだけで、指部分もとくにわかれてはゐない。どうやら編み地ではなく織り地のやうである。
ラダガストのは、親指も四本の指の部分もわかれてゐて、そのまま最後まで編めば手袋になるやうな形。
サルマンは役に立たん。

そんなわけで。
この三連休に指無しミトン(Rav)を編んでみた。

実はこれを打つてゐる今も、指無しミトンをしてゐる。以前Regia Silk Sockで編んだもの。
今回は、ダルマのさらっとウール合太を使つた。ちやうど二玉手元にあつたからだ。
針は、たまたま手元にあつた2.5mm。US 1 1/2、だらうか。くつ下ばかり編んでゐたころ買つたものだらう。すでに記憶にない。

さらつとWool合太は、縄編みにはむかないかもしれない。比較的むつちりとした感触の糸なのでいいかな、と思つたのだが、編んでゐて撚りがほとげがちなんだよな。
ちよつとパピーのグランメリノに似たやうな感じで、一本一本の糸はたいへん細い。グランメリノの方が糸全体はやはらかいかな。

パターンについて云ふと、手首のあたりに縄編みがくる、といふのが選んだ理由。
今使つてゐる指無しミトンは、手の甲に縄編みがきてゐる。これはこれでいいんだけど、手首付近に縄編みがきて、ちよつとしぼれるといふのがいいんぢやないかと思つた。
実際にはめてみると、手首で自然にしぼれてゐるといふのは確かにいい。それで手の甲側も腕側もこれまた自然にひろがつた感じになるしね。

毛糸が半端にあまつてしまつたので、もつと長く編んでもよかつたかなあと思ふが、腕側から編み始めると、そこらへんの調整がむづかしい。別糸で作り目をしておいて、あとから編み足せるやうにしておくといいのかもしれん。
長く編めばよかつた、と思ふのは、以前Dr.パルナサスの鏡を見たときに、Dr.パルナサスとその娘が二の腕まで届くやうな長い指無し手袋をしてゐたからだ。それを見たときに、「うーん、ああいふの、いいなあ」と思つたのだつた。長いのに、さらにちよつと手首あたりがくしゆくしゆつとしてゐて、よさげだつたんだよなあ。

そんなわけで、もしかするとこの先も意味もなく指無し手袋を編んでしまふかもしれない。

この三連休には、メビウス編みのマフラーもしあげてゐる。
それはまた次回の講釈で。

Fingerless Mitts

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Friday, 11 January 2013

川本喜八郎人形ギャラリー 人形劇三国志篇 天の時

先日川本喜八郎人形ギャラリーにゐる平家物語の面々について書いた

やはり人形劇三国志の面々についても書いておかうと思ふ。

何度も書いてゐるが、渋谷ヒカリエにある川本喜八郎人形ギャラリーにゐる人形劇三国志の面々は、人形劇に出てゐたのとは別の人形である。
人形劇に出てゐた面々は、飯田にある川本喜八郎人形美術館にゐるのらしい。
渋谷にゐるのは、川本喜八郎がその晩年に手がけてゐたあらたな人形なのだといふ。

そんなわけで、ひとりひとり人形劇のときとはことなつてゐる。

むかつて左手からいかう。

左手には、「天の時」といふことで、曹操と夏侯淵、郭嘉がゐる。
一番左端にゐるのが郭嘉。
郭嘉は、人形劇のときとそれほど変はらないやうに見受けられる。
人形劇のときは紫色だつた衣装が、照明の加減か茶色つぽく見える。自然光の下で見たら紫なんぢやないかな。いづれにしても、人形劇のときよりは地味な出で立ちだ。紫の方が色気があるよね。「なるほど、放蕩児」つていふかさ。
我が家では、孔明が出て来たときに、「前の人の方がいい男だつたねえ」と云つたものだつた。
「前の人」、すなはち郭嘉のことである。
聲がおなじで、似たやうな役回りだから「前の人」といふ感じだつたのだらう。
渋谷にゐる郭嘉も、当時と変はらずいい男である。
とくにむかつて右側から眺めたときのよさといつたら、もう、惚れ惚れするほど。
眉間に皺がよつてゐるので、見る角度によつてはそれほどでもないこともあるが、まあそれは人間もおなじことだらう。

郭嘉の次が曹操。
曹操は、一番人形劇のときと変はらないやうに見受けられる。
目の玉の動くカシラなので、むかつて右側を睨むやうにしてゐる。
なので、むかつて左から見たときと正面から見たときとは、なんとも狡さうな如何にも策士といつた表情なのだが、右から見ると途端に印象が変はる。右に寄つた目が、睨んでゐるのではなく、流し目をしてゐるやうに見えるのだ。実にやうすがいい。
郭嘉とあはせて、むかつて右側から見つつうつとりすることしきり。
衣装も人形劇のときと同様、赤地に金糸銀糸の縫ひとりのあるきらびやかなものだ。
戦隊ものだつたらヒーロー間違ひなし、だよなあ。

その次が夏侯淵。
この郭嘉・曹操・夏侯淵といふ布陣は、人形劇の官渡の戦ひ前後を思はせる。
兜をかぶり、橙色の戦袍と紺色といふか群青色といふかのしごき、それに胸当て背当ての武将の出で立ち。
ちよつとどこを見てゐるのだかわからない感じなのが惜しまれる。夏侯淵の視点の定まる位置から見ると、これまたまつたく印象が変はるんだけどね。
まだ董卓ののさばつてゐた時期の、夏侯淵自身のキャラクタが定まつてゐないころの感じを思ひ出す。あのころの夏侯淵は、ちよつとドタバタしたところのあるキャラクタ扱ひだつたりしたものな。

全体的なバランスといふところからいくと、この「天の時」の、のちの魏の人々のところが一番まとまつてゐるやうな気がする。まとまつてゐるといふことでいへば、玄徳・関羽・張飛が一番まとまつてゐるんだけど、それはお揃ひの鎧を着てゐるから、だからなあ。
それぞれの出で立ちで、それでゐてきらびやかにバランスがとれてゐる(郭嘉が地味とはいへ。地味でもいい男だからいいのだ)、そんな感じがする。
そして、このあたりを見てゐるときは、当然のやうに頭の中には曹操のテーマが流れてゐるのだつた。

次は「密かなる謀 -連環の計-」の面々なのだが。
それは次回の講釈で。

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Thursday, 10 January 2013

早起きやめた

早起きはやめた。

この年末年始も規則正しい生活を心がけてみた。
ほぼうまくいつたと思ふ。
やればできるものなのだなあ、と、これは去年もおなじやうに思つた。

早起きをやめたのは、以前書いたやうに、芝居の夜の部とかソワレとかを見るのに支障があるからだ。
早起きするためには、夜の部だのソワレだのをあきらめねばならない。

芝居見物をやめることも考へはした。
どうも、やつがれはやつがれの思ふほど芝居を好きではないのではないか。
そんな気がする今日この頃である。

でもまだ行くつもりなので、夜の部を見る前提で早起きはやめて、すこし夜型にシフトした暮らしを送ることにしてみてゐる。

休みのあひだはうまく廻つてゐたけれども、仕事がはじまつたらどうだらう。
それは少々心配だつた。

休みの明けて三日、やはりうまくいかない点ばかりが目立つ。
なんだか、うまく集中できない気がするのだ。

とりあへず帰宅して即食事の支度をして夕食をとつて、休んでゐるあひだに湯を沸かしたりラジオ講座を録音したものを聞いたりして、中温反復浴をした後、残つてゐるラジオ講座があれば聞いて、blogの下書きなどして、寝る。

中温反復浴をする理由は、いくつかある。
躯があたたまるといふのが今の時期重要な点だが、もうひとつ、時間が決まつてゐる、といふのがあげられる。
冬の寒い時期、気がつくと不必要に長い時間湯舟につかつたりしがちだ。
中温反復浴なら、湯につかる時間と外に出てる時間とが決まつてゐる。
それでほかの予定も立てやすくなるし、躯も十分あたたまる、といふ、一石二鳥の入浴法なのだ。

実際に上記のとほりやつてみると、どうもうまいこと集中できない。
食べた直後にラジオ講座を聞いたりするからかなあ。
そんなことを思つたりもしてゐる。
単に慣れないだけかもしれないので、もうしばらくこのままやつてみやうかと思ふ。

夜型シフトにはひとつ問題がある。
電車が遅れたりすると、予定が全部くづれてしまふ、といふことだ。

それは早寝早起きの生活でもさうだらう、といふ気もするが、早寝早起きなら、帰り着いたら即寝ればなんとかなるやうな気もする。
早起きは、自分の意志次第だ。
さう考へると、早起きの方が確実なのかなあ。

などと逡巡しながら、もうしばらくはちよつと夜型の生活をつづけてみやうと思つてゐる。

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Wednesday, 09 January 2013

ほぼ日手帳カズンはじめました

職場でほぼ日手帳カズンを使ひはじめて二日。
まだ二日だが、これがすこぶるいい感じだ。

なにがいいといつて、まづ、ペンを選ばないといふのがいい。

つて、おなじことを毎回書いてゐるが、やつがれにとつては重要な点なのでしかたがない。
先週も書いたやうに、今年はこれまで使つてゐたStar Warsエディションに加へてThe Hobbitエディションも使ひはじめたMoleskine。これはこれで気に入つてゐる。どちらもポケットサイズなのだが、この大きさがいい。持つたときにちやうどいい感じがする。表紙のかたさもいい。とくにThe Hobbitエディションは、まだ見つけられるやうだつたら余分に買つちやはうかな、と思ふくらゐだ。

だが、くどいやうだが、Moleskineはペンを選ぶ。ペンでなければインキだ。
今のところ、The Hobbitエディションには日本橋丸善オリジナルのエターナルブルーを入れたPelican Traditionalを使用してゐる。これだと裏抜けもしないしにぢみもない。といふので、Pilotのフォルカンにこのエターナルブルーを入れて使つてみたらばこは如何に。みんごと裏抜けしてちよつとがつかりだ。フローのいいペンだとダメなんだらうな。
ちなみにこのエターナルブルーだが、個人的に「玄徳ブルー」と呼んでゐる。「人形劇三国志」に出てくる玄徳の身につけてゐる青によく似たところがあるからだ。

おつと、今回はMoleskineの話ではなかつた。

ほぼ日手帳カズンは、実ははじめて出たときに勢ひで買つてしまつたが、うまく使ふことができなかつた。ほぼ日手帳もあはせて買つてゐて、結局ほぼ日手帳しか使はなかつたのだ。
もつたいないので、その後普通のノートとして使つてゐるけれど、せつかくいろいろスケジュール用の機能とかがあるのになーと残念に思つてゐた。

それでほぼ日手帳カズンは買ふのをやめてしまつた。
今年使つてみやうと思つたのは、職場用の手帳としてなら使へるのではないかと思つたからだ。

世の中には、手帳はひとつにまとめるとか、ノートはひとつにまとめるとかいふ意見がある。
この意見はしごくもつともだ。
手帳やノートを複数にすると、どのノートに何を書いたのかわからなくなりがちだからだ。
ひとつにしておけば、職場のことも家でのこともそのノートもしくは手帳を見れば即わかる。

やつがれもさう思つてゐるのだが、気がついてみると、複数手帳を使つてゐることに気がつく。
たとへば、ほぼ日手帳とMoleskineを並行して使つてゐる。
ほぼ日手帳に書ききれないことがあるからだ。
使ひはじめたばかりのころは、ほぼ日手帳の一ページに一日分のことを書き切れた。多分、日々のことを書きとめるのに、あまり馴れてゐなかつたのだらう。あるいはその前に使つてゐたのが三年手帳だつたから、一日にそんなに多くのことを書きとめてなかつたのかもしれない。

それが、書くやうになるとそれだけでは足りなくなつてきた。
最初のうちは、ほぼ日手帳のカヴァにはさめるやうなA6の薄いノートを使つてゐたけれど、気がついたらMoleskineのポケットサイズとかSmythsonのパナマとかQuill Noteとかを使つてゐた。

それで、なにをどこに書いてゐるかわからなくなるか、といふと、案外さうでもないのだつた。

日々の記録はほぼ日手帳、詳細はMoleskine。
さういふ風に自然となつてゐるからだ。
ほぼ日手帳がINDEXの役割をはたしてゐるといつてもいい。

さう書きはしたけれど、まあ、そんなにきつちりINDEXになつてゐるわけではない。
ぼんやりゆるい形でさうなつてゐる、とでもいはうか。

ぢやあもうそれでいいではないか。
そんな風にも思つてゐたのだが、ちよつとスケジューリングとか、ちやんとやつてみたいよね、と思つたのが、ほぼ日手帳カズンを手にした理由である。
あと、職場のことつて最近いろいろうるさいんだよね。情報漏洩がどうとか、さ。
そんなことだつたら、職場に据置の手帳を置いた方がいいんぢやあるまいか。
それでほぼ日手帳カズンにしたわけだ。

使ひはじめてまだ二日だが、すでにひとつ誤算に気がついた。
職場でのスケジューリングつて、やつがれにはあまり必要ないのだ。
やつがれに必要なのは、自宅で過ごす時間のスケジューリング。タイムマネジメント、と云つてもいいかもしれない。

自宅で起きてゐるあひだ、ほんの五時間か六時間ていどをどう使ふか。
それこそやつがれに必要なことだつたのである。

といふわけで、この点については現在試行錯誤を重ねてゐるところ。

最初の予定通り職場でのあれこれも書き込んでゐて、これはいい感じだ。
最初に書いたとほり、気に入つたペンで、あれこれ書き込めるつて最高。
こんな感じでしばらく使つていきたいぞ。

ちなみにここでもほぼ日手帳がゆるい感じでINDEXの役割を果たしつつある。
はからずしてさうなつてるのがいいんだらう。

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Tuesday, 08 January 2013

Needle Tatting 再び

Shuttle tatted motif and Needle tatted one

実はニードルタティングも好きだつたりする。
とか云ひながら、ここ二年ばかり、針を手にすることはなかつた。
理由は、といふと、針をどこにかたづけたか忘れてしまつたから、かな。これが一番の理由であると思ふ。
あとは、最近はシャトルを使つたタティングレースもそんなにしてゐないといふこともある。
すなはち、時間がないといふことだ。

ニードルタティングについては、以前書いてゐる
上の写真も、このときに撮つたもの。
まつたく同じモチーフを、シャトルと針とで作つてみた。
左がシャトルで右が針。
針を使つた方が若干大きくなる。
これも、上記リンク先に書いてあるが、ニードルタティングの場合、リングの芯糸は二重になるので、どうしてもシャトルタティングにくらべて大きくなる傾向がある。
あとは針の太さも影響する。

ニードルタティングの長所については、上記リンク先にいろいろ書いた。
でも、ニードルタティングをする理由については書いてゐない。
シャトルタティングで十分なのに、なぜわざわざ針も使ふのか。

それは、ニードルタティングをするときの手の動きが好きだからだ。
とくに左手で糸をかける、その動作が妙に楽しい。
かういふのつて理屈ぢやないんだよね。

シャトルタティングもさうなんだけど、手の動きが楽しい。
「手の動きが楽しい」はをかしいかな。手を動かしてゐて楽しい、かな。
シャトルタティングの場合は、手と手をあはせるやうにする動きがいい。
ニードルタティングの場合は、左手の指で右手に持つた針に糸をかける動きがいい。
一度はじめると、やみつきになる。
そんな感じだ。

昨日片付けをしてゐて、ニードルタティング用の針を掘り出して、早速久しぶりにやつてみたけど、全然うまくできない。
リハビリが必要かー。
シャトルタティングをしてゐる暇もなかなかないといふのにな。

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Monday, 07 January 2013

メビウス編みの可能性

Moebius Shawl

我ながらすごい写真である。
なにがなんだかわからない。

メビウス編みのマフラーなのだが、ここまで伸びてしまふと、編み地も動かしづらいし、かなり編みづらい。
でもなあ、好きなんだよなあ。
ぐるぐる輪に編むのもいいし、できあがつた状態を想像できないといふのもいい。
え、できあがつた状態を想像できないのが、いいのかつて?
まあ、よくないときもある。ゲージもとりづらいから、結局実際に編んでみるしかない場合も多い。

欠点はたくさんあるものの、といふよりは、あるからこそ、編んでゐておもしろいのかもしれないなあ、といふ気がしてゐる。

今回は、Cat Bordhi の Moebius Cast On (リンク先動画)を使つて編みはじめた。
今回は、といふか、今回も、かな。

メビウス編みにも、いくつか作り目のやり方はある。
普通に指でかける作り目をして普通に次の段を編んだあと輪にして作り目の下から次の段の目を拾ふ方法もあるし、そんなややこしいことをしなくても、普通に作り目をして輪にするときにねぢる方法もある。輪に編まずに平たく編んで仕上げにねぢつて最初と最後をつなげたつていい。Elizabeth Zimmermann の本には平たく編んで最後に輪にする作品が出てゐたりする。

一応、あらたな作り目の仕方を知るたびに試してはみてゐて、結局 Cat Bordhi のやり方に落ち着いてゐる。この方法だと奇数目数が作りづらいといふのと、一段目の最初の半分が編みづらいといふ難点があるが、ほかの方法より楽に編みはじめられる。
作り目の下から目を拾ふ方法は、この下から拾ふのがかなり骨なんだよね。
輪にするときにねぢる方法は、うつかりねぢれぬまま編み進んで、あとで「ねぢれてない!」といふことに気づいたりする。普段輪にするときは、ねぢつちやいけないのにねぢつてしまつたりするつていふのにね。

この前編んだメビウスショールもさうだつたが、今回も最初の半分は増やし目をして後半は減らし目をしてみた。リンク先にも書いてゐるが、かうすると輪つかの片方がひろがり、もう片方がすぼまるので、羽織つたときにいい感じに肩におさまるんだな。上下ができてしまふといふ問題もあるが、まあ、そこは「気にしない」といふ必殺技がある。

もうひとつ、今回ちよつと変へてみたのは、裏表のある編み方にしてみたといふこと。前半は表編み、後半は裏編みをしてみた。かうすると、編み上がつたときにうまいことすると、表だけ、あるいは裏だけを見せるやうに身につけることができる。もちろん両方見せるのも可能。

こんな感じでメビウス編みは編み方によつていろいろ楽しめる。
まあそれは、メビウス編みにかぎつたことぢやないんだけどもね。
まだ試してみたい編み方があるので、今後も「同じものぢやん」とか云はれてもメビウス編みはつづける予定。

しかし、とりあへず、いま編んでゐるこれを仕上げないとな。

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Friday, 04 January 2013

若さの所以と呂奉先

先日、渋谷ヒカリエにある川本喜八郎人形ギャラリーの平家物語の人形については書いた
人形劇三国志についても、と思ひつつ、なかなか筆がすすまないのはなぜだらう。
書きはじめたが最後、書き過ぎてしまふからか。
それはある気がするが、思ひがつのりすぎてなかなか書き出せない、といふのがほんたうのところのやうな気がしてゐる。

といふわけで、ちよつと思ひついたことを書かうと思ふ。

「生き生きしてるな」と思はせる所以はなんだらうか。

たとへば、川本喜八郎人形ギャラリーで、一番生き生きしてゐるのは、呂布である。
これは、おそらく衆目の認めるところだと思ふ。
なぜつて、ほかのお客さんが「生きてるみたい」といふときに目の前にゐるのは呂布だからだ。

なぜ呂布が生き生きして見えるのか。
赤兎に乗つてゐるから、といふことはあるだらう。
その分動きも生まれるし、さらに戟を脇に抱へた感じもいい。

目の動きがいい、といふこともあると思ふ。
ギャラリーでは、目の玉の動く人形は基本的にはよこを睨むやうな感じになつてゐたり、或は張飛のやうにすこしうへを見てゐるやうな感じになつてゐたりする。
呂布もまた目の玉の動く人形で、しかも目自体がすこし大きく、目尻が切れあがつたやうになつてゐるので、目の玉が脇によつてゐるといふだけで、実に表情豊かに見えるのだ。

でも、呂布が生きてゐるやうに見えるのは、それだけが理由ではない。
呂布がほかの人々とちがふ点が、もうひとつだけある。

それは、唇がつやつやしてゐる、といふ点だ。

もうこれが、実にみごとなほどつやつやしてゐるのだ。
そして、この唇のつやを見るたび、「呂布つて、若いなあ」とつくづく思ふ。

唇の色も、自然な赤みをおびてゐるのがいい。
かういふ色の唇を持つのは、ギャラリーにゐる中では孫権くらゐだ。
そして、孫権の唇には呂布のやうなつやがない。
ふむぅ。

以前も何度か書いたが、ギャラリーにゐる三国志の人形は、人形劇に出てゐたものではない。
その晩年に川本喜八郎があらたに作つてゐたものだといふ。

呂布は、人形劇のときは男らしさのにほふやうな大人といつた出で立ちだつたが、ギャラリーにゐるのはもつと幼くすつきりとした感じの男前になつてゐる。

さうしたちがひもいろいろとあるのだが、いつでも目につくのは、その唇、若くはりきつた印象を受けるつやを持つた呂布の唇なのであつた。

そんなわけで、やつがれもまた、冬の乾燥に乾きがちなみづからの唇にリップクリームなど塗る日々なのであつた。

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Thursday, 03 January 2013

「みずいろメガネ」を読む

新年早々、中野翠の「みずいろメガネ」を読んだ。
先月のうちに買つておいて、年が明けたら読まうと思つてゐた。

中野翠は二十八年前からサンデー毎日にコラムを連載してゐて、一年分を毎年年末に一冊の本にまとめて出版してゐる。
それを読んで、一年をふりかへるのが年中行事のやうになつてゐるのは、多分、発売直後の「ウテナさん祝電です」を読んだからだ、といふ話は以前も何度か書いてゐる。
なんといつても、カバー見返しの作者紹介がすごい。

日本のローザ・ルクセンブルク
である。

といふ話も何度か書いてゐるのだが、どうやら、中野翠がさう呼ばれてゐた、といふのをweb上で書いてゐるのはやつがれだけらしい。うーん、「ウテナさん……」が手元にあれば、なあ。あれは高校生のときに学校の図書室から借りた本だつた。

何度もおなじ話をくりかへしてゐて恐縮だが、「ウテナさん……」に先立つこと二三年前に林真理子の「ルンルンを買っておうちに帰ろう」が世に出て、高校の図書室に二冊並んでゐた。多分、同時期に購入したのだと思ふ。
両方とも読んでみて、「ルンルンを買って……」のよさは、わからなかつた。
原宿とか青山とか表参道に対するあこがれ、とか、よくわかんなかつたし。

「ウテナさん……」の、「ブスがきらい」といふ方が強烈で印象に残つた。
よく「ウテナさん……」のこの一文をとつて、「著者はどんなご面相かと思つたら」といふ人がゐるが、この本で云ふところの「ブス」は、顔の雑作ももちろんだが、心も「ブス」になつてしまつた人を指してゐる。なんていふのかな、「ブス」が身にしみてしまつた人、といふのかな。
なんか、わかる。
そして、自分自身も身にしみてしまつてゐることに気づいて、がつかりしたものだつた。

その後も、中野翠は読みつづけてゐる。
いはゆるホームレスに対するシンパシィとか、「いつ自分がさういふ身の上になるともしれぬ」といふ感覚とかが、好ましかつた。
また、「森茉莉は「ドッキリチャンネル」がすばらしい」といふ意見も、当時はまだまだ「枯葉の寝床」とか「恋人たちの森」のやうな作品の評価の方が高かつた森茉莉に納得できずにゐたやつがれにはたまらなかつた。
まあ、いまはどちらかといふと「ドッキリチャンネル」の方が有名だつたりするのかなあ、森茉莉は。

ところで、そんな中野翠ではあるが、ここ数年、特に一昨年あたりから、「うーん、それはさうなのかなあ」と首を傾げるやうなことを書くことが増えてきた。
有り体に云ふと、「それつてあんまり表層的な見方に過ぎるのでは?」と思ふやうなことが増えてきたのだ。

たとへば今回で云ふと、次長課長の河本準一の母親の生活保護に関する話。
あれは、国や自治体が、今後ますます増えるだらう生活保護支給希望者を牽制するためのさはぎだつたんぢやないかといふ気がしてならないのだが、中野翠はさうは取らない。さういふことはちらとも出てこない。「芸人といふ不安定な職にあるとはいへ、一月三十五万もする家に住みながら、母親に生活保護を受けさせてゐるとはなんていふこと」といふやうな論調なのだ。

うーん、さうなのかなあ。

週刊誌のコラムといふかぎられたスペースでは、書けることにもかぎりがある。
それはわかる。
また、読者に受け入れられるやうなものを書かねばならないといふこともあるだらう。

でもなあ。
だつてそんなこと、誰にでも書けるぢやん。

それと、これは以前からさうなのだが、落語に抱く思ひに彼我の差がある。
中野翠は、つらい世間を忘れたくて、落語を聞く、といふ。

やつがれにとつて、落語を聞くのは、つらいことだ。
自分に似た人があまりにもたくさん出てくる。
噺だから、笑へる結果になつてゐたりはするけれども、「ああ、自分もおなじやうにしてしまふんだらうなあ」と思ふことばかりだ。
それが、ときにつらくて仕方のないことがある。
でも、聞く。

「みずいろメガネ」には、いつになく落語の話がおほくて、とくに違和感を覚えたのかもしれない。

その一方で、

私は昔から悲劇を直視することが下手な、心弱い人間なのだった。(p97)
なんてなところには、「うんうん、わかるー」とか思つてしまふんだよなあ。

ひとつだけ、気がかりなのは、今回古今亭志ん朝に関する記述が多いこと。
うしろ向きに過ぎるんぢやないか、過去を美化し過ぎなんぢやないか、と不安になる。
まだまだ元気なところを見せてもらひたい。
読み手のわがままと、わかつてはゐるけれど。

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Wednesday, 02 January 2013

2013 今年の手帳

Notebooks 2013

ひとまづ、今年の手帳はこんな感じでいかうと思つてゐる。
ほぼ日手帳は例年とほり日々の記録用。これはもう7年来さうなので、今年もさうなるだらう。

三年手帳は、ほぼ日手帳を使ひはじめる前に、2冊ほど使つてゐた。つまり6年間か。
日々の記録をほぼ日手帳に書くやうになつて、自然と使はなくなつた。
先日、かたづけをしてゐたら、2001年から2003年のあひだ使つてゐた三年手帳が出てきた。読み返してみたらおもしろかつたし、おなじ手帳をたまたまみつけたので、早速昨日から使つてゐる。
実際におもしろさのわかつてくるのは二年目からなんだけどね。

MoleskineのStar Warsエディションは去年から雑記用に使つてゐるもの。ほぼ日手帳に書ききれなかつたことをつらつら記してゐる。
同Hobbitエディションは、外国語日記用。といふわけで、これも昨日からどうでもいい上、アヤシげな文ともいへぬ文を書きつけてゐる。

Dainelは、はじめて買つた。ほぼ日手帳といつしよにカヴァにはさんで使ふつもり。使ひ勝手がよければ、今後Moleskineの出番はなくなるかもなあ。

ところで、ほぼ日手帳の去年の12月のページには、今年の抱負など書いたりもしてゐる。ものによつては輪郭のぼんやりとした、書き初めに書くやうなことだつたり、ものによつては一応数値目標があつたり、なんだかいい加減なものだ。
「手帳術」を求めてゐる向きにはまつたく参考にならない。
でもまあ、新年を迎へるにあたつて、なにかそれつぽいことを書きたいと思つたら、そんな感じでいいんぢやないかなあ。

たとへば、「一日一善」。
日々、自分で書いた「一日一善」といふ文字を見て、「今日はあんなことをした」「今日はなにもできなかつた」とふりかへる。
それでいいんぢやないかと思ふがね。

さて、10日後、使ひつづけてゐるものはどれかのう。

ちなみにほぼ日手帳カズンは職場用なので、またの機会があればそのときにでも。

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Tuesday, 01 January 2013

2012年12月の読書メーター

2012年12月の読書メーター
読んだ本の数:5冊
読んだページ数:1253ページ
ナイス数:4ナイス

完全チェス読本〈1〉はまってしまった人々―ローマ法王からハンフリー・ボガートまで完全チェス読本〈1〉はまってしまった人々―ローマ法王からハンフリー・ボガートまで感想
有名な人物がたくさん出てくる。作家、音楽家、国王、思想家はほぼわかるが、スポーツ選手になるとお手上げ。ヨーロッパのサッカーの選手とか、知らないからなあ。「ヨハネス・パウルス二世」とか人名に時折「これが一般的なんだつけ」と思ふやうなものがあるのと、「骨片磁器つて……ボーンチャイナのこと?」と思ふやうな箇所がたまーにあるが、全般的に読みやすい。棋譜の見方も覚えられるし、problemsも載つてるし、お得感がある。
読了日:12月14日 著者:マイク フォックス,リチャード ジェイムズ
論語 (中公文庫)論語 (中公文庫)感想
とにかく中学生のころから儒家の思想はかたきであり「こんなものさへなかりせば我が人生はのどけからまし」と思つて生きてきたが、そんなことばかりも云ふてはゐられないので、過去には一度読んだことがある。その時は岩波文庫だつたので、今回すこし調べてこの本を読んでみた。 圭角に富んだ性格のため、「今後すこしでも楽に生きていくために参考になることはないかなあ」と思ひながら読んだ。参考になることはあるけど、参考にできるかどうかは謎。 解説はかなり細かい。好き嫌いはあらう。
読了日:12月18日 著者:孔子,貝塚 茂樹
勉学術勉学術感想
ここ一年で読んだ本で外国語習得について書かれたものの内容はすべて同じ。とりあへず読めるやうになれ、でも日本語もろくにできないやうぢや上達は望めないけどな、といふこと。今から遠回りに思へるやうでも日本語の勉強からはじめるか否か、といふのは大きな問題だなあ、もういい年だから。そして、さういふことを書いてゐる人々にかぎつて論語とか漢籍に対する評価が低いといふ共通点がある。 とりあへず、地図は手元におきたいと思つた。山川の歴史地図とか、いいなあ。
読了日:12月19日 著者:白取 春彦
新訂 孫子 (岩波文庫)新訂 孫子 (岩波文庫)感想
戦争反対の人こそ読むべき書。「想像してごらん」とか云ふてるうちは、戦争のない世界なんてやつてこない。最後の「亡国は復た存すべからず死者は復た生くべからず……」のくだりは、国家元首は須く拳拳服膺すべし。
読了日:12月25日 著者:
こども論語塾―親子で楽しむこども論語塾―親子で楽しむ感想
子どものころから道徳だの説教だのは大の嫌ひ。当時読んでゐたら「けっ」と反感を抱いたことだらう。実際「けっ」とか思ひながら読んだ部分もあるし。最近中公文庫の「論語」を読んだので、理解を深めやうと手にした一冊。ちかごろ世の中で「コンプライアンス」とかいふ日本語にならぬことばの流行るのは、この本に書かれてゐるやうな心の持ちやうが忘れられてゐるせゐなんではないかと思ふ。 三省堂、有隣堂の名前の由来の文が掲載されてゐる。
読了日:12月30日 著者:安岡 定子

読書メーター

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駅伝見ながらtat, tat, tat

New Year Tatting

新年早々朝から酔ふてゐる。
と、書くつもりだつたが、すでに酔ひはさめかけてゐる。
つまらぬのう。

例年、三が日は、一日にニューイヤー駅伝を見て、二日は箱根駅伝往路の進み具合を見つつ初芝居に迎ひ、三日は復路を見るといふ、駅伝三昧の日々をおくる。
とくに駅伝好きといふわけではない。
駅伝を見乍らだと、あみものとかタティングレースが進むんだよね。

といふわけで、上の写真は今日起きてから糸を巻き、ニューイヤー駅伝のスタートにすこし遅れて作りはじめたドイリーである。
はやくもまちがへてゐるところがあるが、このあと挽回する予定。

去年もこんな感じで、駅伝を見乍ら編んでゐた。

駅伝のなにがいいのか。
おそらく、淡々と走つてゐるだけ、といふのがいいんだらうな。
また、とくに應援してゐるチームとか選手のゐるわけではない、といふのもいいのかもしれない。

淡々と、と書いたが、実際にはこまかい駆引きがあつたりはする。
あつたりはするが、四六時中駆引きのあるわけでもない。
さういふメリハリもいいんだらう。

だから、トップ独走の場合は、それほどよくなかつたりする。
まあさういふときも、二位以下が競つてたりするからね。
うまくできてゐる。

これまでタティングにかぎらずレースでは、ドイリーはあまり作つてこなかつた。
使はないからである。
モチーフも同様。
使ひ道がない。
さういふ理由で、それほど作らずにゐた。

でも今年は、いままで避けてきた、「使ひ道のないもの」をもつと手がけていかうかな、と思つてゐる。
タティングレースについては、現在作つてゐるものがあるので、どうなるかわからないが、ま、そんな感じでひとつ。

New Year Tatting

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