その後の手帳 2013
正月二日に今年の手帳について書いた。
このとき書いた五冊のうち、Dainel以外はいまのところ使つてゐる。
Dainelはほぼ日手帳と一緒にカヴァにはさんでゐるので、そのうち出番もあるだらう。
上記リンク先に書いた五冊のほかに、ほぼ日手帳カズンを使つてゐるといふ話も書いた。
これもいまのところ職場で使用中。
ペンを選ばなくていい、と書いたが、最近、大橋堂の萬年筆との相性が非常にいいことが判明し、嬉々としてあれこれ書き込んでゐる。
当初予定してゐたスケジューリングはそんなにしてゐなくて、朝その日やるつもりのことを書いて、作業中に思ひついたことを書いて、やつたことを書く。そんな使ひかたをしてゐる。
大橋堂のペンと相性がいい、と書いたが、ときどき意味もなくなにか書きたくなつて、あいてゐるページになんとやらのひとつ覚えの漢詩なんかを書き散らしたりもしてゐる。
さうさう、パイロット色彩雫の月夜を入れてゐたフォルカンをきれいに洗浄して、日本橋丸善オリジナルのエターナルブルーを入れることにしたのだが、これがまたいままでの不調がうそのやうな調子のよさで、これもまたほぼ日手帳カズンとあはせて使つてゐる。
ところで、書き散らす漢詩だが、学校に通つてゐる時分に覚えたものもあるけれど、最近覚えたものもある。
最近覚えた、は、チト語弊があるかな。
多分、覚えたのはやつぱり学校に通つてゐる時分なのだ。
なのだが、そのときにはきちんは覚えなかつた。
おぼろげに覚えてゐて、とくに字の並び順なんかも覚えたりはしてゐなかつた。
以前、「にほんごであそぼ」で杜甫の「春望」をとりあげてゐたことがあつた。
やつがれが学校に行つてゐたころはゆとり教育の走りで、教科書に「春望」は載つてゐなかつた。もしかしたら載つてゐたのかもしれないが、授業ではやらなかつた。
だから覚えてなどゐないのだが、しかし、つばさくんと一緒に「くにやぶれてさんがあり しろはるにしてさうもくふかし」とか、ちやんと全部云へるんだな。
ふしぎなことである。
いつたいどこで覚えたといふのか。
覚えやうとしなくても、自然と覚えてしまふものなのかなあ、「春望」レヴェルになると。
去年、ふと思ひたつて、漢文法基礎といふ本を読んでみた。結構な大部なので、とりあへずひととほり読んだだけで、理解したとはとてもいへない。
その後、原文のついた「史記」とか「論語」とか「孫子」とか「十八史略」とかを読んでゐるうちに、なんとなーくぼんやりと、「ああ、かういふ感じに字が並ぶんだなあ」といふのがわかることがある。
そんなわけで、これまでは「かいぼういつせうひやくびしやうじ りくきゆうのふんたいがんしよくなし」だつたものが、「廻眸一笑百媚生 六宮粉黛無顔色」とわかるやうになつたり……つてたいした例ぢやあないなあ……したわけだ。
さうなると、書いてゐても楽しい。
しかも目の前には相性抜群の手帳とペンとがあつたりする。
抵抗できるか?
できるわけがないのだつた。
そんなわけで、やつがれのほぼ日手帳カズンには、意味もなく超絶有名な漢詩があつちのページにちよこつと、こつちのページにぱらつと書かれてゐたりするのだつた。
……全然手帳の使ひ方ちやふやんか。
ま、いつか。
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