未だに将棋は指せないが
将棋を見るやうになつたのは、何年かまへに「将棋の日」イヴェントのやうすをTVで見たのがきつかけだつた。
当時の名人(今も名人)と当時の竜王が、「次の一手」戦とやらで対局をしてゐた。
途中、何度か対局を中断して、会場の客に次の一手をあてさせる、といふ趣向なのだが、どこぞの地域のホールの舞台上で、ライトを浴びて衆人環視のなかで、大のおとながふたり、真剣な顔で将棋盤に相対してゐる。こんなに気の散らされる環境もまたないだらうといふやうな状況で、完全に集中してゐる。
大のおとながこんなに真剣になるのだから、これはさぞかしおもしろいものなのだらう。
さう思つて、NHKの将棋講座やNHK杯を見るやうになつた。
これは今でもつづいてゐる。
指せるやうにならう、と思つたこともあつた。
あつたが、将棋はひとりでは指せない。
近所には将棋道場のやうなものはない。
土日に通へるやうな教室もない。
職場のそばで探したが、当時は客先勤務で、時間が自由にならなかつた。
いまでも、将棋は指せない。
結局、たまに詰め将棋を解いたり(解けなかつたり)するくらゐだ。
当時、囲碁は、「ヒカルの碁」連載中といふこともあり、一大ブームを迎へてゐた。
また、ほんとかどうか知らないが、囲碁は企業や政治家にはたらきかけて資金源をひろげてゐる、といふ話もあつた。
将棋は、資金繰りは知らないが、指す人がへつてゐる、といふ話だつた。一時は一千万人と云つてゐた将棋人口も落ち込みつつあつた。
やつがれが将棋を見始めたころの会長は二上達也。
その後会長職を襲つた米長邦雄は、まづ学校を標的に定めたのらしい。「ゆとり教育」を利用して小学校などで将棋を教へる仕組みを作つたりしてゐたやうだ。
この点については、ほかに詳しい人がいくらもあると思ふので、ここでは書かない。
やつがれが知つてゐるのは、夏の将棋祭りなどでも、こども相手の指導対局が増えたな、といふことくらゐ。
どこを見ても相手は「こども」だつた。
さうか、将棋には、自分のやうな年経た入門者は、必要ないんだな。
さう思つてゐた。
最近、小学生のこどものゐる友人に会つた。
こどもが、囲碁や将棋に興味があるといふので、棋院や連盟に電話してみたのだといふ。「こども教室のやうなものはありますか」といふて。
棋院は、即welcomeだつたさうだが、連盟は、現在予約待ち状態なのだ、といふ話だつた。
こども対象の戦略は、ある程度の成功を見たのだらう。
この話を聞いて、「連盟はもつたいないことをしてるな」と思ふたことも事実だが、さりとては、人出と場所がなければどうにもならない。
そんな恨みつらみはあるものの、その一方で、テレビ棋戦の解説ではいろいろ楽しませてもらつた。
当時はまたあつた早指し戦の最終回。将棋を見るやうになつた直後だつたせゐもあるが、あれは忘れられない。
NHK杯なんかも、楽しかつたなぁ。
さういへば将棋番組の余興で、加藤一二三とはさみ将棋を指してゐるのを見たことがある。
あれもおもしろかつたなぁ。
余興と書きはしたものの、まつたく「余興」といつた感じではなかつた。まじめに指してたよなあ。
まさか、この日がこんなに早くくるなんて。
宝井其角ぢやないけれど、「年の瀬や川の流れと人の身は」とつぶやかずにはゐられない。
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