ひとりの持ち時間
昨日、出勤途中の電車で、推定アメリカ人がたうたうと自説を展開してゐるところに出くはした。
隣には推定日本人。
「ガヴァナンス」とかいふてゐるから、最初のうちはcorporate governanceかIT governanceの話かなと思つてゐた。
しばらくすると、今度は日本人の方がおなじやうにたうたうと自説を展開していく。
やうすを見てゐると、片方が3分くらゐ延々と喋り、終るともう片方がおなじくらゐ喋る、といふ感じだつた。駅と駅との間隔からいつて、5分くらゐひとりで語りつづけてゐたこともあつたかもしれない。
相槌とかもほとんどなかつた。
あるいはあつたのかもしれないが、車内の騒音でかき消されてゐた可能性はある。
いづれにしても、やつがれだつたらもつと相槌を打つてるなあ。
間がもたない気がするもの。
こんな会話の仕方は絶えて見ない。
職場について、ミーティングをしてゐるやうすを見ても、ひとりがちよこつと喋ると、ほかの人が喋る。「ああ」とか「うーん」とか、相槌はもつと頻繁だ。
相槌は打つとして、あれくらゐ延々相手に喋つてもらふといふのはいいかもしれないなあ。
ところで、話は sustainable development だつた。
カンボジアには計画が六つだかあつて、フィリピンではどうで、といふやうなことを話してゐた。
sustainable development は、「持続可能な開発」といつたところなのだらうか。
あまり耳にしないなあ。
新聞とか読むと出てくるのかな、と思ひつつ、そんなことはあるまい、といふ気もしてゐる。
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