それでもMoleskineを使ふわけ
昨日、起きて、中村勘三郎の訃報を知つた。
中村屋は、けつしてやつがれ好みの役者といふわけではなかつた。
でも、それがなんだといふのだらう。
中村屋は、個人の好みなんてちいさいものは超えた存在だつた。
思ひつくままに、Moleskineにこれまで見た役、これから見たかつた役をつらつらと書いて、とどまることを知らない。
おそらくこののちも折りにふれ、「ああ、あれ、よかつたよねえ」「これ、次はもつとよくなつてると思つてゐたのにねえ」と、書いてしまふことだらう。
それは、世の中の人がすでにさんざん云ふたり書いたりしてゐることにちがひない。
「おなじことまたいまさらに言はじとにもあらず」とは思へども、「筆にまかせつつあぢきなきすさびにてかつ破り捨つべきものなれば人の見るべきにもあらず」といふことで、ここには記さずにおく。
いい役者だつたよねえ。
なんで過去形なんだらうねえ。
さて。
Moleskineについては、さんざん「ペンを選ぶ」だの「インキを選ぶ」だの書いてきたが。
ではなぜ使つてゐるのか、といふと、一番よく使ふペンとの相性がいいから。
これにつきる気がする。
一番よく使ふペンといふのは、中屋万年筆の細軟。やつがれのは十角軸碧溜ピッコロシガー。これに、プラチナのブルーブラックを入れて使つてゐる。
このペンとMoleskineとの相性が抜群なんだな。
ペン先が紙にあたつたときのふんはりとやはらかい感触。
これが實にたまらない。
これまで使つてきたQuill NoteやSmythsonの手帳にはちよつとない感触だ。
インキはにぢまないし裏抜けもしない。
このペンさへ使つてゐれば、Moleskineにはなにも文句はない。
最近、パイロットキャップレスデシモの極細にパイロットのブルーを入れて使ふやうになつたが、このペンもMoleskineとの相性は悪くない。
極細のせゐもあるかもしれないが、にぢみも裏抜けも気にしなくていいし、なによりキャップレスといふことで、さつと取り出してぱつと書きとめることが可能なんだな。Moleskineの硬い表紙とキャップレス。ちよつと最強かも。
ときどき、「Moleskineと萬年筆をあはせるのはもうやめにして、鉛筆とかにしやうかな」と思はないでもない。あるいはシャープペンシルとか。
でもまあ、しばらくは中屋万年筆のペンとデシモの極細で行くかな。
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