日々是苛々
日々苛々がとまらない。
望むは心穏やかな日々。
そのはずなのだが、気がつくとつまらぬことや日常事に苛ついてゐる。
なぜだらう、と考へて、思ひつくことはいろいろあるけれど、やはり一番大きいのは睡眠不足である、といふことなのではないかと思ひ至る。
記録を確認すると、今年の五月くらゐまでは一ヶ月の平均睡眠時間は四時間台だ。下手すると四時間を切らうとしてゐたりする。
これは、休日に二度寝や昼寝ができなくなつたからといふのが大きいのだが、さうすると平日の平均は三時間台にかぎりなく近いといふことだ。
かつて、仕事の関係でそんな毎日を送つてゐたことがあつた。
朝は始発のバスで出かけて、帰りは終電。当然バスはないからタキシーで帰つてくる。
それから食事をして入浴して寝ると、四時間は眠れないことになる。
最初のうちはそれでまはつてゐた。
小学校中学校と、自宅から歩いて数分のところに通つてゐたやつがれだが、高校はバスと電車を乗り継いで通ふところに入学した。
ここから早起き人生がはじまつた。
とりあへず眠くてもなんでも起きて学校には行ける。
日中は眠たくてたまらないわけだが、まあそれでも行ける。
部活動の朝練習で始発のバスで学校に行くこともあつた。
高校生活三年間で、「眠くてもなんでも起きる」といふ習慣が躯に染み付いたやうだつた。
就職してもそれはつづいてゐて、始発終電の仕事のときもそれが生かされてゐた。
その生活のつづくうち、だんだんつらくなつてきて、ある日、目覚まし時計が鳴つたことにも気づかずに寝てゐたことがある。
気がついたら十時を過ぎてゐたやうに思ふ。
この仕事のあとは、始発で通ふといふことはなくなつたが、限りなく同じやうな帰宅時間の仕事がつづいた。
結果、とにかく宵つぱりになつてしまつた。
なにもなくても夜はいつでも起きてゐてしまふ。
気がつくと三時なんてなこともしばしば。
したがつて朝はなかなか起きられない。
起きてもふらふらだらだらしてしまふ。
これではいけない、と、去年も今年も早起き励行したりしてゐる。
今年はどうやらうまくいつたらしくて、以前ほど夜更かしすることはなくなつた。
でも、程度問題だ。
なんかもう、早起きとかさういふ問題ではない。
とにかく寝る。
少なくとも毎日六時間は寝る。
さうしないと、この苛々や焦燥感、倦怠感は去らないのではあるまいか。
問題は、睡眠時間を増やすといふことは、起きてやりたいことをやる時間を削る、といふことだ。
これがまた苛々の原因となる。
あれがしたいのにできない。
これもしたいのにできない。
さうした気持ちが苛々を生む。
どうしたらいいのだ。
上記のやうに、それなりの期間にわたつてひどく睡眠不足の時期を過ごした。
睡眠不足は長期間にわたると、もう解消できなくなるといふ話があつた。
それはもうどうにもならないとして、これからちやんと寝るやうにしたら、調子よくなつたりするのかなあ。
以前よりは睡眠時間を増やして、でも、あまりやうすは変はらない。
このまま増やしてもいいことはないのではないか。
さう思ふと、今よりも睡眠時間を増やして意味があるのか、といふ気がする。
だが、一ヶ月の平均睡眠時間が五時間台といふのはまだまだ睡眠不足である、といふことなのかもしれない。
心穏やかに過ごしたいだけなんだがなあ。
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