自分で編んでもステキぢやない
先日いやな夢を見た。
職場で、三人ほどがやつがれの担当した仕事についてあれこれ難癖をつけてゐる。
それは上からの指示のもとにおこなつた仕事であつた。
それをあたかもすべてやつがれの裁量でやつたことのやうに云つてゐる。
中の一人が、困つた奴、とでも云ふやうにやつがれの名前を吐き捨てた。
やつがれは、その人物に謝るやう詰め寄つたが、相手はまつたく悪びれない。
キレた。
といふところで目が覚めた。
これとはまつたくちがふが、かつて、やはり上からの指示とほりにした仕事が、トラブルを起こしたことがあつた。
この時は指示が二転三転して、そのたびに「ほんとにこれでいいんですよね」と確認したのだが、その時の上司は「かう変更になつた」といふので、そのとほりにしたのだつた。
二転三転する、といふあたりにイヤな予感はしてゐた。
トラブル発生後、さらに上の上司に呼び出されたりもした。もちろん、やつがれを責めやうといふので呼び出したわけではなくて、事実確認のためだつたのだが、いい気はしないやね。
このときに指示の履歴をとつておいてほんたうによかつたと思つた。
捨てられない性格に拍車がかかつたことは云ふまでもない。
「もうこれは絶対編まないから」といふので、あみものの本を捨ててしまふことがある。
いや、「あつた」といふべきだらうか。
Ravelryに出会つてから、捨てられなくなつてしまつた。
本や編み方と一緒に載つてゐる写真ではまつたくそそらなかつた作品が、「編んでみたのー」といふ他人の写真で見ると、ものすごく魅力的に見えることがあるからだ。
「をかしいなー」と思つて、もとの本の写真を見てみても、全然いいと思へない。
でも、モニタ越しに見るほかの人の編んだ作品はどうだらう。
それも、ある特定の作品がさうといふわけではない。誰か特定の人の編んだものがさうといふのでもない。
その他数多の人々の編んだ作品が、實にすばらしいものに見える。
をかしいなあ。
そんなことつてあるんだらうか。
まあ、実際にあるんだから、世の中さうしたものなのだらう。
そんなわけで、ますます捨てられない性格に拍車がかかつて、結局、もとの写真を見てもあまりそそられない作品とか本とかについては、電子化して本自体は捨てることにした。
……といふか、さうする予定である。
既に何冊かさうして電子化したが、電子化待ちの本が長蛇の列をなしてゐるからだ。
Monkeyもそんなくつ下である。
上記リンク先で見たときは、そんなにいいと思はなかつた。
多分編まないだらうと思つてゐた。
ところがRavelryのprojectsページを見てみたらどうだらう。
なんだか、どれもステキなんですけど……
そんなわけで、編んでゐるわけだ。
縄編みぢやないし、なんだか自分で編むとやつぱりあんましステキぢやないんだが、ま、それなりに楽しいのでよしとしたい。
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