くるっと・まわって・いっかいてん
自分のことを書くのはむづかしい。
さつきまで、「今日は自慢話でも書くか」と思つて、実際に書きはじめてゐた。
「不言実行」に関する話である。
途中まで書いてやめることにした。
ほんたうに「自慢」に終始してゐるやうに見えたからだ。
それつて、恥づかしいぢやん。
……いや、わかつてゐる。
ここで書いてゐることなど、ほとんど自慢話以外のなにものでもないぢやあないか。
それくらゐの認識は自分にもあるんだ。
だいたい、どうもやつがれには「えらそー」なところがあつて、それはもうこどものころからで、幼稚園のときには「えらそー」といふので見知らぬこどもにおなかを蹴られたりとか、小学校のときには担任から注意を受けたりとか、思ひ出してもいろいろあつた。
「えらそー」なのはいけないことだ。
問題は、ぢやあどうすれば「えらそー」ではなくなるのか、わからない、といふことだ。
自分では「えらそー」にしてゐるといふ意識がないからである。
あとになつて、「ああ、ああいふのが「えらそー」つて感じさせるのかなあ」と思ふことはあつても、その場ではない。
どうも物言ひが「えらそー」なのらしく、おなかを蹴られたりしたのもそれらしいのだが、本人に自覚はなかつた。
「えらそー」は身に染みついたやつがれの属性である。
さうとしか思へない。
ある日、「ケロロ軍曹」を見てゐて、エンディングの変はつたことに気がついた。
異様に頭に残る歌だつた。
「えらいひとのはんたいはえらそうなひと」
開眼した。
さうか、やつがれが「えらそー」なのは、「えらくない」からだ。
実態が伴はないのに、言動は「えらい人」のそれだから、「えらそー」なのである。
む、でも、それぢやあ別に「えらそー」でもいいんぢやん?
だつて「えらくない」んだもん。
つまり、さういふことでせう?
といふわけで、これからも「えらそー」路線で生きていきたい。
といふか、自覚がないんだから「生きていきたい」もなにもないもんなんだが。
でも、まあ、自慢話は気がつくかぎりで自重したいぞ。
と、日記には書いておかう。
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