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Friday, 30 November 2012

リズム乱れる

水曜日からにはかに忙しい。
ここのところご無沙汰だつた残業をして、早起きができなくなつてゐる。

早起きができないと、編んだり書いたりラジオ講座聞いたりがとどこほる。

残業のあつたくらゐで生活のリズムがくづれるつてどーゆーことよ。

我ながらさう思ふ。
えうは、bufferのない生活をしてゐるといふことだ。
それはうすうす気がついてゐて、それで日々の行動記録なんぞを取るやうにしてゐるのだが。
いまひとつ理解できなくてね。
どこに無駄があるのか、とか、どこだつたらけづれるのか、とか。

それで来年からほぼ日手帳カズンを使はうと思ふてゐるわけだ。
もう、後手後手ではあるけれど。

おほよその見当はついてはゐるんだがな。
夕食をダラダラ食べるのがいかん、とか。
TVを見なくなつた分、すこしはましになつてるとは思ふが、どうも夕食のあとといふのはのんびりしがちなのだつた。

とりあへず来週からは残業などせぬやうにしたいとは思つてゐる。
bufferのある暮らしについては、まちつと考へねば、な。

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Thursday, 29 November 2012

「人生はうしろ向きに」を読む

人間がうしろ向きにできてゐる。
自分はそれでいいのだが、世間と折り合ひをつけにくいのが難点だ。
世間、といふよりは、「職場」だらうか。

就職してなににおどろいたか、といふと、「会社といふものは永遠に存続していくものである」といふ話に、だ。
新人研修のときにさう云はれた。
永遠に存続するものなんて、この世にあるだらうか。
すでに、このとき、やつがれは会社に見切りをつけてゐたのかもしれない。

しかし、働かなければ口に糊していけぬ。
かくして、うしろ向きに生きつつ常に未来はよいものと考へる職場に通ふ日々である。

そんなとき、「人生はうしろ向きに」といふ本があることを知つた。

こんなやつがれだから、当然この本に求めたのは「うしろ向きに生きつつ、どうやつて世の中と折り合つていくか」といふことだつた。
この点につきた、と云つてもいい。

以前も書いたが、世の中と折り合ふ方法なんぞ、この本には出てこない。
むしろ、「世間なんてどーでもいい」といふやうな雰囲気である。

さうか。うしろ向きに生きていくといふことは、如何に世間と折り合つていくかなんぞといふことに汲々としてゐてはいけないのだ。
そんなことを考へてゐるうちは、うしろ向きに生きてゐるなんぞとは云へない。
きびしいなあ。

著者は最後にこんなことを書いてゐる。

ああ、やっぱり、ぼくの、わたしの、吾輩のうしろ向きな人生は正しかったと安心してもらいたい。

でも、勤めの身であるうちは、さうは云へない気がするなあ。

とか云ひながら、「うしろ向きでいいぢやあないか」と思つてゐることもまた確かなのだが。

ところで、この本で一番好きなのは、2300年に生まれたとして、タイムマシンが発明されたらどうするか、といふくだりである。
たとへば、2000年ごろの歌舞伎に興味をもつたとしやう。

もしタイムマシンがあつたらなあ。二千年に戻って、吉右衛門の舞台を観ることができたらナア

著者はさう書いてゐる。

この「吉右衛門」とかぎつてあるところがね、いいぢやあありませんか。

そんなわけで、今日もこれから職場に向かふ。
うしろ向きに生きつつ、そんなことの許されぬ窮屈なところで一日の大半をすごす。
これがときにひどくつらい。

つらいが、まあ、つらくなつたら過去のことでも思ひだすことにするさ。

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Wednesday, 28 November 2012

気に障る音

最近職場でこまつてゐることがある。
隣の席の人が、蛍光ペンを使つてゐることだ。

それになんのこまることがある、といふ向きもあらう。
そのとほりである。
蛍光ペンは好きではないが、他人が使つてゐる分には全然かまはない。
使つてゐるときの音さへしなければ。

どうも、マジックやフェルトペンのたてる「きゅっ」といふ音が苦手である。
いつから? よくはわからない。
小学生のときなど、みんなで模造紙にあれこれ書いてゐたやうな気がするので、そのころは大丈夫だつたのだらう。あるいはマジックは使つてゐなかつたのか。

そんなこといつて、マジックやフェルトペンを使へば、当然「きゅっ」といふ音をたてるだらう、それは誰が書いてもおなじことだらう。
さういふ向きもあるだらう。
それが、自分で書くとしないんだな。
以前も書いたが、やつがれは筆圧がかなり低い
九月に職場で引越しがあるといふので、段ボール箱に貼るラベルにマジックで運ぶ先などをかなりの数書いたものだが、ただの一度も「きゅっ」といふ音をたてることはなかつた。
なるほど、これがダメな理由のひとつなのかもしれない。
すなはち、耳慣れない音が苦手、といふことなのではあるまいか。

どれくらゐイヤかといふと、くもりガラスを爪でひつかいた時とおなじくらゐイヤだ。
そんな大げさな、といふかもしれないが、くもりガラスをひつかいた音のイヤさについては、そのイヤであるといふ気持ちを周囲と共有できる。
マジックの音はさうではない。
どうやら世の中であの音を嫌つてゐるのはやつがれだけのやうな気がする。

シャープペンシルもときどき「きぃきぃ」いふ音をたてることがある。
これが苦手だ。
0.7mmとか0.9mmとか、すこし太めの芯を使ふやうになつたのはそのせゐかもしれない。

生きにくい世の中だよなあ。

そんなわけで萬年筆を使ふのかもしれないなあ、と思はなくもない。

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Tuesday, 27 November 2012

やる気? なにそれ、おいしいの?

寒い。
手藝といふのは、特に毛糸や毛を扱ふやうな手藝は、暑いともうどうしやうもない。
最近は空調のきいてゐる場合が多いのでなんとかなつたりはするが、自宅ではさほど空調のきいてゐるわけでもない。だいたい自宅で空調を使ふなんてなんといふ贅沢!

それでは綿とか絹とかならいいのか、といふと、やはり手が汗ばんできてどーも。

などといふのはすべて云ひ訳で、人間、やりたかつたらやるのである。
寒いの暑いのと云ふてゐるうちはダメだね。

といふわけで、絶讃ダメダメ状態である。
先週、タティングレースで現在作つてゐるもののことをちよこつと書いた。
あひかはらず同じやうなことをやつてゐる。
どうしやうかと決めずにやつてゐるせゐか、先週の状態からなにも進んでゐない。
それどころか、つなぐ場所を間違へたので、後退してしまつたほどだ。

それでもさしてくぢけてゐないのは、「できるところまでやらう」とか思つてゐるからだらう。
「なにがなんでも仕上げてやらう」とか「いついつまでにここまで作る」とか、前向きな目標をたててゐない。
それがいいんぢやないかなあ。
まあこの先どうなるかわからないけれど。

だいたい、「motivation」だの「やる気」だの、そんなものを求めてゐるからいけない。
そんなものはうまいことやつてくることはないからだ。
「やるか」「はじめるか」、などと構へることなくいつのまにかはじめてゐる。
さういふのが理想だ。

仕事でもおなじことが云へる。
だいたい、「motivationが大事」とか云ふてゐる上司にかぎつて部下のmotivationを下げるのが得意つてどういふことよ。

……愚痴になつてしまつた。

とにかく、「motivation」とか「やる気」とかにたよつてゐるあひだは碌なことがない。
そんな風にだらだらと今日も結ぶつもり。

写真については、さうだなあ、とりあへず、モチーフ同士がつながつたら載せたい。
と、日記には書いておかう。

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Monday, 26 November 2012

自分で編んでもステキぢやない

先日いやな夢を見た。
職場で、三人ほどがやつがれの担当した仕事についてあれこれ難癖をつけてゐる。
それは上からの指示のもとにおこなつた仕事であつた。
それをあたかもすべてやつがれの裁量でやつたことのやうに云つてゐる。
中の一人が、困つた奴、とでも云ふやうにやつがれの名前を吐き捨てた。
やつがれは、その人物に謝るやう詰め寄つたが、相手はまつたく悪びれない。
キレた。

といふところで目が覚めた。

これとはまつたくちがふが、かつて、やはり上からの指示とほりにした仕事が、トラブルを起こしたことがあつた。
この時は指示が二転三転して、そのたびに「ほんとにこれでいいんですよね」と確認したのだが、その時の上司は「かう変更になつた」といふので、そのとほりにしたのだつた。
二転三転する、といふあたりにイヤな予感はしてゐた。

トラブル発生後、さらに上の上司に呼び出されたりもした。もちろん、やつがれを責めやうといふので呼び出したわけではなくて、事実確認のためだつたのだが、いい気はしないやね。
このときに指示の履歴をとつておいてほんたうによかつたと思つた。
捨てられない性格に拍車がかかつたことは云ふまでもない。

「もうこれは絶対編まないから」といふので、あみものの本を捨ててしまふことがある。
いや、「あつた」といふべきだらうか。
Ravelryに出会つてから、捨てられなくなつてしまつた。

本や編み方と一緒に載つてゐる写真ではまつたくそそらなかつた作品が、「編んでみたのー」といふ他人の写真で見ると、ものすごく魅力的に見えることがあるからだ。
「をかしいなー」と思つて、もとの本の写真を見てみても、全然いいと思へない。
でも、モニタ越しに見るほかの人の編んだ作品はどうだらう。
それも、ある特定の作品がさうといふわけではない。誰か特定の人の編んだものがさうといふのでもない。
その他数多の人々の編んだ作品が、實にすばらしいものに見える。

をかしいなあ。
そんなことつてあるんだらうか。

まあ、実際にあるんだから、世の中さうしたものなのだらう。

そんなわけで、ますます捨てられない性格に拍車がかかつて、結局、もとの写真を見てもあまりそそられない作品とか本とかについては、電子化して本自体は捨てることにした。
……といふか、さうする予定である。
既に何冊かさうして電子化したが、電子化待ちの本が長蛇の列をなしてゐるからだ。

Monkeyもそんなくつ下である。
上記リンク先で見たときは、そんなにいいと思はなかつた。
多分編まないだらうと思つてゐた。

ところがRavelryのprojectsページを見てみたらどうだらう。

なんだか、どれもステキなんですけど……

そんなわけで、編んでゐるわけだ。
縄編みぢやないし、なんだか自分で編むとやつぱりあんましステキぢやないんだが、ま、それなりに楽しいのでよしとしたい。

monkey in progress

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Friday, 23 November 2012

Try to Remember

記憶と愛情とは比例しない。

台形の面積の求め方を覚えてゐるからといつて、台形に愛情があると云へるだらうか。
あるいは算数に。
云へないだらう。
もしかしたら、台形のことが好きでたまらなくて、それで(上辺+下辺)×高さ÷2といふ公式を覚えてゐる人もゐるかもしれない。
でもやつがれはちがふ。

以前はそれでも、「好きだから覚えるんだ」と思つてゐた時期がある。
何曜日の何時からはどのチャンネルを見る、とかね。
好きな番組だから覚える。
同じ本屋のカバーがかかつてゐても、どれがどの本かわかる、とか。
これは記憶とはちよつとちがふか。
でも以前はさうだつた。

好きでも覚えられない。
さういふものもある。
たとへば、「菅原伝授手習鑑」の「寺子屋」が、もうせん好きで、好き過ぎるくらゐ好きだ。
文楽で見る前、学校に通つてゐる時分からさんざんくりかへし聞いてゐる。
かたり出しから終はりまで、一言一句、どこをとつても最高だと思つてゐる。

だが、覚えてゐるかといふと、さうでもない。
もちろん、部分部分は覚えてゐるし、聞いてゐると一緒にことばを口にできたりもする。
でも、なにもない状態ではムリだ。

好きでなくても覚える。
好きなのに覚えられない。

なんだか世の中、うまくいかない。

これからますます覚えられなくなるだらう。
覚えてゐたはずのことも忘れていくだらう。

「愛情がなくなつたからだらうか」とか「好きなのになんで覚えられないんだらう」とか思はないやうにしなければ。

さみしいけれど、この世はさうしたものらしいから。

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Thursday, 22 November 2012

ジャムではなくママレードでもなくブランデーで

毎日紅茶を飲むやうになつて、一ヶ月弱。
きつかけは、「銀河英雄伝説@TAKARAZUKA」だつた。

ミュージカル銀英伝の話は聞いてゐて、「でもあのはづかしいセリフをなんとかするには、能とか歌舞伎とか、あるいは宝塚といつた一定の様式を持つたものでないとむづかしいんぢやないかなあ」と常々思つてゐた。
以前も書いたが、あの「銀河声優伝説」と呼ばれたアニメ版でさへ、「いや、そのセリフ、そんな風に云つたらはづかしいだけだから!」と悶絶すること一度ならず、といふ状態なのに。
ましてや現代劇。

とはいへ、宝塚でやるからといつて、心配がないわけではなかつた。
帝国側はいい。
ラインハルトとキルヒアイスは、オスカルとアンドレのヴァリエーションだ。
むしろ、ラインハルトが男である分、男役トップが演じるのに自然(なにをもつて「自然」とするかにもよるが)な感じがするはずだ。

だが同盟はどうだらう。
宝塚なヤン・ウェンリー。
ちよつと想像力が拒否反応を起こすぢやあないか。
宝塚なシェーンコップ、といふのは、ありかもしれないが、男役トップと二番手のヤンとアッテンボローとか、ちよつと想像の外な気がする。

そんな思ひを抱きつつ、先月東京宝塚劇場に足を運んだわけだが。
不安は杞憂に終はつた。
ヤン、悪くないぢやん。
ちやんとヤンぢやん。
宝塚つて、かういふ役も許容するんだ。
何分にも宝塚には不慣れなので、不勉強なところもあり、甚だ失礼極まりないことを書いてゐるかもしれない。
でも、見てさう思つたんだなあ。

ヤンなので、当然劇中紅茶を飲む場面があつて、帰りにその足で紅茶を買つて帰つた。
以来、日々紅茶を飲んでゐる。

紅茶を入れるには、気力が必要だ。
ポットもカップもあたためる。
これは、まあ、コーヒーにしても緑茶にしてもさうだからいい。
問題は、「汲みたての水を沸騰させる」といふことと、「茶葉の後始末」だ。

コーヒーはいい。
我が家はコーヒーといつて、ペーパードリップだし、さもなければインスタントだ。
お湯の温度も、沸騰直後よりはちよつと冷ました方がいいといふ話を聞いた。

緑茶は、茶葉の後始末といふ問題はあるものの、これまた沸騰直後のお茶を使ふことは、あまりない。まあ焙じ茶とか番茶とかはこの限りではないのだが、でも、まあ、気分的には気楽に入れられる。

しかして紅茶である。
汲みたての水を、沸騰させ、しかも沸騰させすぎてはならない。
お湯のぐらぐら云つてゐる状態で、ポットにそそがねばならない。

mustが多過ぎて、気力の落ち込んでるときには、ちよつと飲む気がしないんだよなあ。

しかし、さうして入れたお茶は確かにおいしいし、やみつきになる。
といふわけで、なんとなく今までつづいてきた。

好きなのはブレンドティー。フレイヴァーティーはちよつと苦手。
なにも入れずそのまま飲むのが好きだが、ちよつと多めに入れて渋くなつたところに牛乳を足すのもいい。
そんなわけで、タカナシの低温殺菌牛乳を買つてしまつたりしてゐる。

問題は、帰宅後、濃い紅茶を飲んでしまふところだが。
でもまあ、日本の水ではジョージ・オーウェルの好むやうな「地獄のやうに濃い紅茶」を入れたらとてもではないが渋くて飲めないので、いいかな、と思つてゐる。

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Wednesday, 21 November 2012

悩みは増える

パイロットの万年筆カスタム742のフォルカンを愛用してゐる。
ペン先に特徴のある、やはらかな書き味の大変すばらしいペンだと思つてゐる。

このペンにパイロットの色彩雫の月夜を入れてゐる。
毎日使つてゐる分には問題はなかつたのだが、先月のことだつたらうか、三連休のときにうつかり職場に置き忘れてしまつた。
その後、なんだかちよつと妙なのである。

有り体に云ふと、インキの出が悪くなつた。
なーんか妙だなー、と思ひつつ、とりあへずインキもなくなつたので、一昨日からちよつと念入りに洗浄してゐる。

そんな中、昨日、「夜の果てへの旅」といふblogで、気になるエントリを拝見した。
月夜のインクボトルをかき回していたらなんかぬるっとした塊が発生していた」といふではないか。

イヤーな気がして、やつがれも試してみた。
月夜を取り出して、割り箸でかき回してみたところ。

……ある。
いや、「ゐる」といつた方が正しいだらうか。

なんだかわからないが、ぬるつとした塊が存在する。

むむー。
どうしたら。

どうしたらもなにも、インキを変へるの一手だらう。
でも何を入れたら。

うーん、ちよつと悩むかー。

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Tuesday, 20 November 2012

森茉莉的タティングレース

といふわけで、これはMacBook Airで打つてゐる。
といふても、見てゐる側にはわからないしどうでもいいことだらう。
打つてゐる方もさうで、使つてゐるアプリケーションは変はらないし、違ふことといつたら外見と、ものメチャクチャ速い、といふことだらうか。
さう、めちやくちや速い。
ネット接続は同じはずなのに、体感速度なんだらうか、とにかくものすごく向上してゐる。
机の上では、まだMy Good Old MacBookがメインマシンの位置にあるのだが……どうしやう、机の上のレイアウトを考へないとな。

現在持ち歩いてゐるしかかり中のタティングレースは、パピーニュー2PLYで作つてゐる、うーん、なんだらう、これはなにになるのだらう、といふ感じの作品。
一応、これのタティングレース版を目指してゐるのだが、道は遠い。

Puppy New 2Plyでは以前タティングレースのマフラーを作つてゐる。
以前もblogに書いたりしてゐるが、このときはなんだか異様に忙しい仕事の最中で、「とりあへずモチーフを百枚つながう。一日二枚つなげれば、五十日でできるはず」といふのでせつせと作つてゐた。
毛糸でタティングレースをするといいことは、端糸の始末が楽なこと、と、これも以前書いた。
もけもけした毛がうまいことからみあふので、せつかく始末した糸がするりと抜けるといふ心配をしなくていいんだよね。

今回はモチーフの数は数へてゐない。
飽きるまでつなげて、それで終はりにしやうと思つてゐる。
そんなんでいいのか?
いいんぢやないかな。

今を去ること六年前、「森茉莉的編物」と称して、こんなことを書いてゐる。

さて、森茉莉といふとただの茶色を「仏蘭西色」と呼んで愛ほしみ、色によつてタオルの並べ方をかへ、なにからなにまで好みの色・使ひ心地でないとダメとか、そのくせ家の中は壮絶な状態だつた、とか、そんな話が有名である。
 
かういふ編み物の仕方、いいんぢやないかな。
 
もうとにかく気に入つた毛糸しか使はない。道具などについても同様。
他人が見たらただのつまらない色でも「雅やかな色」として愛で、ひたすらなめらかな編み地の手触りに酔ひ痴れる…………
 
いいんぢやない?

さう思ひつつも、なかなかその心境には至れないのだが。
だつてやつぱり「仕上げなきや」とか「使へるものを作らなきや」つて心のどこかで思ふしね。

そんなわけで、Medallion Shawl in Tatting Lace (今とつさに名付けた)もどこまでできるのかわからないが、まあ、気長にのんびり作りつづける予定。

ちなみに毛糸の色は207。「諸葛亮ブルー」と呼びならはしてゐる色である。
淡い水色に hint of purple が人形劇三国志の孔明の衣装の色を思ひ起こさせるからだ。

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Monday, 19 November 2012

依存症に強迫症

MacBook Airを買つた。
iPhone5を買つたところ、現在使用してゐるMacBookとは同期できなかつたからである。
OSをアップグレードすればいいのだが、MacBookにはたまにきかないキーがある。
以前のMacBookだつたらキーボード部分だけ取り替へればよかつたが、今はどうやらさうもいかないらしい。
そんなわけで、「ぢやあそろそろいい時期でもあるし、買はう」といふことになつたのだつた。

MacBook Airは土曜日に来て、夕べ設定が終了した。
メインマシンとして使へる状態になつたのだが、これはなんとなくMy Good Old MacBookで打つてゐる。
明日からはMacBook Airかなあ。

MacBook Airを持つてみて「あー、これは持ち歩きたくなるよなあ」と思つた。
なんといつても薄い。
持ち歩くつもりはあまりなかつたので、13inchを買つたのだが、それでかうなんだから、11inchを買つてゐたらなにがなんでも持ち歩いてゐたかもしれないな。
問題は、職場に個人のPCを持ち込んではいけない、といふことか。

ところで、今もせつせと「Brave New Knits」に掲載されてゐるLubov Scarfを編んでゐる。
中央のダイヤモンド柄部分は終はつて、現在最後のレース模様の真ん中くらゐまできたところだ。
あとちよつとで編み終はる。
ながーいマフラーなので、整形に困つてゐるのだが……どうしやう。整形しないでそのまま使つちやはうかな。それでもいいやうな気もしないではない。

幅も広いマフラーなので、ちよつとしたストールのやうにも使へさうだ。
え、整形もしないのに、幅が広いつてどういふことよつて?
そこは、まあ、のばして使へばいいのではないか、と。
ダメかな。

さて。
あとちよつとで編み終はる。
これが憂鬱でならない。
次に編むものが決まつてゐないからだ。

これつて、依存症だよな。
なにか編んでゐないと落ち着かないのだ。
趣味といふよりは、依存に近い。

さう考へると、常にタティングレースのしかかり中を持ち歩いてゐないと不安だつたりするのも、立派な依存症なのではないかといふ気がしてくる。
「気がしてくる」ぢやなくて、さうだよな。

たまにはあみものフリー、タティングレースフリーな生活を送つてみやうか。
そんなこと考へついても、脳内で即却下される。

なにか編んでゐなければ。
もしかすると、これは強迫に似たやうなものなのかもしれない。

……と、深刻に考へてゐるわけではなくて、「それでもいいぢやん」と思つてゐる。
他人に迷惑かけるわけぢやないし。
死ぬわけでもない。
やつがれがあみもの依存症だからつて、戦争が起こるわけでもないし、大恐慌が発生するわけでもない。

Kein Problem.
世はなべてこともなし。
そんな感じ。

Lubov Scarfを編み始める前にも、「今は縄編みな気分」とかいふやうなことを書いてゐる。
縄編みな気分で、しかし、編むものはきまつてゐない。
くつ下かなあ、と思つてゐたけれど、Knotty Glovesもいいかなあと思つてゐる。
これ、ずつと編みたいリストに入つたまんまなんだよね。
毛糸は似たやうなものが手元にあるので、それを使ふことまで決まつてゐて、着手できてゐない。
これはリストにチェックを入れるチャンスなのではあるまいか。

ま、その前にLubov Scarfを編み終へないとな。

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Friday, 16 November 2012

くるっと・まわって・いっかいてん

自分のことを書くのはむづかしい。

さつきまで、「今日は自慢話でも書くか」と思つて、実際に書きはじめてゐた。
「不言実行」に関する話である。

途中まで書いてやめることにした。
ほんたうに「自慢」に終始してゐるやうに見えたからだ。
それつて、恥づかしいぢやん。

……いや、わかつてゐる。
ここで書いてゐることなど、ほとんど自慢話以外のなにものでもないぢやあないか。
それくらゐの認識は自分にもあるんだ。
だいたい、どうもやつがれには「えらそー」なところがあつて、それはもうこどものころからで、幼稚園のときには「えらそー」といふので見知らぬこどもにおなかを蹴られたりとか、小学校のときには担任から注意を受けたりとか、思ひ出してもいろいろあつた。

「えらそー」なのはいけないことだ。
問題は、ぢやあどうすれば「えらそー」ではなくなるのか、わからない、といふことだ。
自分では「えらそー」にしてゐるといふ意識がないからである。
あとになつて、「ああ、ああいふのが「えらそー」つて感じさせるのかなあ」と思ふことはあつても、その場ではない。
どうも物言ひが「えらそー」なのらしく、おなかを蹴られたりしたのもそれらしいのだが、本人に自覚はなかつた。

「えらそー」は身に染みついたやつがれの属性である。
さうとしか思へない。

ある日、「ケロロ軍曹」を見てゐて、エンディングの変はつたことに気がついた。
異様に頭に残る歌だつた。
「えらいひとのはんたいはえらそうなひと」

開眼した。
さうか、やつがれが「えらそー」なのは、「えらくない」からだ。
実態が伴はないのに、言動は「えらい人」のそれだから、「えらそー」なのである。

む、でも、それぢやあ別に「えらそー」でもいいんぢやん?
だつて「えらくない」んだもん。
つまり、さういふことでせう?

といふわけで、これからも「えらそー」路線で生きていきたい。
といふか、自覚がないんだから「生きていきたい」もなにもないもんなんだが。

でも、まあ、自慢話は気がつくかぎりで自重したいぞ。
と、日記には書いておかう。

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Thursday, 15 November 2012

三国志演義で学ぶ漢文

先日ちらと書いた三国志で攻略!センター漢文12」、例によつて本屋の学習参考書の棚を眺めてゐるところで見つけた。

「西遊記」とか「水滸伝」とかないかなー、と思つて見てみたが、見つけられなかつた。

とりあへず買ふてみて、中身は正史ではなく演義から取られてゐることを知つた。
この本によると、実際の入試問題には「三国志演義」から出題された例があるのだといふ。
へー。

本は二部にわかれてゐて、第一部は演義からの抜粋と解説、第二部は重要な語句形50の解説といふかたち。

第一部は演義からは11カ所引用があつて、最後のひとつはなぜか杜甫の「春望」。
内容は以下の通り。本にある通りではなく、こちらで「こんな内容」といふことを書いてゐる。


  1. 黄巾の乱
  2. 桃園の誓ひ
  3. 英雄を論ずる
  4. 官渡の戦ひ
  5. 三顧の礼
  6. 軍師・孔明
  7. 長坂の戦ひ 趙雲
  8. 短歌行
  9. 赤壁の戦ひ
  10. 白帝城
  11. 出師の表

演義、といふことで、授業などで読むものより若干格調に劣るやうな気はする。
もとが講談だし、授業で読むものより圧倒的に新しいしね。
それに、引用箇所がなんとなくビミョーな感じのするものもある。
たとへば官渡の戦ひは、張郃・高覧の投降する場面だつたりする。
虚辞のはたらきを学ぶといふ目的がある以上、仕方のない選択なのかもしれないが、「えー、官渡の戦ひでここかよー」といふ思ひは否めない。

でもまあ全体的に見れば、よくぞここをば選びたり、といつたところかのう。

趙雲が「肝脳地にまみれるといへども」なんぞと大げさなことを云ふ所以もわかつたしね。これは白帝城で孔明も云ふてゐる。典拠があるのかー。説苑ださうである。
あと、「出師の表」の文章構成とかもおもしろいかも。

第一部には毎回ミニテストがつくんだけど、管鮑の交関係から二三点出てゐて、読めなくても知つてると答へがわかつちやふんだなー、これが。
まあ、テストなんてそんなもの?

第二部の方も例文はできるだけ演義からひいてゐるやうだが、「いや、なにもそれでなくても……」といふ気がしないでもないものがあつたりする。「未知虚実」とか、演義でなくても……と思はないか?

と、いろいろ云ひたいことはあるものの、好きなものを読んで身につくことがあるのであれば、いいんぢやないかなあ。
受験生のころにあればよかつたのになあ。

でもまあ、やつがれのころから、漢文は重要視されてゐなかつたがね。

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Wednesday, 14 November 2012

今宵のMoleskineはにぢむのう……

Rhodia WebNotebookを使ひ終はつて、MOLESKINEのSTAR WARSのポケットサイズ無地を使ふやうになつてほぼ一週間。

やはりペンを選ぶねえ……

ペン、といふよりは、インキ、だらうか。
現在Moleskineで使へる手持のペンは、プラチナ萬年筆のブルーブラックを入れた中屋万年筆の細軟、パイロットのブルーを入れたキャップレスデシモの極細、セーラー万年筆のスカイブルーを入れたクリアーキャンディの三本。
パイロットの色彩雫とかセーラーのスカイハイ、モンブランのミステリーブラックやロイヤルブルーを入れたペンは全滅。
わづかに、ヤンセンインクのショパンを入れたPRERAがなんとかなつてゐるかも。

全滅といつて、やつがれは筆圧の低い方でもあるし、さらさらつと書けば、まあ裏抜けは最低限に抑へられないこともないのだが、にぢみは如何ともし難い。

むー。選択をあやまつたかのう……

RhodiaのWebNotebookを使つてゐるときと変はつたのは、その場でノートを取り出してメモを取るやうになつたこと、だらうか。
これはいい点だと思ふ。
表紙がかたいので立つた状態でも書きやすい。キャップレスを併用することで、さつと取り出してぱつと書ける。
WebNotebookとキャップレスの極細はあまり相性がよくなかつた。多分、インキフローのしぶいペンなのに、インキを吸ひ込みやすい紙だつたからなんぢやないかと思つてゐる。あと、WebNotebookの書く時にちよつと摩擦の多い感じが苦手だつた、といふのもあるかも。

萬年筆はやめてボールペンやえんぴつを使へばいいぢやないか、といふ話もあるかもしれないが、やはり萬年筆を使ひたいんだよね。理屈でなく。

やつぱりSmythsonに戻るかのう。とりあへず在庫はあるし。
などと云ひながら、Moleskineのノートも在庫が結構あるのだつた。

無地のノートに極細とか細字とかで書いてゐるので、ちんまりした字がびつしり並んでゐるやうな状態。まちつと大きい字を書きたいんだがなあ。
そんなわけで、このノートは長く使ふやうだらうなあと思つてゐる。
罫線入りは罫線入りで好きなんだけど、無地も好きなんだよなあ。字しか書かないくせに。

とりあへず、裏抜けとかにぢみとかはあまり気にせずにがんがん使つていくかな、と思つてゐる。

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Tuesday, 13 November 2012

Long, Long, Long

もうこれ以上くつ下とかマフラーとかいらないはずなのだが。
今年もマフラーを編みはじめてしまつた。

それが昨日もちよこつと書いた、「Brave New Knits」に掲載されてゐるLubov Scarfである。
デザイナは、Kathy Veeza。あみものblog界ではGrumperinaといつた方がとほりがよいかもしれない。
Odessaとか、いくつも編んだなあ。

Lubov Scarfはかなり長いマフラーだ。両端は奇数段ごとに三目一度をする模様、中央部は三種類のダイヤモンド柄。
毛糸は九月にユニオン・ウールで購入したROWAN Wool Cotton 4Ply。

Lubov Scarf in Progress

日曜日くらゐに真ん中まできたんだつたかな。今は折り返して後半戦に入つてゐる。全494段の、現在300段ちよいくらゐかな。
写真でも首にぐるりと巻いて、両端が長く垂れてゐる。
それくらゐ長い。

さういへば、今年の流行つてどうなの。長いマフラーとか、INなのかなあ。
流行はどうでもいいとは思へども、気にならないといへば嘘になる。
ここ二三年は、cowlといふか、スヌードみたやうなのが流行つてゐて、その前からそんなのを毎冬量産してゐたやつがれはなんだか流行に乗つてゐるやうでチトはづかしかつたものだつた。
さう、流行には乗つてゐてもゐなくても、なんとなくはづかしいものである。
めんどくさいねえ。

目指してゐたのは、Clapotisなのかもしれない。
ちよつとフランス風な感じ、とでも云ふか。
マフラーとしても使へるが、ちよつと小さいストールみたやうな感じ、といふか。

だつたらClapotisを編めばよかつたやうな気もするが、一度編んだことあるし、今の自分の状態からいつて、目数リングをつけかへながら編み進むやうなものを編めるとは思へなかつた。
あー、でもなんとなくClapotisはもう一度編みたいやうな気もするな。前回は極細毛糸といふか合細毛糸で編んだので、今度編むとしたらまちつと太い糸で編んでみたい。

Wool Cotton 4Plyを使ふのははじめてだ。
マフラーを編むことに、最初は躊躇した。
Wool Cottonは洗へなかつた記憶があつたからだ。
確かラベルに「Do not soak」つて書いてあつたやうな気がする。
Wool Cottonでマフラーを編んだことがあるが、おそるおそる洗つてゐた。

ところがWool Cotton 4Plyを見てみたらどうだらう。
「Machine Washable」になつてゐるではないか。
あれ、Wool Cottonもさうだつたつけか。

この事実には編み初めてだいぶたつてから気がついた。
なんだ、ぢやあ気兼ねすることなく使へるぢやん。

といふわけで、早く使ひたいのだが、前述のとほり、まだ中間地点を折り返したばかり。
完成はかなり先のことになりさうだ。
だいたい、この長さのものをどうやつて整形したものだらう。

そんなことを考へつつ、せつせとマフラーを編んでゐる。

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Monday, 12 November 2012

Sock Knitting Mojo is Back!

一度編み出すととまらないのがくつ下である。

といふのは、まあ、やつがれ個人の事情なのだけれども、そんなわけで、先々週もくつ下を編んでゐた。

まづ最初に毛糸を決めた。
Austermann StepのCol.148。茶色と緑の段染めくつ下毛糸である。
これに合ふくつ下、と、いろいろ悩んで決めたのが、Mojoだ。

できあがつたのがこれ。
どちらも同じくつ下である。普通の状態と伸ばした状態。
かういふのが楽しいんだよねえ。

mojo

Mojoは以前から編みたいと思つてゐた。
左右非対称、すなはちアシンメトリカルなデザインがいいし、なにより「mojo」といふ名前がいい。
例によつて英辞郎でははかばかしい訳語が出てこないが、敢て訳すなら「中毒」もつといふと「麻薬中毒」だらう。

ときおり、「My knitting mojo is back!」なんぞといふ表現を見かけるが、まあ、そんなやうな意味だ。
今のやつがれの場合は、「My sock-knitting mojo is back!」といつたところだらう。
なにが楽しいといつて、DPNすなはち四本針とか五本針でちまちまちまちま輪つかに編んでいくのがたまらなく楽しい。
「さうだよ、これが好きだつたんだよ」といふ感じ。

やつがれは決して速編みではないのだが、一本の針にかかつてゐる目数が多分ちやうどいいんだらう、くつ下編みだとなんだか気持ちよく編み進めることができる。

などと書きながら、Mojoにはかなり苦戦をした。

まづ何に苦戦したかといふと、裏メリヤス編みだ。
おそらく、糸を右手にかけて編む人にはわかりづらいことなのだらうとは思ふが、左手に糸をかけて編む場合、(表)メリヤス編みと裏メリヤス編みの手の動きはかなりことなる。手の動きがことなるといふことは、テンションなども変はつてくるわけで、これを同じやうにするといふのが實にむづかしい。

むづかしいと思ふのは、「自分は不器用ですから」だからなのかもしれない。
世の編み人・ニッターは、「そんなのあたりまへぢやない」といふ感じでかんたんにこなしてしまふことなのかもしれない。
残念ながら、やつがれはさうではないのだつた。
裏メリヤス編みにはこれまでもいろいろ苦労してきた。
編み方を変へてみたりね。
結局、たたさんとたた夫さんのフランス式裏編み徹底図解に戻つていくのだけれども、ついつい左手の人差し指を動かしてしまつて腱鞘炎になりかけることもしばしば。

……精進せねば。

くつ下毛糸にはちよつとすべりやすい糸があつて、今回の毛糸がまさにそれで、そのせゐで裏メリヤス編みが編みづらかつた、といふのもあると思ふ。

もうひとつ苦戦したのが、Afterthought Heelだ。
Afterthought Heelでは、かかとは後から編む。
通常は履き口から編むにしてもつま先から編むにしても、かかとは編み進みながら仕上げていくのだが、今回はかかとを編む部分を別糸で編んでおいて、あとからその糸をほどいてかかとを編む方法をとつた。といふか、編み方にさうしろと書いてあつた。

Afterthought Heelのいい点は、のちのちかかとの補修がやりやすいことだらう。
あとから編み足してゐるので、編み進みながら編んだかかとよりもほどいて編みなほすのが容易だらうと思はれる。
かかとはくつ下の中でも補修の多いところだから、これは重要な点だ。
また、あとから編み足すので、「はっ、毛糸が足りない!」といふときに、かかとだけ別の毛糸で編むかも可能。

そんなにいいもののはずなのに、なにに苦労したのかといふと、仮に編んでおいた別糸をほどいてその部分の目を拾ふのに異様に四苦八苦したのである。
最初のかかとにはそれだけで30分くらゐかかつたんぢやあるまいか。それは大げさか。
あとで目を拾ふことを考へて、若干太めの糸で編んでおいたのにもかかはらずこの体たらくだ。

もう二度とAfterthought Heelは使はん。

さう思ひもしたのだが。
でも、仕上がりは悪くないなあ。
最後はメリヤスはぎでしめくくるのだが、メリヤスはぎ、嫌ひぢやないしね。
バイアスになる編み地の場合は、Afterthought Heelもいいんぢやないかな。

Mojoはつま先からMagic Loop Cast-onで編み始める。
履き口が二目ゴム編みの方は二目ゴム編み止めしてみたが、ガーター編みの方はこの伏せ止めを使つてみた。伸縮性は抜群。
二目ゴム編み止めもメリヤスはぎと同じくらゐ久しぶりで、ちよつと手間取つてしまつた。

といふわけであらためて、なにもしない、くしやくしやした感じのmojoと、

Mojo

ソックブロッカを履かせてみたmojo。

mojo

さて、次なるくつ下は何にするか。
ここのところずつと縄編みをしたくて仕方がない。縄編みのくつ下にするかなあ。

などと考へてゐたのに、今は「Brave New Knits」からLubov Scarfを編んでゐたりはするのだが。
それはまた別の話。

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Friday, 09 November 2012

ペン先に賭ける

近頃、パイロットのELABOの極細が、まことに使ひやすくなつてきた。
ELABOが(再)発売された直後に買ひ求めたものだ。
ELABOのペン先は御存知のとほり、特殊な形をしてをり、筆のやうに書けるやはらかい書き味が特徴である。

何度か試し書きをさせてもらつて、中細か精々細字がよからうな、と思つてゐた。
これは、中屋万年筆のときもさうだつた。
中細軟と細軟を試し書きして、中細軟の方がより筆つぽい感じがして書き味がやはらかかつたからだ。

なぜ極細を買つてしまつたかといふと、極細で軟、といふのがめづらしかつたからだ。
現在極細のペンとして、セーラー万年筆の細美研ぎとパイロットのパイロットのキャップレスデシモとを使つてゐるが、どちらも書き味はかたい。
細字のペン先といふのはさうしたものだらうといふ先入観があつた。

それがELABOである。
やはらかい極細。
興味あるでせう。

当時、店頭で試し書きさせてもらつた感じだと、ELABOの極細はELABOらしさのないかたい書き味だつた。
新製品だけに、試し書きをした人の数も少なかつたからだらう。
キャップレスデシモの極細は、店頭で試し書きさせてもらつたペンだとさほどカリカリした感じはしなかつた。

やつがれは賭けてみた。
この先使ひつづけたら、ELABOらしい、やはらかい書き味の極細ペンになるのではあるまいか。
見えぬ未来に賭けたのだつた。

そして、どうやらこの賭けには勝つたやうだ。

賭け、と書いたのは、意識して「やはらかくしやう」「やつがれ向きのペン先に育てやう」と考へて使ひつづけてきたわけではないからだ。
世の中には、「かういふペン先にしやう」と使ひつづけてペン先を育てる人もゐるといふが、残念ながらやつがれにはさういふ能力はない。
ただひたすら日々ちよこちよこくだらぬことを書き連ねて、ある日「わっ!」と驚く日がやつてくる。
CUSTOM 823がさうだつたし、このELABOもさうだ。
「かうなるだらう」と信じることさへしない。
なんとも愚かしいことだ。

以前、筆圧鑑定のこと書いたが、それによるとやつがれに向いてゐるのは細めでやはらかいペン先なのらしい。
そんなわけでまたお気に入りのペンが増えてしまつた。
もつと書かねばなー。

これまでいろいろあつたRhodiaのWebnotebookを、昨日たうとう使ひきつた。
今日からMoleskineのPlain Notebookを使ふつもり。Star Warsエディションだ。
ELABOとMoleskineを一緒に使つたことはないけれど、相性がいいといいなあ。

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Thursday, 08 November 2012

行間を埋めたい症候群

先日、角川ソフィア文庫の「ビギナーズ・クラシックス 中国の古典」から「史記」を読んだ。
その前に「漢文法基礎」を読んでゐて、なにか実践になるやうなものを読みたいと思つた。
なるべく白文に近い文章が掲載されてゐる本、といふことで、選んだのが「ビギナーズ・クラシックス 中国の古典」だつた。返り点とか一二点とかだけの、カナはふられてゐない文章が書き下し文の次に掲載されてゐる。

ちよつと話はそれるかもしれないが、白文に近い文章を掲載してゐる漢文の本がほしかつたら、学習参考書が一番確実でお手頃だ。
実際、以前はそれでなんとかなつた。
学習参考書なら地元の小さい本屋でも扱つてゐる。
しかし、「漢文法基礎」にも書かれてゐるが、大学入試に漢文を出題する大学が減り、センター入試くらゐでしかお目にかかれないやうな状況では、選択肢もまた大変に少ないのであつた。
とにかく構文を覚えさせる参考書ばかりが目につく。長文を読ませるやうなものは以前に比べて減つてゐるやうに思ふ。
まあでも、「三国志で攻略!センター漢文12」なんてな本もあつたりするので、あなどれない。この本についてはまた機会をまうけて書きたいと思ふ。

「ビギナーズ・クラシックス 中国の古典」では紙幅が限られてゐるので、「史記」からは伍子胥のくだり、戦国四君のうち魏公子のくだり、そして項羽と劉邦のくだりが抜粋で掲載されてゐる。

これがねえ、読んでて、出てくる人出てくる人、他人のやうに思へないんだねえ。

他人のやうに思へない、といふのはチト違ふかな。
昔の人のやうには思へない。
紀元前とか、「いつの話だよ!」といふくらゐ昔の話なのに、なんといふか、TVでドキュメンタリを見てゐるかのやうな感じがしてくる。
所々にはさまれてゐるコラムもいいのかもしれない。

特に項羽と劉邦のくだりのおもしろさといつたら、ねえ。
なんでこのくだりがもつと物語とか映画とかに展開していかないのかと不思議に思はれるほどだ。

でもそれつて、「史記」で十分おもしろいからなんだらうなあ、きつと。

三国志演義」がああなつたのは、やはり正史の「三国志」がスカスカだからなんぢやないかな。
陳寿が、おそらくはいろいろ政治的な背景があつたりして、禁欲的(とはチトちがふか)に書いたせゐで、裴松之が「きぃ!」とばかりに補注をし(「きぃ!」は無論やつがれの偏見である)、それでも足りなくて、市井の人々が尾ひれをつけまくつた結果が「三国志演義」なんぢやないかな、といふのは、大勢の認めるところだと思ふ。

その昔野田昌宏は「スペースオペラの書き方」で、高千穂遙が「今は少し設定をゆるくして、読者の想像にまかせる部分を作つたはうが人気が出る」といふうなことを云つてゐた、と書いてゐる。
野田昌宏はそれとは意を異にしてゐて、「自分はやはり設定はかつちりさせてそれから書きたい」といふやうなことを云つてゐる。

多分、高千穂遙のことばから「今は」を抜いても成り立つんぢやないかと思ふ。
人には、スカスカな行間を埋めたいといふ欲求があるんぢやあるまいか。

そんなことを考へつつ、次は同じビギナーズ・クラシックスシリーズから「春秋左氏伝」に挑戦してみるつもりである。

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Wednesday, 07 November 2012

こんなことを書くのは恥づかしいけど

「恥づかしいと思ふ気持ちをもつと大切にしたい」
昨日、ぼんやりとそんなことを思つた。

恥づかしながらやつがれは、他人の視線が異様に気になるたちである。
他人はそんなにこちらのことを見てないよ、とわかつてゐながら、自意識過剰とでもいはうか、とにかく周囲がこちらをどう思つてゐるのかが気になつてならない。
他人と書いたが、家族の目も気になる。

そんな自分が「恥づかしい」といふ思ひを第一に考へたら、ますます身動きがとれなくなつてしまふ。

さう思つてここまできた。

しかし。
恥づかしい、といふ思ひはどこから生まれるのだらう。
あの人々はきつとやつがれをなんといふ人間だと思つただらう。
さう考へるから恥づかしいのか。

大抵はそのとほりだと思ふのだが、どうもそればかりとは思へない。
「自分はかうあるべきだと思ふのに、さうあることができなかつた」
恥づかしい、と思ふ気持ちは、そこから生まれるのではあるまいか。

その昔、「お天道様に恥づかしい」といふ考へ方があつた。
お天道様=天照大神といふ図式からか、戦後、さういふ考へ方は影を潜めてゐるやうに思ふ。
でも、なんかもう、そこにしか頼るべきところはないんぢやあるまいか。
お天道様がダメなら、自分自身でもいい。

他人は知らず、自分自身に恥ぢるところのない、そんな暮らしを送れないものか。
そんな風に考へてゐる。

切り抜きジャックのタムカイ氏がこんなことを書いてゐる。
「品」の生まれるところも、また、この「己に恥ぢるところのないこと」と同じなんぢやないかな。
そんな気がする秋のゆふぐれ。

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Tuesday, 06 November 2012

編みやすくて心地いいニットの着心地

編みやすくて心地いいニットのふだん着」の一番最初に掲載されてゐるヴェストを昨日着て出かけてみた。

とにかくあたたかいといふのは大きい。
家で羽織つてゐるときにわかつてゐたことだけれど、朝吹きさらしの停車場で電車を待つてゐたりするときにはいいねえ。
このヴェストの上に薄手のデニムのロングジャケットを着てゐたのだが、なんかしばらくこれで十分なんぢやないかといふ気がしてくるほどだ。

あと、おなかがあたたまるんだよねえ。
別段ヴェストにかぎつたことではない。
毛糸の手編みのセーターとかカーディガンとかヴェストとかつて、おなかがあたたまる。冷え性の人、腹痛に悩んでる人にはぴつたりだと思ふんだよなあ。

一方、昨日も書いたが、やはり電車のつり革につかまるのはチトつらい。
肩や胸はゆつたりしてゐて腹部分でしぼる形なので、腕を伸ばして上げると下もくつついてあがつてきちやつたりするんだよね。下でしぼる形ゆゑに、ボタンをはめてないと今度は着てゐるときの形が不格好になるしね。このあたりはtrade offだ。

また、これも書いたが、ドルマンスリーヴの袖無しのやうな感じで、肘のすぐそばまで袖口(といふのかなあ)がせまつてゐるので、トートバッグを肩がけするのには不向きだ。
上にジャケットなりコートなりを着るといふ条件つきで斜めがけとか肩がけのショルダーバッグがいいかな。一番いいのは手提げとかハンドバッグだけど。

ヴェストにしてはちよつと腕や肩の動きが不自由な感じはするが、掃除とか洗濯物干とかしなければ問題ないかな。皿洗ひとか編みものていどなら問題はない。むしろ編むとき専用ヴェストとか、いいぢやあないか。

ヴェストは好きなので、また編みたいと思つてゐる。
以前から編みたいと思つてゐるのはアフガン編みのかつちりした感じのヴェストなんだけど……
編む日はやつてくるのかのう。

Tweed Vest

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Monday, 05 November 2012

ボタンをつけてみた

編みやすくて心地いいニットのふだん着」の一番最初に掲載されてゐるヴェストを編んだ話は先月何度か書いた。

ボタンをつけずにはふつてあつて、でもときどき寒いのでそのまま羽織つたりしてゐたが、昨日、「このままではいかん」と思ひ、とりあへず手持のボタンをつけてみた。

Tweed Vest

ちよつと小さいかと思つてゐたボタンだが、つけてみるとちやうどいい感じだ。多分、厚みがあるんだらう。
これで着ていけるぞ、と思ふわけだが、うーん、どんなもんだらう。

ここのところ突然冷えてきて、「編んでおいてよかつた」と思ふことしきりではある。
しかも、思つたよりずつと早く編み上がつた。
書名の「編みやすくて」は伊達ではないわけだ。
しかも、羽織るとあたたかい。
極太のハマナカのアランツィードを使つてゐることもあつて、いい感じに背中があたたまる。

また、ヴェストといふことで、袖まはりがすつきりしてゐる。
なにをあたりまへのことを、といふかもしれないが、これがヴェストのいいところだと思ふのだ。
肩から背中をあたためつつ、腕まはりの動きは自由。

では問題はなにか、といふと、このヴェストを着た時に、電車のつり革につかまりづらいんぢやないかなあ、といふ気がすることだ。
本の写真を見てもらへればわかるのだが、このヴェスト、ちよつとドルマンスリーヴの袖無しといつた感じの形をしてゐる。
肩がそのまま肘ちかくまで伸びてゐて、でも袖をつけることを考へたときの袖付け位置も肘のあたりである。
うーん、これ、腕を上げたら、そのまま裾もあがつちやふんぢやないかなあ。

まあ、電車に乗るときはボタンをはづすとか、なんとか対応策はありさうだが。
とりあへず、着て外に出てみるか。

ところで、くつ下も編めてしまつた。

Mojo

何を編めば、と思つてゐたが、九月に神戸のユニオンウールで購入したROWAN Wool Cotton 4Ply でちよつと幅の広いマフラーを編むことにした。
それはまた別の話。

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Friday, 02 November 2012

ソワレに行きたくて

早起きの弊害といふと、早寝をする関係から、夜の楽しみをあきらめねばならない、といふことがある。
やつがれの場合は、演奏会とか芝居だ。
大抵の場合、ソワレとか夜の部といふのは、終演時間が九時以降。それから帰つて食事して入浴して、とかやつてゐるとあつといふ間に日付がかはつてしまふ。

世の早起き励行者はここんとこどうしてゐるんだらう。

あきらめる、といふこともあるやうだが、どうやら大勢は「一日くらゐのことだからなんとかなる」のらしい。

さうか。なんとかなるものなのか。

なんともならないやつがれには、やはり睡眠不足を解消せねばならぬのだな。たつた一日の寝不足が、どうにもならないくらゐのダメージを引き起こしてゐるんだもの。

でもまあ今日は、エロイカとベートーヴェンの七番とエグモントを順ぐりに頭の中でまはしてれば、なんとか乗り切れる、かな。

この選曲については、また別の機会に。

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Thursday, 01 November 2012

日々是苛々

日々苛々がとまらない。

望むは心穏やかな日々。
そのはずなのだが、気がつくとつまらぬことや日常事に苛ついてゐる。

なぜだらう、と考へて、思ひつくことはいろいろあるけれど、やはり一番大きいのは睡眠不足である、といふことなのではないかと思ひ至る。

記録を確認すると、今年の五月くらゐまでは一ヶ月の平均睡眠時間は四時間台だ。下手すると四時間を切らうとしてゐたりする。
これは、休日に二度寝や昼寝ができなくなつたからといふのが大きいのだが、さうすると平日の平均は三時間台にかぎりなく近いといふことだ。

かつて、仕事の関係でそんな毎日を送つてゐたことがあつた。
朝は始発のバスで出かけて、帰りは終電。当然バスはないからタキシーで帰つてくる。
それから食事をして入浴して寝ると、四時間は眠れないことになる。

最初のうちはそれでまはつてゐた。
小学校中学校と、自宅から歩いて数分のところに通つてゐたやつがれだが、高校はバスと電車を乗り継いで通ふところに入学した。
ここから早起き人生がはじまつた。
とりあへず眠くてもなんでも起きて学校には行ける。
日中は眠たくてたまらないわけだが、まあそれでも行ける。
部活動の朝練習で始発のバスで学校に行くこともあつた。
高校生活三年間で、「眠くてもなんでも起きる」といふ習慣が躯に染み付いたやうだつた。

就職してもそれはつづいてゐて、始発終電の仕事のときもそれが生かされてゐた。
その生活のつづくうち、だんだんつらくなつてきて、ある日、目覚まし時計が鳴つたことにも気づかずに寝てゐたことがある。
気がついたら十時を過ぎてゐたやうに思ふ。

この仕事のあとは、始発で通ふといふことはなくなつたが、限りなく同じやうな帰宅時間の仕事がつづいた。
結果、とにかく宵つぱりになつてしまつた。
なにもなくても夜はいつでも起きてゐてしまふ。
気がつくと三時なんてなこともしばしば。
したがつて朝はなかなか起きられない。
起きてもふらふらだらだらしてしまふ。

これではいけない、と、去年も今年も早起き励行したりしてゐる。
今年はどうやらうまくいつたらしくて、以前ほど夜更かしすることはなくなつた。
でも、程度問題だ。

なんかもう、早起きとかさういふ問題ではない。
とにかく寝る。
少なくとも毎日六時間は寝る。
さうしないと、この苛々や焦燥感、倦怠感は去らないのではあるまいか。

問題は、睡眠時間を増やすといふことは、起きてやりたいことをやる時間を削る、といふことだ。
これがまた苛々の原因となる。
あれがしたいのにできない。
これもしたいのにできない。
さうした気持ちが苛々を生む。

どうしたらいいのだ。

上記のやうに、それなりの期間にわたつてひどく睡眠不足の時期を過ごした。
睡眠不足は長期間にわたると、もう解消できなくなるといふ話があつた。

それはもうどうにもならないとして、これからちやんと寝るやうにしたら、調子よくなつたりするのかなあ。

以前よりは睡眠時間を増やして、でも、あまりやうすは変はらない。
このまま増やしてもいいことはないのではないか。
さう思ふと、今よりも睡眠時間を増やして意味があるのか、といふ気がする。

だが、一ヶ月の平均睡眠時間が五時間台といふのはまだまだ睡眠不足である、といふことなのかもしれない。

心穏やかに過ごしたいだけなんだがなあ。

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2012年10月の読書メーター

2012年10月の読書メーター
読んだ本の数:8冊
読んだページ数:2729ページ
ナイス数:5ナイス

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で感想
日本語については仰るとほりかと思ふが、文学についてはどうなのだらう。著者の云ふ漱石、鷗外から谷崎といつた小説家は、漢籍に親しんでゐたのではあるまいか。文学とは「人生如何に生くべきか」を描いたもの、といふ著者のことばが正しいのなら、漢籍は不可欠のはずである。なぜなら、「人生如何に生くべきか」といふことは、既に四書五経や数多の史書に描かれてゐることだからだ。著者のあげる小説家たちはさうしたことをふまえた上で作品を作つてゐたものと思はれる。鑑賞する側にさうした知識は必要ない? はたしてさうだらうか。
読了日:10月1日 著者:水村 美苗
ノマドワーカーという生き方ノマドワーカーという生き方感想
当たり前かもしれないけれど、"The Art of None Comformity"と重なるところがかなりある。結局さうでないと、「世界を征服」なんてできないし、夢を現実にすることもできないつてことなんだらう。ノマドワーカーになるならないはともかく、ダイエットに失敗し続けてゐる人は一読の価値あるかもよ。
読了日:10月3日 著者:立花 岳志
西洋哲学史 (上巻) (岩波文庫 (33-636-1))西洋哲学史 (上巻) (岩波文庫 (33-636-1))感想
ほぼギリシャ哲学に終始してゐて、その大半はソクラテス、プラトン、アリストテレス。「哲学はギリシャ哲学からはじまる」のださうだから、それも当然? 中国哲学を「これはむしろ神学あるいは神話である」つて、どういふこと? 19世紀初頭のドイツのレヴェルつて、そんなものか。
読了日:10月9日 著者:シュヴェーグラー
西洋哲学史 (下巻) (岩波文庫 (33-636-2))西洋哲学史 (下巻) (岩波文庫 (33-636-2))感想
宗教だからと云はれたらそれまでだけど、上巻と下巻をつなぐには、キリスト教の影響に関する記述が不足してゐるやうに思へてならない。宗教は哲学ぢやないつて書いてあるけど、それぢや片手落ちだよね。著者にはキリスト教なんて当たり前過ぎて書くほどのことでもないんだらうな、とも思ふけど。上巻と下巻合はせると、モンティ・パイソンの哲学者サッカーを思ひ出すな。
読了日:10月11日 著者:シュヴェーグラー
定本想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険 2-4)定本想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険 2-4)感想
「日本語が亡びるとき」に出てきたので読んでみた。「日本語が亡びるとき」に、アンダーソンは「英語ぢやだめなんです」と云つたとあつたが、巻末の本書の翻訳状況の詳細なことにその姿勢をみることができる。本書を読んだらアンダーソンがさう云つたのもむべなるかなと思ふがな。
読了日:10月16日 著者:ベネディクト・アンダーソン
文体練習文体練習感想
新訳が出るといふので、読みなほした。あらためておもしろいなあ。フランス語がわかれば原文も楽しめるのか知らん。六十の手習ひ? いやいや。
読了日:10月18日 著者:レーモン クノー
漢文法基礎  本当にわかる漢文入門 (講談社学術文庫)漢文法基礎 本当にわかる漢文入門 (講談社学術文庫)感想
漢文のみならず語学の習得に役立つ部分あり。日本語の上達については云うまでもない。しかしセンター試験にしか出ないものをこれだけ熱心に学ぶ高校生つてゐるのか知らん。ゐるのか。
読了日:10月25日 著者:二畳庵主人,加地 伸行
酒仙 (新潮文庫)酒仙 (新潮文庫)感想
この本の存在を知つたときにはすでに絶版。あちこち探して、やつと読むことができた。探した甲斐はあつた。但し空腹時に読んではいけないし、禁酒時に読んではいけない。あー、お酒つてやつぱりいいなあ。中村さんのやうに死ねたらいいなあ。
読了日:10月30日 著者:南條 竹則

読書メーター

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