ゴミ捨てに倦んで
朝起きて即ゴミを捨ててきた。
今日は資源ゴミの日だ。
週末にゴミ出しをして、不要な本がたくさんでてきた。
はづかしながら保存状態があまりよろしくなかつたので、これはゴミとして捨てるしかないだらうといふ本を選んで、それでも一度では運びきれないほどあつた。
いつもは出勤するときにゴミを出して行くのだが、ゴミ捨て場と自宅とを往復することを考へると、時間にどれくらゐ余裕をとつたものか考へてしまふ。
エレヴェータを使ふ関係上、エレヴェータの利用状況によつて往復時間が変はつてくるからだ。
結局、そんな面倒なことを考へるよりは、いつもよりちよつと早めに起きて(これが書くほどかんたんなことではないのだけれど)、起床後即捨てに行くことに、夕べ決めた。
決めたことを果たせたことについては満足してゐるのだが、どうにも疲れてゐる。
二往復したから?
いや、ゴミ捨て場と自宅とはそんなにはなれてゐるわけではない。
本とその他の資源ゴミも、うまいことまとめらてゐたので、さほど重たいと感じることもなく運べた。
ではこの疲労感はなんだらう。
ひとつには、懸念事項、それも本日一番の懸念事項を為し終へた、といふ気持ちから、だらう。さう思ふ。
一仕事終へたので、その疲れが出てゐる。
もうひとつは、決められた日に決められたゴミを決められた時間内に出さねばならない、といふ事実が、気力体力を微妙に、だが確実に削つていくから。だからだと思ふ。
決められた日に決められたゴミを決められた時間内に出す。
そんなこと誰でもやつてゐることだ。
なにも特別なことぢやない。
はたしてさうだらうか。
ゴミをちやんと分別して出せない人はたくさんゐる。
だからゴミを自宅の前に出すやうになつたり、ゴミ袋に名前を書いて出すやうになるのではあるまいか。
うちの自治体からもよく「ゴミの分別をきちんとしませう」といふ趣旨の文書がまはつてくる。すなはち、ちやんと出せてゐない人が多いといふことだ。
この紙には「分別はかんたんです」とも書いてある。
さうだらうか。
むづかしいからちやんと出せない人がゐるのでは?
だいたい、人間のやることだから、多少の間違ひはある。
一週間にひとりが一度間違ひをするとする。
それがひとつのゴミ集積所に集まつてくれば、相当な数になるだらう。
実はさういふことなのではないか。
また、「ゴミを分別しない人にはそれなりの罰を与へます」なんぞと、これは市からのお達しなのだといふ。
さうぢやないだらう。
市のやるべきことは、分別できない人分別しない人のことを考へて施策を考へること、だ。
市民は何十万人何百万人とゐる。
その全員が一度も間違へずにゴミを捨てられる?
ほんとにそんなことを考へてゐるのだとしたら、その役人はバカだ。
ある施策なり法律なりを定めたら、そこからはみだしてしまふ人を救済する方法も考へる。
それが税金から給料をもらつてゐる人間の仕事だ。
できなかつたら罰を与へる、なんて、小学生のすることだ。
「給料泥棒」と云はれても文句は云へまい。
と、文句がいろいろあるのもいけないのかも。
「決められた日に決められたゴミを決められた時間内に出す」のをあたりまへのこととしてとらへれば、すむ話なのかもしれない。
でも、
「これは燃えるゴミか燃えないゴミか」
「なぜこれは燃えるゴミでこちらは燃えるゴミの日に出せないのか」
「ミックスペーパーつてなんだよ」
とか、いろいろ納得のいかないことが多いのが、余計に気に障るのである。
いづれにしても、自治会や市のやるべきことは、分別しない人やできない人を罰することではなくて、救済することなんだと思ふよ。
さうしないと、この問題はかたづかないよ。
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