云ひ訳の多い人生を送つてまゐりました
銀座伊東屋の別館K.ITOYA1904が今日開店する。
帰りがけに寄れたらなあと思ふてはゐるのだが。
でもなあ、別段、そんなに文具オタクつてわけでもないしなあ……
と、考へて、はつとした。
なんでそんな云ひ訳をするのだ。
昨日のエントリを書いたあともさうだつた。
「こんなこと書いたけど、でも、別にやつがれ、そんなに文学に造詣が深いわけでも、漢文に親しんでるわけでもないしなあ」
そんなことを考へてゐた。
嗚呼、云ひ訳ばかりの人生だ。
K.ITOYA1904には、行つたらいいぢやあないか。
万難を排しても、行けばいい。
別に文具オタクとかそんなの、どうでもいい。
どうして行けないときのことを考へてそんな云ひ訳をするのか。
また、文学に造形が深くないのだつたら、今から深くなればいい。
漢文に親しんでゐないのなら、今から親しめばいいのだ。
なんでそんな云ひ訳するかなあ。
いつでも逃げ道を用意してゐる。
あみものもさうだ。
やつがれは、experienced novice と名乗つてゐる。
すなはち、「古株の新入り」だ。
歴だけは長いけど、やることはあみものを習ひはじめた当時から変はらない。
さう云ひたいのだ。
うーぬー。
とは云ふものの、「ま、それでもいいぢやない」と思はないでもない。
K.ITOYA1904に関しては、行けなかつたときの衝撃が少なくなるといふ利点もある。
と、かくのごとく云ひ訳に云ひ訳をかさねていく。
もう習ひ性になつてるから、どうしやうもない。
つて云つてるそばからほら。
あーあ。もうどうしたものやら。
とりあへず、なにかひとつから手をつけてみる、かのう。
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