「ボクつ娘」とやつがれ
「ボクつ娘」が苦手だ。
小学生のとき、同じクラスにひとりゐて、その子は大丈夫だつたんだけどな。
もしかすると、身近にゐないから苦手なのかもしれない。
なにが苦手なのか。
おそらく、「ボク、ナイーヴ(日本語的な意味で)だから」といふ感じがするからかなあ、といふ気がする。
「傷つきやすいの、わかつてよ」みたやうな感じ、といふか。
ただ、「「わたし」とか「あたし」とかぢやないの」、といふ気持ちはよくわかる。
といふのは、このblogでやつがれがみづからのことを「やつがれ」とか書いてしまつてゐるのを見ると、おわかりいただけるのではあるまいか。
この「一人称になにを使ふか」といふのは、男女共通の関心事だと思ふ。
実際、職場などでも、「仕事するときは「私」だけど、普段が困るんだよなあ、「オレ」ぢやないし、かといつて「ボク」も困るし」なんぞと語りあつてゐる人々を見かけたことがある。
英語とかだつたら悩むことないのになあ。
さうも思ふが、その一方で、「どの一人称を使ふかで悩めるなんて、なんだか贅沢」といふ気もするんだから、人間なんて不思議なものだ。
考へてみたら、「ボク」といふのは「僕」すなはち自分をへりくだつて云ふ表現なわけで、それはそれでいいよなあ。
ほんたうはやつがれは「小生」を使ひたい。「プリンプリン物語」のシャーレッケ・マイホームが使つてゐるのを見て以来、憧れなのだつた。
ところが、世の中では「小生」といふのはその本来の意味に反して尊大な印象を与へるのだといふ。
ええー、どこのどいつだよ、「小生」にそんなよけいな意味をつけたのはよう!
しかし、世の人がさう受け止めるのなら、致し方ない。
「小生」はあきらめるしかない。
そんなわけで、一時、あれこれ考へた。
「拙者」とか「それがし」とか、さういふ時代劇などではよく耳にする一人称もいいけれど。
結局「やつがれ」に落ち着いたのは、かつては男女問はず使はれてゐたらしい、と聞いたからである。
男でもない、女でもない、そんなneutralな感じが気に入つた。
口に出して「やつがれ」と云ふことはないけれど。
書き言葉では今後も「やつがれ」で行くつもりである。
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