内向的に生きつつ世の中と折り合つていくには
一番古い記憶は幼稚園のときのことだ。
父兄参観の日だつた。
クラス全員で、外に出て遊ばうといふことになつた。
先生も含めて、クラスメイトの大半はグラウンドで鬼ごつこかなにかをしてゐた。
やつがれはといふと、当時仲のよかつた友人二三名と砂場で山などを作つてゐた。
帰宅後、母に「なぜみんなと遊ばないのか」「ほかの子と同じやうにしなければダメではないか」と云はれた。
いつも云はれつづけてゐたことだつた。
「外で遊べ」
「みんなと遊べ」
「本なんか読んでるんだつたら友だちを誘つて遊んでこい」
多分、やつがれはその言にしたがつてゐればよかつたのだらう。
さうしたら今頃、職場での人間関係ももつと円滑なものになつてゐたに相違ない。
だが、やつがれは反発した。
反発する一方で、親に云はれたことといふのは心に残るものなのである。
ひとりでゐると罪悪感を感じる、とかね。
大勢の輪に交はれないことに劣等感を抱く、とかね。
そんなことはすつかり忘れ、「自分は偏屈なのである」と思ひ込んで幾春秋、NHK教育TVの「スーパープレゼンテーション」で"The Power of Introverts"といふプレゼンテーションを見た。
さうか。
ひとりが好きでもいいんだ。
ひとりでゐる時間が必要なのは、別段をかしいことではないんだ。
それは「偏屈」といふだけではないんだ。
とはいへ、やつがれが偏屈であることは、まあ確かなことなのだけれども。
現在お試し版のQuiet: The Power of Introverts in a World That Can't Stop Talkingを読んでゐる。
買ふ、かなあ、とか悩みつつ、読んでゐる。
この本については「日経ビジネス Associe2012年11月号 」に、Lifehacking.jpの堀正岳も書いてゐる。洋書の紹介コラムの第一回でこの本を取り上げてゐるといふのが興味深い。
なぜといつて、やはり世の中はextroverts向けにできてゐるからだ。
フリーアドレスのオフィス?
ブレインストーミング?
グループワーク?
考へただけで出社拒否症になつちやふよ、といふ人間は、やはりどうにも生きづらい。
この本を読んで、それでさうした生きづらさがどうにかなるのかといふと、どうもさうとは思へない。
それは、「人生はうしろ向きに」を読んだときにさう感じたから、かもしれない。
「人生はうしろ向きに」には、うしろ向きに生きつつこの世と折り合つていく方法が書かれてゐるのではないか、と、期待してゐた。
期待はみごとに裏切られた。
うしろ向きに生きるには、会社人でゐてはならない。自由人になるしかない。
おそらく、introvertsとして生きるのも同じことなのぢやああるまいか。
とりあへず、お試し版を読んでみて、どうするか決めやう。
ところで浅学にしてextrovertとかintrovertといふのがユング心理学にあるといふことを知らなかつた。
もしかしてそちらも読んでみるべきなのだらうか。むむむ。
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