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Wednesday, 31 October 2012

最近のかばん事情

ここのところ、出かけるときに持つかばんはル・ボナーのネコリュックWILDSWANSのBel AirのSサイズのどちらかばかりである。

両手を開けたいときや帰りに買物をしたいときはネコリュック。
A4の書類があるときや荷物をまとめたいときはBel Air。

そんな感じだ。

ネコリュックのときは、休日はsetoのEater-sagari、職場にいくときは白い道さんの裂き織り丸形ショルダーバッグか、レトワールドゥソレイユのショルダーS、もしくはSmythsonのAgatha Sling Bagをあはせて持つ。雨の日は鹿革のボディバッグ。

例外は、芝居見物のときで、ル・ボナーのコンフェッティときまつてゐる。

ネコリュックは一見小さいが、結構ものが入る。ファスナーが背中にあたる部分にしかないといふのもいい。背後から中身をさぐられる心配がない。あと、リュックといふことで、やはり歩いてゐて楽。もつと云ふと、形がかはいいぢやあないか。
そんなに大きくないので、電車の中では前にして持つてゐても、それほど気にならない。
いいなあ。

Bel Airは、口が大きく開く、そのわりに持つてゐるときはちやんと閉まる。特に使ひこんできたせゐか、持つたときの閉まり加減がいい。実はA4書類用の封筒とか入れるにはちよつと小さいのだが、でもこれ以上大きいと満員電車の中で肩身の狭い思ひをすることになるからなあ。
サイドに入つたガルーシャのラインもいい。
手持のBel Airの色はネイヴィーで、夏はちよつと重たい色かなあと思つてゐたが、今年使つてみて「ネイヴィーは夏の色でもあるよなあ」と実感した。夏の強い日差しの下では、シュランケンカーフのネイヴィーはどこか明るい表情を見せたりするのだつた。
いいなあ。

ネコリュックと一緒に使ふポシェット系がまたいい。
どれを使つたものか悩むくらゐだ。
特に白い道さんの丸形ショルダーバッグとAgatha Sling Bagとでは毎回悩む。
どちらも小さいのに収納力・ポケットの数と形と使ひ勝手がやつがれ好みなのだつた。

こんなわけで、鞄を増やすことができない。

そもそも、ひきこもり願望が強いのに、かばんが好き、といふのも妙な話なのだ。
をかしいよな。

といふわけで、ここしばらくはかばんも買つてゐない。
実は今、カンダミサコのdumiの作成を依頼してゐる。
今のところ、来年一月にできあがる予定。
多分これでしばらくは打ち止めなんぢやないかなあ。

え、ひらくPCバッグ

いや、それは……
どーせ、PCなんか持ち歩かないしね!

と、日記には書いておかう。

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Tuesday, 30 October 2012

未完成

先日、ヴェストを編んだと書いたが、まだ完成してゐない。
あひかはらずボタンがないからだ。
買ひに行かねばならぬのう。

ヴェストと同じ編みやすくて心地いいニットのふだん着」に掲載されてゐる三角ショールを日曜日に編み終へた。

Crochet Shawl

ちつちやいパイナップル編みの模様がかなりお気に入りだ。

毛糸はたまたま手元に三玉あつたニッケビクトリーヤーン中細の842。
本だとハマナカの純毛中細を110g使ふことになつてゐる。ハマナカ純毛中細は一玉40gなので三玉ですこしあまるくらゐだらう。ニッケの方は一玉50gなので二玉強といふことになる。

二玉でいけるかなーと思つたが、三玉目にちよつと手をつけることになつてしまつた。
針は本の指定とほりに6/0号。
編み方とほりに編めたといふことだらうが、ちよつと悔しい。

これも、まだ整形前なので糸端とかそのままになつてゐる。
ショールを先に編みはじめたのだが、途中で疲れてしまひ、ヴェストに浮気してゐた。
かういふとき、休憩してしまつたショールは編み上がらない可能性が高くなる。
今回も危ふかつた。
編み終へたのは奇跡のやうな気もする。

なんで編めたのか、いろいろ考へたが、自分ではよくわからない。
ここの謎が解明できれば、編み掛けのままはふつておくものが少なくなると思ふんだがなあ。

ひとつには、以前書いたやうに、編み地がやはらかくて気持ちいいつてのがあるのかもしれない。
上記リンク先にも書いてあるが、通常2/0号とか3/0号くらゐで編む中細毛糸を6/0号といふかなり太めの針で編んでゐるので、編み地がふんはりやはらかいのだ。
毛100%の糸で編んでゐるといふこともあるかもしれないけれど、肩にかけると心なしか2/0号とか3/0号とかで編んだときよりもあたたかいやうな気がする。実際、6/0号で編んだ方が編み地も多少は厚くなるだらうから、この間隔は正しいのだらう。

太めの針で編んでゐるので、編みはじめたころは、もつとでれんとした感じの編み地になるのではないかと思つてゐた。
レースものにありがちな、整形しないとどうにもならないやうな感じに編み上がるんぢやないかなつてね。

でも実際編み上がつてみると、そんなにでろんともしてないし、整形しないと模様が見えないといふこともなかつた。
かぎ針編みだから? それとも模様のせゐかな。あるいは毛糸。

整形しなきやねー、と思ひつつ、それもこの週末かな。
夕べちよつと冷えるなと思つたので、整形前にもかかはらずちよつと羽織つてみたが、あたたかくてよい。
これは編んで正解だつたかも。

「編みやすくて心地いいニットのふだん着」にはほかにも編みたい作品があるのだが。
どうも毛糸を十玉以上使ふやうなのもばかりなんだよね。
そして、手元にはそんなに大量に同じ毛糸があつたりはしない。もともとくつ下を編むことが多かつたので、せいぜい100gくらゐしか同じ毛糸は買はなかつたんだな。
くつ下毛糸を組み合はせてなにかできないだらうか。
今はそんなことを考へながら、くつ下を編んでゐる。

mojo in progress

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Monday, 29 October 2012

くつ下編めて日が暮れて

自分では、「ハリーの災難」のつもりなのだが。

やはりどこからどう見ても「宇宙戦艦ヤマト」なくつ下ができあがつた。

The Trouble with Harry Socks

糸はリッチモアのパーセントのcol.43(青)と74(赤)。
針は三号。
10/21に編みはじめて、10/27に完成。
悪くない。平日はそんなに編む時間は取れないからな。
21日のあひだに片方できあがつたんだが、これは時間配分的にはちよつと問題。
完成させたいといふ気持ちや編みたいといふ気持ちからはいいんだけど、休日の過ごし方としてはかたよつてゐる。まあ、昼食を食べてからはじめたことを考へれば、一日かけたわけでもないからよしとしたいのはやまやまだが。

むかし、夜なべして手袋を編む歌とか聞くと、何夜かかるのだらうと思つたものだが。
考へてみたら、手袋だ。ミトンにすればもつと早くできあがる。寒さをしのぐなら、太い糸を使ふかもしれない。さらに仕上がりは早くなるだらう。
こども用だとしたらもつといい。

とはいへ、さう考へられるやうになつたのは、ここ数年のことだ。
くつ下早編みイヴェントに参加して、一日片方編めることがわかつて、やつがれでこの速さなら、達人はもつと速く編むことができるのだらうと悟つた。

くつ下は、達成感を求めるならあみものとして最適なのではないかと思ふ。
まあ、帽子でもいいんだけどね。
マフラーはまちつと時間がかかるだらう。
帽子もくつ下も輪に編むといふのが初心者にはハードルが高いのかもしれないが、どうかなあ。増やし目減らし目も障害になるのかな。

いづれにしても、マフラーで挫折する向きには、帽子とか編むといいのにな、といふ気はする。
なに、平たく編んで最後はとぢて輪にしてもいいんだし。
あ、「とぢ」がハードル高いか?

いろいろむづかしいね。

とりあへず、次のくつ下には着手してゐる。

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Friday, 26 October 2012

幼稚園のときに同志がゐたら

幼稚園のころ、「牛若丸と弁慶」といふ本がお気に入りだつた。
といふ話は、以前何度か書いた。
「牛若丸と弁慶」はいはゆるオムニバスこどもむけ歴史小説で、一番最初に「牛若丸と弁慶」があつて、あとは倶利伽羅峠の戦ひとか富士川の戦ひ、いけづきするすみの宇治川の先陣争ひ、鵯越のさかおとし、熊谷と敦盛、八艘跳び、しづやしづ、と、まあ、ここまではいいとして、このあと三つの鉢の木、日蓮のかんたんな伝記、元寇とつづくのが今思ふとふしぎな本だ。まるで、「成吉思汗は義経」とでも云ひたいやうな感じぢやあないか。
#さう、やつがれにとつて宇治川の戦ひは、佐々木高綱と梶原景季ぢやなくて、いけづきとするすみなのである。

やつがれの源平熱は、小学校3年生のときにこども向け「平家物語」を読んでひとまづおさまる。その後はほとんど思ひ出すこともなかつた。
自分で稼げるやうになつて、歌舞伎を見るやうになるまでは。

幼稚園のころ、と書いたが、実際は通ふ前から読んでゐた。
家族の引越しの都合と、こどもが多過ぎたことから、入園が遅れたからだ。

もし、幼稚園に、同好の士がゐたら。
最近そんなことを考へる。

もし、同じクラスに「牛若丸と弁慶、いいよね」とか、もつと云ふと、「宇治川の先陣争ひ、いいよね」とか「敦盛、泣けるよね」とかいふやうな子がゐたら。
もつと源平熱がたかまつてゐただらうか。

たかまつてゐただらうな。
こどものことだから、読んでる本もちがつたりして、そこで意見がわかれたりとかね。
あるいはお互ひに本を貸しあつたりとか。

……そんな幼稚園児はゐない?
今のやつがれだつたらさう思ふ。
でも、自分が園児だつたころのことを考へると、あながちさうとも云へないと思ふんだよなあ。

最近、大河ドラマを見てゐて、「ああ、やはり知らないことが多いなあ」と思ふ。
小学生のときの知識でとまつてるから、細かいこととか物語には出て来ない歴史的な背景とかを知らなかつたりするんだよね。
ここは改めて「平家物語」とか読んでみるべきなんだらうかなあ、と思つたりしてゐる。

今月は、御園座に六代目中村勘九郎襲名披露公演を見に行つてきた。
夜の部は源平づくしだ。「鬼一法眼三略巻」から「菊畑」、口上をはさんで「義経千本桜」から「吉野山」と「川連法眼館」。
「吉野山」で実ハ狐の佐藤忠信が、兄・継信の最期を物語る場面がある。
懐かしいなあ。ここ、本では挿絵がついてゐたんだよ。
みづからをかばつてたふれた継信を、義経が抱きかかへ、それをその他郎党が取りかこんでゐる。
これは多分「源義経」といふ伝記めいた本だつたと思ふ。

熊谷と敦盛とかはもつと大人向きな挿絵だつた。倶利伽羅峠も。
白黒で、でも忘れられない。

さうだな、やはり、読むか。読むしかないか。
「平家物語」を。

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Thursday, 25 October 2012

ゴミ捨てに倦んで

朝起きて即ゴミを捨ててきた。
今日は資源ゴミの日だ。
週末にゴミ出しをして、不要な本がたくさんでてきた。
はづかしながら保存状態があまりよろしくなかつたので、これはゴミとして捨てるしかないだらうといふ本を選んで、それでも一度では運びきれないほどあつた。
いつもは出勤するときにゴミを出して行くのだが、ゴミ捨て場と自宅とを往復することを考へると、時間にどれくらゐ余裕をとつたものか考へてしまふ。
エレヴェータを使ふ関係上、エレヴェータの利用状況によつて往復時間が変はつてくるからだ。

結局、そんな面倒なことを考へるよりは、いつもよりちよつと早めに起きて(これが書くほどかんたんなことではないのだけれど)、起床後即捨てに行くことに、夕べ決めた。

決めたことを果たせたことについては満足してゐるのだが、どうにも疲れてゐる。
二往復したから?
いや、ゴミ捨て場と自宅とはそんなにはなれてゐるわけではない。
本とその他の資源ゴミも、うまいことまとめらてゐたので、さほど重たいと感じることもなく運べた。

ではこの疲労感はなんだらう。

ひとつには、懸念事項、それも本日一番の懸念事項を為し終へた、といふ気持ちから、だらう。さう思ふ。
一仕事終へたので、その疲れが出てゐる。

もうひとつは、決められた日に決められたゴミを決められた時間内に出さねばならない、といふ事実が、気力体力を微妙に、だが確実に削つていくから。だからだと思ふ。

決められた日に決められたゴミを決められた時間内に出す。
そんなこと誰でもやつてゐることだ。
なにも特別なことぢやない。

はたしてさうだらうか。
ゴミをちやんと分別して出せない人はたくさんゐる。
だからゴミを自宅の前に出すやうになつたり、ゴミ袋に名前を書いて出すやうになるのではあるまいか。
うちの自治体からもよく「ゴミの分別をきちんとしませう」といふ趣旨の文書がまはつてくる。すなはち、ちやんと出せてゐない人が多いといふことだ。
この紙には「分別はかんたんです」とも書いてある。
さうだらうか。
むづかしいからちやんと出せない人がゐるのでは?

だいたい、人間のやることだから、多少の間違ひはある。
一週間にひとりが一度間違ひをするとする。
それがひとつのゴミ集積所に集まつてくれば、相当な数になるだらう。
実はさういふことなのではないか。

また、「ゴミを分別しない人にはそれなりの罰を与へます」なんぞと、これは市からのお達しなのだといふ。
さうぢやないだらう。
市のやるべきことは、分別できない人分別しない人のことを考へて施策を考へること、だ。
市民は何十万人何百万人とゐる。
その全員が一度も間違へずにゴミを捨てられる?
ほんとにそんなことを考へてゐるのだとしたら、その役人はバカだ。
ある施策なり法律なりを定めたら、そこからはみだしてしまふ人を救済する方法も考へる。
それが税金から給料をもらつてゐる人間の仕事だ。
できなかつたら罰を与へる、なんて、小学生のすることだ。
「給料泥棒」と云はれても文句は云へまい。

と、文句がいろいろあるのもいけないのかも。
「決められた日に決められたゴミを決められた時間内に出す」のをあたりまへのこととしてとらへれば、すむ話なのかもしれない。

でも、
「これは燃えるゴミか燃えないゴミか」
「なぜこれは燃えるゴミでこちらは燃えるゴミの日に出せないのか」
「ミックスペーパーつてなんだよ」
とか、いろいろ納得のいかないことが多いのが、余計に気に障るのである。

いづれにしても、自治会や市のやるべきことは、分別しない人やできない人を罰することではなくて、救済することなんだと思ふよ。
さうしないと、この問題はかたづかないよ。

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Wednesday, 24 October 2012

内向的に生きつつ世の中と折り合つていくには

一番古い記憶は幼稚園のときのことだ。
父兄参観の日だつた。
クラス全員で、外に出て遊ばうといふことになつた。
先生も含めて、クラスメイトの大半はグラウンドで鬼ごつこかなにかをしてゐた。
やつがれはといふと、当時仲のよかつた友人二三名と砂場で山などを作つてゐた。
帰宅後、母に「なぜみんなと遊ばないのか」「ほかの子と同じやうにしなければダメではないか」と云はれた。

いつも云はれつづけてゐたことだつた。
「外で遊べ」
「みんなと遊べ」
「本なんか読んでるんだつたら友だちを誘つて遊んでこい」

多分、やつがれはその言にしたがつてゐればよかつたのだらう。
さうしたら今頃、職場での人間関係ももつと円滑なものになつてゐたに相違ない。

だが、やつがれは反発した。
反発する一方で、親に云はれたことといふのは心に残るものなのである。

ひとりでゐると罪悪感を感じる、とかね。
大勢の輪に交はれないことに劣等感を抱く、とかね。

そんなことはすつかり忘れ、「自分は偏屈なのである」と思ひ込んで幾春秋、NHK教育TVの「スーパープレゼンテーション」で"The Power of Introverts"といふプレゼンテーションを見た。

さうか。
ひとりが好きでもいいんだ。
ひとりでゐる時間が必要なのは、別段をかしいことではないんだ。
それは「偏屈」といふだけではないんだ。
とはいへ、やつがれが偏屈であることは、まあ確かなことなのだけれども。

現在お試し版のQuiet: The Power of Introverts in a World That Can't Stop Talkingを読んでゐる。
買ふ、かなあ、とか悩みつつ、読んでゐる。
この本については「日経ビジネス Associe2012年11月号 」に、Lifehacking.jpの堀正岳も書いてゐる。洋書の紹介コラムの第一回でこの本を取り上げてゐるといふのが興味深い。
なぜといつて、やはり世の中はextroverts向けにできてゐるからだ。
フリーアドレスのオフィス?
ブレインストーミング?
グループワーク?
考へただけで出社拒否症になつちやふよ、といふ人間は、やはりどうにも生きづらい。

この本を読んで、それでさうした生きづらさがどうにかなるのかといふと、どうもさうとは思へない。
それは、「人生はうしろ向きに」を読んだときにさう感じたから、かもしれない。
「人生はうしろ向きに」には、うしろ向きに生きつつこの世と折り合つていく方法が書かれてゐるのではないか、と、期待してゐた。
期待はみごとに裏切られた。
うしろ向きに生きるには、会社人でゐてはならない。自由人になるしかない。

おそらく、introvertsとして生きるのも同じことなのぢやああるまいか。

とりあへず、お試し版を読んでみて、どうするか決めやう。

ところで浅学にしてextrovertとかintrovertといふのがユング心理学にあるといふことを知らなかつた。
もしかしてそちらも読んでみるべきなのだらうか。むむむ。

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Tuesday, 23 October 2012

The Trouble with "The Trouble with Harry" Sock

はじめて「ハリーの災難」といふ映画を見たのは、おそらく「日曜洋画劇場」のヒッチコック特集のときだと思ふ。小学校の高学年か中学生のころ。そんな気がする。

ヴァーモント州のどこか、うつくしい秋の紅葉の景色の中、ひとりの男が横たはつてゐる。死んでゐるのだ。
それを見かけた土地の人々が「もしかしたら自分のせゐで死んだのでは」と、あれこれやつてゐるあひだに、履いてゐた靴がなくなり、この男・ハリーの履いてゐるくつ下があらはれる。

これが、すごい色なのだ。
つま先が赤くて、あとは青。
それが、赤や黄色に色づいた林の中、異様な光景として浮かび上がる。

あれはね、ちよつと忘れられないね。

「ハリーの災難」くつ下を編まうと思ひついたのは、いつのころだつたらう。
忘れてしまつたが、二三年前といつたところではないかと思ふ。
考へてみたら編めるぢやん。
問題は毛糸の色の選択だけど。ちやうどいい色があるかどうか。

いろいろ探して、リッチモアのマイルドラナによさげな青と赤があるのを見かけたが、近所では売られてゐない。

仕方がないので同じリッチモアのパーセントから青(col.43)と赤(col.74)を選んだ。

針は3号。
Magic Loop Cast-onで20目作り目して、52目まで増やして足の部分を45段。
ウェンディさんのつま先から編む靴下の編み方のかかとの編み方で8目まで減らす。
脚も45段。一目ゴム編みを10段編んで、一目ゴム編み止め。

で、できあがつたのがこれである。

The Trouble with Harry sock

「ハリーの災難」と云つて云へないことはない。
だが、これはどこからどう見ても「宇宙戦艦ヤマト」ではあるまいか。

さう思ふともうヤマトにしか見えない。
をかしいなあ。

ハリーのくつ下は、まちつと水色よりといふか、若干緑がかつてゐるのかも。
やはりマイルドラナを探すか。

などと思ひつつ、せつせと編んでゐる。
なぜかくつ下編みは進む。
メリヤス編みばかりなのだから当たり前か、とも思つたが、多分一度に針にかかつてゐる目の数も関係してゐると思ふ。
これだけの目を編めばいい、みたやうな気楽さがいいのではあるまいか。

いづれにしても、くつ下くらゐの輪つかをくるくる編むのが性にあつてゐるのは確かなやうだ。

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Monday, 22 October 2012

この秋冬はじめての帽子編み

先日、ヴェストを編んだ
さういへばボタンまだ買つてないや。

それはともかく、毛糸だまが3玉あまつてしまつた。
そこで編みはじめたのが帽子、Guinanである。

お揃ひ

使用糸はハマナカのアランツィード
使用針は6号。
編み方とほりに編んだつもり。

Guinanはすでに一度編んだことがあつた。
あのときはRowanのMagpieを使つたのだが、チト太すぎた。
多分、今回使つたハマナカのアランツイードくらゐがちやうどいい太さなんぢやないかと思ふ。
思ふが、やはりなんとなく大きくなつてしまつたかなあ。

……もともと大きい帽子か。
Slouchyだもんな。

帽子も毎年編むやうになつて久しい。
以前は、「帽子、似合はないしな」といふので滅多に編まなかつた。
とある客先に常時勤務することになつたとき、毎朝始発のバスに乗ることになつたのが、帽子を編むやうになつたきつかけ、といふのはあちこちで書いた。
帽子でもかぶらないと寒くてやつてられなかつた。

必要性に迫られて編んでみると、これが案外楽しい。
くつ下編みで輪つかにぐるぐる編む楽しみを覚えた身には、やめられない楽しさがある。
毛糸もそんなに使はないしねえ。
あつちふ間にできるから、達成感もあるし。
Elizabeth Zimmermannだつたらうか、輪に編むセーターの場合は試し編みに帽子を編むといい、とか云ふてゐたやうな気がする。EZぢやなかつたかな。でもまあ、確かに輪に編むときと平たく編むときでは手加減がちがつてくるので、試し編みに帽子は正しからう。セーターとお揃ひの帽子もできるしな。

さうさう、今回はヴェストに合はせて帽子といふことにしたんだつた。
3玉あまつてゐたので、「マフラーかなあ」と思つたんだが、このヴェストに合はせるなら帽子だらうと思つたんだよね。
で、気分としてはかのこ編みのベレー帽だつたんだけど、それだとヴェストとお揃ひにならない。お揃ひにならなくてもいいけど、ベレー帽では毛糸をそんなに消費しない。

で、はつと思ひついたのが、Guinanだつたといふわけだ。
Guinanは裏メリヤス編みとメリヤス編みを交互に編む帽子なので、ヴェストの上部分とちよつと似てゐる。
この写真からはさして似て見えないのだが、一応どちらも着用すると似て見える。はず。

問題はやつぱり1玉弱あまつてしまつたこと。
うーん、どうしたものやら。

帽子を編み終はつたあと、即くつ下を編みはじめたのだが。
それはまた別のお話(森本レオの聲で読むこと)。

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Friday, 19 October 2012

ひきこもり願望

ひきこもりたい。
ずつとさう思つてゐる。

世の中では、「ひきこもり」の問題といふのは、別段ひきこもりたくない人がひきこもりになつてゐることなのださうである。
ここにひとり、ひきこもりたいのにひきこもれない人間がゐる。
これもまた、ひきこもりの問題だらう。

ひきこもりとはまた少しちがふかもしれないが、世の中に「ニート」と呼ばれる人々がゐる。
森博嗣は「大学の話をしましょうか」で、「働いて社会に迷惑をかける人間よりは、働かずに社会に迷惑をかけない人間の方がありがたい」といふやうなことを書いてゐる。
これは、初版の帯にあつた文言だつたと記憶する。

ああ、自分は、社会に迷惑をかけてゐるんだなあ。
ひきこもれさへしたら、社会にも迷惑をかけずに済むものを。

とはいへ。
ニートの問題は、やはり社会にそれとなく迷惑をかけてゐることだらう。
ニートは労働の義務を果たしてゐない。すなはち納税の義務も果たしてゐない。しかして税金の幾ばくかはかうしたニートの人々のためにも使はれてゐる。そのはずである。
これは社会に迷惑をかけてゐることにならないのか。

それでも、実際に世の中に出て働いて、職場の人々や顧客に直接迷惑をかけるよりはましなのかもしれない。通勤途中にたまたまそばに居合せた人々に迷惑をかけるよりはずつとまし。
本人も気持ちとしては楽だらう。

ひきこもつてゐては稼いでいけないので、仕方なく日々外に出る。
社会に迷惑をかけてゐるのは百も承知。ゆゑにたちも悪い。

「労働は国民の義務だから」
「納税は国民の義務だから」

今日もさう云ひ聞かせて出勤する。

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Thursday, 18 October 2012

行くべきか行かぬべきか

目下の懸念事項は、「宇宙刑事ギャバン」と「Re: Cyborg 009」を見に行くかどうか、だ。

去年のいまごろ、「電人ザボーガー」を見に行つて、ぼんやりと映画館通ひを再開した。
これまで、やたらと映画館通ひをしてゐた時期が二回ある。
高校一年から二年にかけてと、二十代前半だ。

高一のときは、映画代が安かつたから。
二十代前半は、池波正太郎の影響で。

つづかなくなつたのは芝居を見るやうになつたのと、仕事が忙しくなつてきたのと、両方ある。
まあ、おそらくもともと映画好きぢやないんだな。
「A Few Good Men」を見て、デミ・ムーアのあまりに類型的な演じ方に嫌気がさした、といふこともあつた。これはデミ・ムーアひとりがさうなのではなく、たまたま嫌気のさすに至つた時に出てゐたのがその人だつた、といふだけのことなんだけれども。

たとへば、芝居だと「俊寛」の瀬尾、「実盛物語」の瀬尾、「玉藻前㬢袂」の金藤次など、見てくれもやることも見分けのつかぬほどそつくりな役がある。
「俊寛」の瀬尾だけはその背負ふバックグラウンドがちがふが、「実盛物語」の瀬尾と「玉藻前㬢袂」の金藤次は同じやうなもんだ。

この三役をそのまままつたくおんなじに演じたらいけない、といふのは、ちよつと考へたらわかるだらう。

映画だつて同じことだと思ふんだけどね。

と、当時は思つたわけだ。

ところが、去年、TVで「電人ザボーガー」の宣伝CMをやたらと見かけて、なんだかよささう、と思つた。
TVドラマでは子門真人の歌つてゐた主題歌とエンディングを別の人が歌つてゐるんだけど(後に高野二郎と知る)、これが熱くていいのだ。
さうだよ、ヒーローものの歌はかうこなくつちやよ!

それに柄本明が悪ノ宮博士で竹中直人が大門博士だつて云ふぢやない。

なんかー、見に行つてもよさそー。

リメイク版だからなー、と思ひつつ見に行つたら、これが案に相違のよさだつた。
高野二郎の歌もよかつたけど、映画内で流れる子門真人の歌にもやつぱり痺れた。
板尾創路もよかつたけど、前半の古原靖久の異様な熱血特撮ヒーローつぷりもよかつた。

それ以来ほそぼそと映画館に行くやうになつたわけだが。

どうしやう、ギャバン。
どうしやう、サイボーグ009。

どちらも映画館で予告は見た。
どちらも似たやうに頭を抱へた。

ギャバンは当然串田アキラが歌ふし、なんと大葉健二も出るといふ。
サイボーグ009は……えー、とりあへず、007がかつこいいよね。

DVDになつてから見てもいいよねー、と思はないでもないのだが。
悩むねー。

しばらくは「ギャバン、どうしやう」「009、見る?」とか悩んでゐることだらう。

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Wednesday, 17 October 2012

さらにその後のRhodia WebNotebook - それとペン -

Rhodia Webnotebookについていろいろ書いてきた。

基本的には、「なんか使ひづらいよね」といふ内容に終始してゐるわけだが、なんとか使ひつづけてゐる。
で、半分も過ぎてやつと「このペン!」といふペンを見つけた。

それは、パイロットのCUSTOM823である。
このペンに、やつがれはウォーターマンのブルーブラックを入れてゐる。
ペン先は細字。

このペンについては、だいぶ以前にこんなエントリを書いてゐる。
繰り返すやうだが、店頭で試し書きしたときから「よく書けるペン」で、それ以上でもそれ以下でもなかつたが、日々三年手帳への書き込みに使ふうち、気がついたら大変に書き心地のよいペンになつてゐた、それがやつがれのカスタム823だ。

プランジャーであることとチト重たいことから、メイン使用にはなつてゐないのだが、細字のわりにインキフローがよくて、とにかく書き心地がいいので即手に取れるところにある。

これがWebNotebookにぴつたりでね。
ほかの細字のペンだと書いてゐるうちにインキがかすれてきたりすることがあるのだが、カスタム823だとそれがない。細い字でどこまでも延々延々書ける。
いいぢやんいいぢやん。

これまで、WebNotebookにはペリカンのスーベレーン800太字を使つてゐた。
神戸に行つたをり、Pen and messageで調整してもらひ購入したものである。太字だが、スタブな感じをたもちつつ書きやすく調整してもらつたお気に入りだ。
このペンにPen and messageオリジナルの山野草といふ紫色のインキを入れて使つてゐて、これがWebNotebookにぴつたりなんだよね。

これで、やつがれは太くのびのび書きたいときと細くこまごま書きたいときの両方に対応したペンを見つけたのだつた。

とはいふものの、カスタム823はこれまで持ち歩いてゐない、といふのがひとつネックではある。
まあ、世の中いろいろままならないよね。

例によつて、ノートやペンの相性は人と個体によつてさまざまだと思ふ。
やつがれのCUSTOM823とスーベレーン800はそれなりに使ひ込んでゐるので店頭で売られてゐるものともかなりちがふと思ふしね。
悪しからず。

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Tuesday, 16 October 2012

つぶやき作戦 - 或は我は如何にとぢはぎを克服せしか -

とぢはぎが苦手である。
苦手といふよりは、嫌ひといつた方が正しいかもしれない。

そんなわけで、あみもの好きとかいひながらセーターとかカーディガンとかほとんど編んだことはない。
去年編んだカーディガンは身頃はつづけて編み、袖も編み出すタイプだつたので、とぢはぎはなかつた。

さうだなあ、精々やるとして、くつ下編んだときのつま先のメリヤスはぎくらゐなんだよなあ。
メリヤスはぎとゴム編み止めは一時それなりにうまくはなつた。くつ下ばかり編んでゐたからだ。
最近くつ下ともご無沙汰してゐるので、そのメリヤスはぎもまたダメになつてゐるんだらうなあ。

今回ヴェストを編むにあたつても、脇と肩のとぢは不安材料だつた。
身頃を編み上げたはいいが、とぢがイヤではふりつぱなしになるんぢやないか、とか。
実際、以前セーターを編んだときに、両袖まで編んでおきながら長いことそのままになつてしまつたこともある。

今回のヴェストが早い時期にとぢを終はらせられたのはなぜか。
多分、Twitterのおかげだと思ふ。

日曜の朝、「今からすくひとじする。と、宣言しておけばするだらう。」と呟いたのがはじまりだつた。
さうつぶやいてから、せつせと肩のすくひとぢをし、片方終はつた時点で朝食をとつて、その後また「今からもう片方の肩をとぢるー。」と呟いて、そのとほりにした。

この、「呟いて、実行」作戦が今回見事にあたつたわけだね。

毎回成功するとも限らない気がするが、今後もとぢはぎの出てくる場面になつたらこの作戦でいくことにしたい。

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Monday, 15 October 2012

ボタンがなければ編めばいいぢやない

編みやすくて心地いいニットのふだん着」の一等最初に掲載されてゐるヴェストを編んだ。

ツイードベスト

使用糸は本のとほり、ハマナカのアランツィード。色も指定の10である。
針も指定のとほり10号。
10月4日仕事帰りに毛糸を買つて編みはじめた。
ボタンがないのでできあがつてゐないが、10日くらゐで写真の状態になつたといふことになる。

前身頃後ろ身頃とも8目増やした。結果、上半分の減らし目の段が四段ほど増えてゐる。
肩まはりはちよつと大きくなりすぎたかなあ。伸縮性のある伸び地なので、あまり大きくしなくてもよかつたのかもしれない。

極太毛糸で編むとこんなに早いのかー。
しばらく中細からせいぜい並太くらゐの毛糸しか使つてゐなかつたやうな気がするので新鮮な気分である。
帽子なんかにはブリティッシュエロイカとか使つてたけど。
ヴェストにも何年か前にデビー・ブリスの極太コットン糸を使つたことがあつたが、こんなに早くはできなかつたなあ。

先日のエントリで、「針と毛糸との相性がいいんぢやないか」といふやうなことを書いた。
今回使つたのは匠の輪針。これでサクサク編めた。
パターンもいいんだらうな、と思ふ。上下でちがふが、下の菱形のテクスチュアな感じがいいんだよなあ。これでネックウォーマとか編みたい感じ。この毛糸、やはらかいし、ざつくりしたネックウォーマもいいかも。

ネックウォーマもいいかも、といへば、結局毛糸は9玉しか使はなかつた。
最初に10玉買つて、後ろ身頃を編み終へた時点で5玉目の途中まできてゐたので、ちよつと心配で2玉買ひたしたんだよね。
買ひ足す必要はなかつた。
ただ、この糸で1玉だけあまつてもどうにもならない気がするので、3玉くらゐあつてよかつたのかもしれない。

といふわけで、おそろひのネックウォーマでも編まうかと思つたのだが。
うーん、これヴェストにあはせるなら、帽子なんだよなあ。ベレーつぽいのがいいやうな気がする。
しかしベレーに3玉は使はないだらうし。

で、Guinanを編みはじめてみた。
こちらは匠の6号輪針で編んでゐるんだけれども、10号で編んだときほどサクサクとはいかない。
やはり針と毛糸の相性つてあるんだなあ。

ところでボタンがないわけだが。
ボタンがなければ編めばいいのよ」といふことなのかな。

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Friday, 12 October 2012

ヴィデオテープならすりきれる

ヴィデオテープなら、のびてどうにもならないくらゐに見返してゐるのが、人形劇三国志のDVD第五巻である。
全部を見返す時間はさすがにないので、「巻き戻して」見たいところだけ見る。

くどいやうだが、一応説明しておくと、五巻は関羽の千里行からはじまつて官渡の戦ひを経て玄徳が檀溪を跳び越えるまで、である。

最初の関羽の千里行の話の途中に、張飛がひとりで山砦をしきつてゐる場面が出てくる。
いつか玄徳、関羽と再会したときのために、と、どこぞの砦を占拠して、そこらへんの村民だらう人々を捕まへてきて兵隊として鍛えたり、こつこつ整備してゐたりするわけだ。
張飛は道の普請なんかもしてゐる。
そんなときに、200人くらゐで守つてゐる砦をたつたひとりで奪つた輩がゐるとの部下の報告を受けて、張飛がいきり立つて砦に行く。
ここで趙雲登場といふことに相成るわけだが、この趙雲が實によくて、なあ。

張飛が砦に乗り込んでいくと、聲だけがする。
「あひかはらず早とちりだなあ、張飛翼徳」
これが、まづいい。
とりあへず砦を奪つて、ひとり横になつてゐたところに張飛がやつてきて、「あーあ」とばかりに起き上がつた。
聲だけでそんな感じがする。

このあとの物言ひも、普段の趙雲らしくないちよつと皮肉なやうすのところがたまらなくいい。
DVDを買ふて以来何度見返したかわからないが、まあ、今後も見返すね、ここは。

あと見返すところといつて、三兄弟再会の場面と、張飛が関羽に愚痴る場面、それと郭嘉咳き込むの場面。
よかつた、ヴィデオテープぢやなくて。

どれも一々説明したいのだが、まあ、今回はやめておく。
とりあへず、三兄弟再会と愚痴る張飛は、とにかく張飛が可愛い。そんな張飛を見る玄徳と関羽がアニキしてていい感じ。
咳き込む郭嘉は、その手前で、曹操と郭嘉がことばはないけどわかりあつてゐる、といふ感じがたまらない。郭嘉はその少し前から咳をするやうになつてゐるのだが、ここではじめて曹操が心配するんだな。

前回書いたが、現在手持は一、五、十二、十七巻。
順番でないのは、多分、八月に渋谷ヒカリエで人形劇三国志を見たのきつかけだと思ふ。
このとき、話と話の間隔がとんでゐることによつて、つづけて見てゐたらわからないことをいろいろ発見したからだ。

実際、今回も十二巻に出てくる魏延と十七巻に出てくるのとでは、なんかいろいろちがつておもしろい。十二巻の魏延はなんだかいい人度が高い。いや、いきなり十二巻から見たらやつぱりちよつと「ヤな奴」なのかもしれないが、十七巻の魏延の灰汁が強いからなあ。

あと、題字が一巻とその他とではかなりちがふ。五巻と十七巻でもちがふかな。
一巻だと、なんとなくにぢんだやうなところがあつて、それがまた味なんだけど、五巻くらゐになると線がだいぶほつそりしてきて、まあ、「洗練された」感じになつてゐる、といつてもいいかな。
ても一巻のときの字も味があつていいんだよなあ。

で、やはり関心事は、次に何巻を買ふかといふことだ。
いい加減赤壁の戦ひ、と思はないでもないが、呂布を見たいねえ、といふ気もする。

ま、いづれにしても下旬にならないと買はないとは思ふので、それまで悩むことにしたい。

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Thursday, 11 October 2012

来年の手帳 2013

来年の手帳はほぼそろつた。

ほぼ日手帳2013

置き手帳として使ふつもりのほぼ日手帳。
来年用として久しぶりにほぼ日手帳カズンを選択してみた。
カズンの用途は、日々の生活の記録である。
ほぼ日手帳でもできるんだが、毎日毎日結構な量を書き込んでゐるので、記録を取る部分がないのだつた。
カズンなら、大きいし、記録を取りつついろいろ書き込むこともできるだらう。
さう思つてゐる。
カズンは発売開始時に買つたのだが、このときは使ひこなせなかつた。
ほぼ日手帳も一緒に使つてゐたからだと思ふ。
今回も、「カズンにするんだつたらほぼ日手帳は要らないよなあ」と思ひはしたものの、なんだかんだいつて使ひやすいもんだから、つい買つてしまつた。

ほぼ日手帳には日々の記録をすこし詳細に書いてゐる。その日したこととか読んだ本、編んだもの、気になつたニュースとかんたんな感想。そんな感じで一ページいつぱいになつちやふんだよね。

カズンの使ひ方はまちつと考へんといかんなあ。

こちらは毎年買ふてゐる、SmythsonのSchott's Miscellany Diary。

Schott's Miscellany Diary 2013

手帳としては使はずに、メモ帳として使つてゐる。
多分、ミケブログを見てさういふ使ひ方にしやうと思つたんだと思ふ。
現在、2009年と2010年を別々の用途で使つてゐる。結構長いこと持ちあるくので、表紙の手触りとかがいい感じになつてゐる。
手帳として使ふことも考へてはゐるんだけど……うーん、それは来年もきつとMIGNONの手帳になる予定だからなあ。

といふわけで、MIGNONの手帳を買ひに行かねばならない。

手帳とあはせて使へたらと思つて買つたのがこのインキと萬年筆。

ナガサワオリジナル フェルメールブルーと萬年筆

期間限定販売といふので、ちよつと躊躇したが、つい、ね。

ナガサワ文具センターのNAGASAWA Penstyle Kobe INK物語 期間限定生産のフェルメールブルーと、それを入れて使ふNAGASAWA オリジナル クリア万年筆 を買ふてみた。
こちらの萬年筆は現在すでに使用中で、なかなかいい。
ただ、コンヴァータは別売りなので要注意だ。実際、今回買つて、「コンヴァータがない!」といふので一日おあづけをくらつてしまつた。

来年の手帳用にはすでにパイロットのキャップレスデシモを用意してゐるんだけど、これもどこかで使ふつもり。

来年の手帳なんかそろへてゐると、生きる気まんまんつて感じがするよね。

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Wednesday, 10 October 2012

K.ITOYA1904再訪

先日、正式開店の際にK.ITOYA1904に行つた話を書いた。
このときは一階にしか立ち寄らなかつた。

土曜日にK.ITOYA1904の六階から二階を探索してきた。
お勧めは六階と四階。
六階は地球儀の階。
目の高さにある地球儀もすごいけれど、天井を見上げてびつくり玉手箱、だ。
部屋の中央ちよい右寄りにぜいたくなソファがしつらへてあつて、その上に無数の地球儀が飾られてゐるのだ。
これはね、ちよつと圧巻。
ソファに座つて見上げると、数多の地球儀を見上げることができる、といふ寸法、なんだと思ふ。
チキンなので座ることはできなかつたが……あれは是非座つて見上げてみたいなあ。

あ、六階にはところどころに昆虫標本があるので、虫嫌ひは要注意だ。

五階は油絵の具、水彩絵の具など。

そして、四階には絵の具以外の画材、すなはち色鉛筆やペン、スケッチブック等がある。

この四階に、いろんな鉛筆色鉛筆を試し書きできるコーナーがある。
これが實にいい。
多分、この階にあるほぼすべての鉛筆のすべての色と硬さの試し書きができるのだ。
削られて、その出番を今や遅しと待ち構へてゐる鉛筆が、ずらりと並んでゐるさまは壮観。
試し書き用の紙も、よくある細長いスリップのやうなものではなくて、A4かそれ以上のサイズがある。
のびのび書ける。
いい。
これはいい。

やつがれの行つたときは、誰も試し書きしたやうすがなかつた。
紙は、処女雪のやうな白さ。
はたしてこれをやつがれの下手な絵やつたない字で汚してよいものか。

汚しましたけどね。

その結果、uniの硬筆書写用鉛筆の4Bと6Bを買つてしまつた。それも三角軸のを。
書写なんてしないんだけどなあ。
しかし、書き味が實にすばらしかつたのだ。
なめらかなことにうつとりすることしきり。

学校に通つてゐたころは、Fよりやはらかい芯は使つたことなかつたんだけどなあ。
どちらかといふと、2Hくらゐの硬さが好きだつた。字が汚い人間は、やはらかい芯で書くとその下手さ加減が増幅されてしまひがちだからだ。

でも、このなめらかさには勝てない。

ところで、この硬筆書写用の鉛筆は、ほかの鉛筆に比べて芯が長く削られてゐた。
店員さんに訊いたところ、芯の特性で、削るとさういふ状態になつてしまふのださうだ。
うーん、でもさー、鉛筆削りによつては削つた芯が長くなり過ぎると折れちやつたりするよね。

といふわけで、まだ削つてゐない。
どうしやう。今日にも削つてみるかな。

三階にはノートと筆記用具等が置かれてゐる。MoleskineやRhodia、少しだがGMUNDなどもある。筆記具の方はLAMYなど。

二階は限定萬年筆とペン先調整。
窓に面してペン先調整のスペースがある。職人とおぼしき人が働いてゐて、なんだかどきどきしてしまふ。
限定萬年筆、と書いたが、中屋万年筆のペンもここにおかれてゐる。
む、中屋のペンは限定、かなあ。
内装はちよつと大仰だが、足を踏み入れてもいいのだらう。

ついでに一階のインキ売り場だが、前回は入つて右側奥、と書いた。
パイロットの色彩雫やヤンセンのインキは、その向かひの左側奥においてあつた。
まあ、このあたりは店員さんに訊くのが吉といつたところだらう。

また銀座に立ち寄るところが増えてしまつたなあ。

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Tuesday, 09 October 2012

ヴェストはじめました

編みやすくて心地いいニットのふだん着」から選んだかぎ針編みの三角ショールを編んでゐるが進まない、といふ話を書いた。

このままではいかん、と思ひ、同じ本からカーディガンを編みはじめたのが先週の木曜日。
……なにが「このままではいかん」のか、自分でもよくわからないが。

木曜日にハマナカのアランツィードを買つてきた。
本を見て、最初はパピーのブリティッシュエロイカにしやうかなあと思つてゐた。どちらも極太でゲージも合ふ。16〜17目の20〜21段。
ブリティッシュエロイカのいいところは、なにをいつても1玉50gといふところだ。しかも色も豊富で、案外お手頃価格でもある。ちよつと手触りに難ありかもしれないが、ヴェストなら問題ない。

実際に店舗で見て、指定糸の色とやはらかな手触りが気に入つたので、ハマナカのアランツィードにした。ウール9割のアルパカ1割ださうである。マフラやスヌードにしてもいいかもしれない。

色は紫で、ところどころに明るいエメラルド色のネップが入つてゐる。
本に掲載されてゐる写真をよく見るとこのエメラルドのネップが見えるのだが、糸を買つてくるまで気がつかなかつた。

これを、匠の輪針10号で編みはじめたのだが、とにかく編みやすい。
多分、針との相性がいいんだらう。
まあ、表目と裏目だけしか編まないから、といふ話もあるが、どんどん編めてしまふ。
三連休といふこともあつて、あつといふ間に後ろ身頃ができあがつた、といふわけだ。

ヴェストの後ろ身頃

あつといふ間に編めたのにはもう一つ理由がある。
最初、10玉買つてきたのだが、毛糸が足りるかどうか不安だつたからだ。
本では300gすなはち8玉弱使ふことになつてゐる。
大きめに編むから2玉余分に買つたわけだが、後ろ身頃を編んでゐてなんとなく不安だつた。
後ろ身頃を全部編めたら、全体の毛糸使用量もなんとなくわかるだらう。
さう思つて、しやかりきに編んだ。
結果として、ギリギリで足りさうな感じになつたが、やはり不安なので、2玉追加した。
2玉なのは、2玉あまれば帽子が編めるだらうと計算してのことである。

これで後顧の憂ひを断つた。
あとは編むだけだ。

ところで、去年は同じ作者の着こなし上手のニットのふだん着からかぎ針編みのカーディガンを編んだ。

Crochet Cardigan

指定糸ではなく、パピーのプリンセスアニーを使つた。この色がどうしても気に入つてね。灰色にどこか紫の印象のある、いい色の糸なのである。

編んで、結構着た。五月の北欧旅行にも持つて行つたし、今年もそろそろ使ふかもといふので出してきた。

袖のあるカーディガンはもちろんいいのだけれども、ちよつと羽織るのにヴェストがほしいと思つてたんだよねー。
「着こなし上手のニットのふだん着」から選んでもよかつたのだが、つい、新しい本を買つてしまつて、なあ。

「着こなし上手のニットのふだん着」からはこのカーディガンをはじめとして、都合四作品くらゐ編んだ。
「編みやすくて心地いいニットのふだん着」にも編みたいものがたくさんある。
実際、かぎ針編みのショールも編みかけだしな。

編みたいと思ふものには結構大きいものが多い。
どれだけ編めるだらう。

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Monday, 08 October 2012

「ボクつ娘」とやつがれ

「ボクつ娘」が苦手だ。
小学生のとき、同じクラスにひとりゐて、その子は大丈夫だつたんだけどな。

もしかすると、身近にゐないから苦手なのかもしれない。

なにが苦手なのか。
おそらく、「ボク、ナイーヴ(日本語的な意味で)だから」といふ感じがするからかなあ、といふ気がする。
「傷つきやすいの、わかつてよ」みたやうな感じ、といふか。

ただ、「「わたし」とか「あたし」とかぢやないの」、といふ気持ちはよくわかる。

といふのは、このblogでやつがれがみづからのことを「やつがれ」とか書いてしまつてゐるのを見ると、おわかりいただけるのではあるまいか。

この「一人称になにを使ふか」といふのは、男女共通の関心事だと思ふ。
実際、職場などでも、「仕事するときは「私」だけど、普段が困るんだよなあ、「オレ」ぢやないし、かといつて「ボク」も困るし」なんぞと語りあつてゐる人々を見かけたことがある。

英語とかだつたら悩むことないのになあ。

さうも思ふが、その一方で、「どの一人称を使ふかで悩めるなんて、なんだか贅沢」といふ気もするんだから、人間なんて不思議なものだ。

考へてみたら、「ボク」といふのは「僕」すなはち自分をへりくだつて云ふ表現なわけで、それはそれでいいよなあ。

ほんたうはやつがれは「小生」を使ひたい。「プリンプリン物語」のシャーレッケ・マイホームが使つてゐるのを見て以来、憧れなのだつた。
ところが、世の中では「小生」といふのはその本来の意味に反して尊大な印象を与へるのだといふ。

ええー、どこのどいつだよ、「小生」にそんなよけいな意味をつけたのはよう!

しかし、世の人がさう受け止めるのなら、致し方ない。
「小生」はあきらめるしかない。

そんなわけで、一時、あれこれ考へた。
「拙者」とか「それがし」とか、さういふ時代劇などではよく耳にする一人称もいいけれど。
結局「やつがれ」に落ち着いたのは、かつては男女問はず使はれてゐたらしい、と聞いたからである。
男でもない、女でもない、そんなneutralな感じが気に入つた。

口に出して「やつがれ」と云ふことはないけれど。
書き言葉では今後も「やつがれ」で行くつもりである。

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Friday, 05 October 2012

ノートとペンの相性

ここのところ、大橋堂の萬年筆が不調な気がしてゐた。
書き出しがかすれることがある。
をかしいな。店頭で試し書きしたときにはなかつたのに。

昨日、なんの気なしにこのペンを取り出して、Rhodiaのブロックメモに思ひつくところをあれこれ書き出してみた。

絶好調だ。
書き出しのかすれ? 何それ、おいしいの?
それくらゐの勢ひである。

しかして、最近使用してゐるRhodia WebNotebookに書き込んでみるとこは如何に。
かすれる。
たまにだが、書き出しがかすれる。

むう。

やつがれのWebNotebookはうまい具合にページを開いた状態で安定しない。抑へないと書き込みづらい状態である。
加へて紙がちよつと表紙から浮くんだね。これも抑へないと書けないやうな状態だ。

紙が浮いてゐる分、のどや端に書くときにペン先のあたり具合も変はつてくる。
どうやらこれが書き出しのかすれにつながるやうだ。

先日、MoleskineのEvernote Notebookが届いた。
なんかもう、これに乗り換へちやはうかな、とか思つたりするのだが。

なんだかそれも負けのやうな気がして、躊躇してゐる。

確かに、メモを取る量は減つてるんだよなあ。
うーん、まあ、不調の原因にも気がついたし、まちつとやうすを見てみることにしやう。

なほ、ロディアのWebNotebookには個体差があるらしい。あしからず。

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Thursday, 04 October 2012

云ひ訳はしない

昨日のエントリには「云ひ訳ばかりしてゐる」と書いたので。

「云ひ訳しないぜ!」とばかりに昨日正式に開店した銀座伊東屋の別館K.ITOYA1904に行つてきた。

K.ITOYA1904

といつても、二階をちよこつと覗いたくらゐと、一階を見てまはつたくらゐだが。
K.ITOYA1904は六階まであつて、六階は地球儀の階なのださうで、そのうちゆつくりと巡つてみたい。

一階と二階は、萬年筆を扱ふ階である。
二階は、ちらつと覗いただけ。限定萬年筆など高価なものをおいてゐるのらしいが、内装がどこぞの豪邸の立派な応接間のやうで、踏み込むのをちよつとためらつてしまつた。
覚悟を決めて、今度あらためて挑戦してみたい。

一階は本館の中二階のやうな感じ、と云へばいいだらうか。
左右に萬年筆を入れたケースが並んでゐて壮観。入り口に面してモンブランのケースがある。
左右で国産・舶来とわかれてゐるわけではないやうだが、向かつて右側は国産が多かつたやうに思ふ。スティピュラとかクロスとかの萬年筆も置かれてゐたけれど。

雨の水曜の夜のためか、店内に客の姿はまばら。
一昨日プレオープンもあつたといふことだし、もう喧噪はとつくの昔に去つたあとだつたのだらう。

今回は、実はデルタのブルーのインキとラミーのターコイズのインキカートリッジを買つて帰らうかな、とも思つてゐたが。

店の向かつて右側奥にあるインキの棚は、既に隙間の目立つくらゐな状態だつた。
インキの棚の向かひ側に革小物が置かれてゐる。

どうしやうかしばし考へたが、前回本館の中二階で試し書きをして気に入つた、パイロットのキャップレスデシモの極細を買はうと決めた。

書くまでもないことかと思ふが、キャップレスはその名のとほり、キャップのない萬年筆である。多くはノック式で、中には繰り出し式のモデルもある。
デシモはノック式で、ほかのキャップレスよりちよつと軸が細い。最近軸の色が増えて、華やかになつた。軸の色が増えるのにあはせたのだらう、これまで細字・中細字・太字だつたペン先に極細が増えた。

細字のキャップレスデシモを所有してゐるが、これがすこぶる実用的である。
ノック式だから使ひたいときにさつと使へる。キャップをまはして尻軸にさして、とかやらなくていい。使はなくなつたらこれまたさつとノックすればペン先がひつこむ。

極細があつたらなあ。
ずつとさう思つてゐた。
外出先、主に職場で、手帳に書き込むのに、極細があつたらとつてもいいのに。

さう思つてゐたら、出てたんだね、いつのまにか。

軸の色はヴァイオレットにしたつもり。
なのだが、店員さんは「限定色」と云ふてゐたので、ちがふかもしれない。

Capless Decimo, PILOT

実際はもつとピンクよりの色である。
これと、まちつと青よりの紫の軸と、悩んだのだが、こちらの方が発色がよかつた。

パイロットのブルーのインキカートリッジを入れてみた。
カートリッジにしたのは、これも出先でインキが切れたときに即補充できるやうに、と考へてだ。
最近よく使ふ萬年筆はみな吸入式かコンヴァータ使用かなのだが、それだと出先でインキ切れしたときにどうにもならないんだよね。
カートリッジはチトお高くつくが、まあ、一本くらゐはさうしたペンがあつてもいいだらう。

以前、やつがれにはやはらかいペン先が向いてゐる、と書いた。
デシモの極細は、かなりかたいペン先である。
これは以前試し書きしたときもさう思つた。

だが、夕べ試し書きさせてもらつたペン先は、いい具合にやはらかくなつてゐた。
多分、大勢の客が試し書きした結果、さうなつたのだらう。
育てればやはらかくなるはずだ。
なので、がんがん書いていくつもり。

今のところ、このペンは来年のほぼ日手帳と一緒に使ふ予定だ。
それまでにちつと使ひ込んでおくかな。

一定の金額以上買物をすると、こんなハンカチーフをもらへるのらしい。

萬年筆柄のハンカチーフ

在庫限り(?)なのださうなので、ご興味のある向きにはお早めに。

伊東屋は本館も建て直しの計画があるといふ。
さうしたらこちらだけ営業する期間もあるといふことかな。

いづれにしても、未踏の三階以上に、近いうちに行かなければ。

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Wednesday, 03 October 2012

云ひ訳の多い人生を送つてまゐりました

銀座伊東屋の別館K.ITOYA1904が今日開店する。
帰りがけに寄れたらなあと思ふてはゐるのだが。
でもなあ、別段、そんなに文具オタクつてわけでもないしなあ……

と、考へて、はつとした。

なんでそんな云ひ訳をするのだ。

昨日のエントリを書いたあともさうだつた。
「こんなこと書いたけど、でも、別にやつがれ、そんなに文学に造詣が深いわけでも、漢文に親しんでるわけでもないしなあ」
そんなことを考へてゐた。

嗚呼、云ひ訳ばかりの人生だ。
K.ITOYA1904には、行つたらいいぢやあないか。
万難を排しても、行けばいい。
別に文具オタクとかそんなの、どうでもいい。
どうして行けないときのことを考へてそんな云ひ訳をするのか。

また、文学に造形が深くないのだつたら、今から深くなればいい。
漢文に親しんでゐないのなら、今から親しめばいいのだ。
なんでそんな云ひ訳するかなあ。

いつでも逃げ道を用意してゐる。

あみものもさうだ。
やつがれは、experienced novice と名乗つてゐる。
すなはち、「古株の新入り」だ。
歴だけは長いけど、やることはあみものを習ひはじめた当時から変はらない。
さう云ひたいのだ。

うーぬー。

とは云ふものの、「ま、それでもいいぢやない」と思はないでもない。
K.ITOYA1904に関しては、行けなかつたときの衝撃が少なくなるといふ利点もある。

と、かくのごとく云ひ訳に云ひ訳をかさねていく。
もう習ひ性になつてるから、どうしやうもない。
つて云つてるそばからほら。

あーあ。もうどうしたものやら。
とりあへず、なにかひとつから手をつけてみる、かのう。

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Tuesday, 02 October 2012

「日本語が亡びるとき」読了

日本語が亡びるとき」を読みはじめて最初に思つたことは、「こどものころ彼我の差に圧倒されて劣等感を抱いた人つてかう考へたりするな」だつた。

同い年でも相手は体格もいい。
体力もあるだらう。
一般に、アメリカ人と日本人の中高生を比べると、アメリカ人の方が大人だと云はれたりする。
しかも、相手は英語を解するのだ。

圧倒されるな、劣等感を抱くなといふ方がムリである。

だが、よくよくつきあつてみれば、同年代のアメリカ人だつて日本人とさう変はらない。
確かに、自分の意見を主張するのは得意かもしれない。
でも、「人生如何に生くべきか」なんて考へてないし、憧れの土地は地元の州の大都市かロサンジェルス、好きな異性にどう見えるか、そんなことが興味の対象だ。

英語だつて、こちらは日本人なんだからできなくて当然。
云ひたいことを云へなくて悔しい思ひをすることはあるかもしれないが、「云ひたいことがある」といふことの方が重要なのだ。

それに気がつけば、劣等感は払拭されるはずなんだけどね。

この本は2008年に出版された。当時、ネットでは大々的にとりあげられてゐたといふ。
やつがれは、北烏山だよりで知つた。
こちらのブログで紹介された本で気になつたものは手に取るやうにしてゐるのだが、この本は対象にならなかつた。
本屋で見かけなかつたからかもしれないし、「日本語が亡びるとき」といふ題名が当時のやつがれには大げさに感じられたからかもしれない。

最後まで読んで、日本語に関しては、そのとほりかもしれない、と思つた。
すなはち、このままだと日本語は亡びる、近い将来日本語で情報発信する人間は皆無になるかもしれない、日本語で文学作品を書く人間がゐなくなるかもしれない、といふことだ。
そして、それは困る、といふことも。
主に、個人的に、だけど。

ただ、文学に関しては、多少意を異にする。
著者は、文学とは「人生如何に生くべきか」を表現するもの、といふ。
さうかなあ。
といふか、やつがれにとつて、文学とはさういふものではない。
「人生如何に生くべきか」は哲学にまかせておけばいい。
文学つてまちつと違つたものなんぢやないかなあ。
それとも「人生如何に生くべきか」を描いてゐない文学作品といふのは、著者云ふところの頭のあまりよろしくない人の書いた作品といふことなんだらうか。
それは……まあ、個人の考へだから、おいておかう。

著者の主張は、英語は一部のエリートに任せておいて、その他の人間は充実した日本語教育を受けるべきである、といふことだ。
もちろん、エリートも、充実した日本語教育を受けた上で英語を学ぶんだらう。

著者の云ふ充実した日本語教育とは、近現代の日本文学を読ませること、だ。

うーん。
いや、それは、一理ある、とは思ふ。

たとへば、アメリカ合衆国の高校では、英語の授業で、「白鯨」や「アラバマ物語」、「二都物語」などを一年間に何冊かまるごと読ませる。
あの「白鯨」を全篇読ませるのである。
大抵は各生徒に一冊ずつ本を渡して読ませるのだが、中にはそれでは自分で読まない生徒がゐるといふので、授業中に朗読する教師もゐるほどだ。

翻つて、日本では何を読ませるだらう。
高校生のとき、「こゝろ」を全篇読まされた。
国語の教科書には「こゝろ」の一部分だけ掲載されてゐて、残りは自分で買ふなり図書館で借りるなりして読め、と云はれた。
自宅に漱石全集があつたので、やつがれはそれを読んだ。
読まずに虎の巻に頼つた生徒もゐただらう。

どこの公立高校もそんな感じなのかな、と思つてゐたが、どうやらさうでもないのらしい。
あるていどの長さの小説を読ませることがない場合もあるといふ。

そりやあ全篇読ませる方がいいよな。
強制的に読ませることの是非はあるかもしれない。
でも、小説は、作家の書いたとほりをまるごと読む方がいい。
国語の教科書に見られる長編小説の一部抜粋は、教育としてどうかと思ふ。

問題は、「近現代の」といふところだ。
「日本語が亡びるとき」で著者の提示する夏目漱石、森鷗外から谷崎潤一郎に至る近現代日本文学の小説家が共通して持つてゐたものはなにか。

それは、漢籍の教養ではあるまいか。

文学が、著者の云ふとおり、「人生如何に生くべきか」を描くものなのだとしたら、漢籍の教養は不可欠なはずだ。
なぜなら「人生如何に生くべきか」なんてなことは、四書五経や数多の史書にすでにすべて描かれてゐるからである。

漱石や鷗外は、さうしたことを踏まへた上で作品を作り上げてゐたのではあるまいか。
そして、著者のいふあまり頭のよろしくない現代の日本文学の小説家たちに欠落してゐるのも、かうした知識なのではあるまいか。

もしかすると、著者は、さうした知識も一部のエリートがそなへてゐればいいものと思つてゐるのかもしれない。
あるいは、焦眉の急といふときに、今更漢籍の教養なんて、といふことなのかもしれない。
本書の224ページには「専門家しか読めなくなることによって、漢文という言葉は日本で死んだのである。」とある。
そんな死んだものを今更、と云ひたいのだらうか。

漢籍に頼らないのであれば、本書で著者も何度か言及してゐるアリストテレスなどの古代ギリシャ・ローマの古典や聖書などにそれを求めるやうになるのだらうが……
それは何語で読むの?
ギリシャ語? ラテン語?
それとも英語?

やつぱり、かうした知識も一部のエリートだけが有してゐればいいつてことなのかなあ。
鑑賞する側にもないと、と思ふのはまちがつてゐるだらうか。
漱石や鷗外の作品は、漢籍の知識などなにもなくても楽しめる。それは確かだ。
でも知つてた方がよりおもしろいんぢやないかなあ。
文化つて、さういふ「共通知識」の上に成り立つものなんぢやあるまいか。
それとも、それは、まづ漱石や鷗外といつた小説家の作品を享受した上であらためて余裕のある人だけ学べばいい知識、と、著者はさう云ひたいのか。
さうかなさうかも。

ただ、なあ。
本書の304ページに「そして、あの懐かしい「文語体」の数々の詩歌。」といふ文章がある。
それは、いい。
ではなぜその一ページ前に「カンボジアのクメール・ルージュにいたっては読書人をすべからく虐殺した。」と書いて平気でゐられるのだらう。
漢文は死んでるから、いいの?
筑摩書房では、校正とかしないの?
それとも著者がこれでいいと云つたのだらうか。
いづれにしても、ひどくがつかりするし、すべての主張が台無しだ。
あるいは、この一文をもつてして「ほら、日本語教育を見なほす必要があるでせう? ね?」と云ひたいのだらうか。
やつがれが読んだのは初版第一刷なので、その後訂正されてゐる可能性もある。
といふか、訂正されてゐることを願つてやまない。

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Monday, 01 October 2012

2012年9月の読書メーター


読んだ本の数:7冊
読んだページ数:2675ページ
ナイス数:5ナイス

絶滅寸前季語辞典絶滅寸前季語辞典感想
ユーモラス。全然ポエマーなところがないのがいい。図書館で借りたけど、手元にほしいな。
読了日:9月7日 著者:夏井いつき
ヴィクトリア朝時代のインターネットヴィクトリア朝時代のインターネット感想
ほんと、人間つてのは昔から変はらないんだねぇ。「テレグラフ」を「電子メール」とかに入れ替へてもまんま通じさう。フランス革命くらゐのころまではインテリつてーと坊さんだつたんだな。「静粛に! 天才只今勉強中」を思ひ出したよ。
読了日:9月11日 著者:トム・スタンデージ
泣き虫弱虫諸葛孔明〈第1部〉 (文春文庫)泣き虫弱虫諸葛孔明〈第1部〉 (文春文庫)今のルールでは囲碁で引き分けるのは無理なんだなぁ。残念。それすらも覆すのが特上の軍師か。なんちて。
読了日:9月12日 著者:酒見 賢一
資本主義が嫌いな人のための経済学資本主義が嫌いな人のための経済学感想
昔呉服屋のお嬢さまが貧しい人々を見てあはれに思ひ、彼らに上等の反物を与へやうとしたところ、番頭曰く「おやめくださいお嬢さま。そんなことをしたら反物が可哀想ですし、なによりあのものたちが道を誤ります」、と。ボディーショップのシアバターに関する話を読んで、そんなことを思ひ出した。著者は「世の中は複雑だ」といふ。でも、案外単純に考へればいいのかも、と、思つた。かんたんに、ではなく、単純に。
読了日:9月23日 著者:ジョセフ・ヒース
三国志で攻略!センター漢文12 (大学JUKEN新書)三国志で攻略!センター漢文12 (大学JUKEN新書)感想
正史かと思ふたら、うつかり演義であつた。格調の欠けるきらいはあるが、まぁやむを得ぬことかも? 水滸伝とか西遊記でも是非出版してもらひたいものである。
読了日:9月24日 著者:高橋忠彦
ローマ法王に米を食べさせた男  過疎の村を救ったスーパー公務員は何をしたか?ローマ法王に米を食べさせた男 過疎の村を救ったスーパー公務員は何をしたか?感想
成功した話が続くので安心して読める。実際はさぞかし大変なことの連続だつたらうなぁと想像するのだが、それを感じさせないのがこの本のいいところでもあり欠点でもある。周りの人には相当嫌がられてるだらうなぁとも思ふ。「ゐてもゐなくてもいい存在」になりたいやうな人もゐるんだけどね、世の中には。それぢやダメなのかな。
読了日:9月26日 著者:高野 誠鮮
泣き虫弱虫諸葛孔明〈第2部〉 (文春文庫)泣き虫弱虫諸葛孔明〈第2部〉 (文春文庫)
第参部の出版にあはせて読み返してみた。「残酷な天使のテーゼ」に関するコメントが多いけど、それだけぢやないよねつてーか、それだけぢや済まないくらゐ、引用ありまくりだと思ふ。きつと自分のわからないネタもあるんだらうなあ。そのうち「謎解き「泣き虫弱虫諸葛孔明」」といふ本が出版されるかもなあ。
読了日:9月30日 著者:酒見 賢一
読書メーター

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なかなか進まぬ三角ショール

颱風一過。
すばらしい天気だ。
なんとか満月を見た。といふか、起きて窓を開けたら西の空に出てたんだけど。

で、すがすがしい気分か、といふと、まあ、さうでもないところが月曜の朝だよね。

先日も書いたとほり、「編みやすくて心地いいニットのふだん着」からかぎ針編みの三角ショールを編んでゐる。

これがなかなか進まなくてねえ。
昨日も人形劇三国志DVDの第一巻を見ながら編んでゐたんだけれど、なかなか進まない。

うーん。

中細毛糸を6/0号針で編むといふので、多少編みにくさもあるのかなあ。
とりあへず、土曜の夜に一玉編みきりはしたんだけどね。そして、一玉でも十分ミニショールくらゐの大きさはある。
本ではハマナカの純毛中細を三玉110g使ふと書いてある。純毛中細は一玉40gなので、ニッケヴィクトリーヤーン中細なら二玉100gでもいいかなあ。一応、三玉持つてはゐるのだけれど。

この本からはほかにもいろいろ編みたいものがあつて、本を眺めるたびに「毛糸、どうしやうかなあ」などと考へてゐる。
土曜日は出かけたので、手芸屋にでも寄らうかと思つたが、やめた。
ショールもろくろく編めてゐないのに、毛糸を買ふてもムダな気がしたからだ。
といふよりは、買ひに行きたい気持ちをさう考へることで必死で抑へた、といふ方が正しい。

なんで編めないのかなあ。
必要性に迫られてゐないからか。
昨日は暑い中、上はノースリーブて涼しく過ごしてゐたが、足下は手編みの毛糸のくつ下だつた。
なんか、涼しくなつてくると、くつ下、編みたくなるんだよね。もうこれ以上編んでどうするつて状況なんだけど。

こんな風に編みたいもので心が千々に乱れてゐるのがいけないんだらうか。

とりあへず、職場が冷えるので、三角ショールはちやつちやと編んでしまひたい。

と、書いておけば編むんぢやあるまいか。

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